67 自由な心
その後の日々はダイジェストのように流れた。
出会った日から毎日のように私たちは会っていた。
小学校が終わると氷室さんに会うのが、少し日課のようになっていた。
晴香や創と一緒に四人で会うこともあれば、私が一人で会うこともあった。
けれど日が進むにつれて、私が一人で会うことが多くなっているように見えた。
私は、いつも氷室さんがどこから来てどこへ帰っていくのかを知らないようだった。
氷室さんから聞いた話と照らし合わせてみれば、この頃は夜子さんのお世話を受けていたのかな。
でも氷室さんは私たちにそれを言っていないようだったし、私たちも深く追求をしていないようだった。
学校が終わった後に会える不思議な友達。
私はそんな風に捉えているように見えた。
スカイブルーの瞳が綺麗で、お人形さんみたいに可愛らしい女の子。
幼い日の私はその素性なんかよりも、不思議で綺麗な女の子に直感的な魅力を感じていたのかもしれない。
流れ行く日々を眺めていると、とある日に焦点が合わさった。
その日は私が一人で氷室さんと会っていた。
公園のドーム型の遊具の中に二人で入り込んで、少しだけ寒さを誤魔化しているみたいだった。
「はい、また本持ってきたよ。昨日貸した分、もう読んじゃったんだね。面白かった?」
白い息を吐きながら私は数冊の本を氷室さんに手渡した。
氷室さんは控えめにこくこくと頷きながらそれを受け取っている。
私はその頷きだけでも満足げににっこりと笑った。
「よかった。でもわたしが持ってる本、ファンタジーばっかりで飽きない? 大丈夫? 一応違うのもあるけど……」
「……大丈夫。どれも、面白い、から……」
「よかった! わたしファンタジー大好き! 想像するとわくわくしちゃうの!」
氷室さんは私の知っている今の氷室さんと同じで、恥ずかしそうに俯き加減でポツリポツリと答えている。
いや、今よりも更に恥ずかしがり屋というか、大人しさ具合で言えば大分この昔の頃の方が上だ。
けれどそれでも昔の私はその言葉をしっかりと聞いて楽しそうに話している。
「色んな本を読みながらね、色んな想像をしちゃうんだ。こんなことできたらいいなぁとか、こんな国があったらいいなぁとか」
「…………アリスちゃんは、どんな国が、あったらいいの……?」
「そうだなぁ、いっぱいあるよ!」
氷室さんに尋ねられて、私はうきうき顔で答えた。
自分が描く夢物語を、まるで現実に起こるものだと信じているかのように。
それはとても子供らしくて、自分のことだからこそ見ていて少し恥ずかしかった。
「動物と話してみたいから喋る動物たちの国とか、動くおもちゃたちの遊園地みたいな国もいいよね。街も建物も全部お菓子でできた国とかあったらお腹いっぱいになるまで食べちゃいそう。綺麗な羽の生えた可愛い妖精さんの国も楽しそう。あ、あとはやっぱり────」
私はこれこそ一番大事だと言わんばかりにえっへんと胸を張った。
氷室さんが不思議そうに首を傾げるのを見て、何故か得意げな笑みを浮かべる。
「絶対にあって欲しいのはやっぱり魔法だよ! 魔法使いが暮らしている国があったら、絶対素敵なのに……!」
「………………」
目をキラキラと輝かせて空想に花を咲かせている私には、氷室さんの複雑そうな沈黙は届いていないようだった。
私にとっては夢のようなファンタジーだけれど、実際にそこから来た氷室さんにしてみれば、それは残酷な現実の場所なんだから。
「魔法っていいよねぇ。魔法が使えたらさ、あられちゃんは何がしたい?」
「…………え、えーっと」
私の問いかけに、氷室さんは困ったように視線を落とした。
実際に魔法使いの家に生まれ、そして魔女となって魔法が使える氷室さんには、ちょっぴり答えにくい質問のはずだ。
手を握り合わせてもじもじと困ってしまっている。
「…………その、考えたこと、なくて……」
「えーそうなの? わたしはよく考えるよ。色々考えすぎちゃうくらい」
楽しそうに微笑みを浮かべる私と、冷静な表情ながらも少し困った雰囲気を見せる氷室さん。
けれどきっと、この頃の私には氷室さんの僅かな表情の変化に気づくことはできなかったんだろう。
私はしばらく、自らが思い描く空想の話を楽しそうに語っていた。
この頃のことはやっぱり私の記憶の中にはない。
けれどこうやって目の当たりにしてみると、確かにこの頃の私はこんな感じの子だったなぁという漠然とした感覚はあった。
この頃、幼い空想に花を咲かせていた私。
色んな不思議なことや奇想天外なことを思い描いては、一人でわくわくしていたものだ。
成長した今だって、本を読んで想像を膨らませたり、色んなことを思い描いたりはするけれど。
この頃のように自由気ままに空想を広げることはなくなったかもしれない。
大人になってしまった私は、空想が幻想だと理解してしまって、いつしか考えることが少なくなってしまったのかもしれない。
きっとそれは誰にでもあることで、現実を知ることで人は徐々に夢を薄れさせてしまうものだ。
けれど今の私に必要なのは、この頃のような自由さかもしれない。
固定概念に囚われず、現実に囚われず、自由な心と自由な思考で自分の世界を作り出すべきなのかもしれない。
それこそが、私の心から出る能力に繋がるのかもしれない。
『幻想の掌握』。私が描く夢物語が、実在する魔法を飲み込む力。
この頃のことを思い出すことはできなくても、幼い日の純粋な気持ちを思い起こせば、その感覚を取り戻せる気がした。
また光景はくるくると進んでいき、放課後の邂逅の日々がちらちらと映る。
私は氷室さんと会うのを毎日楽しみにしているようだったし、氷室さんもまた私に会うとその静かな表情を綻ばせていた。
私たちはいつしか、お互いを大切な友達だと認識しているようだった。
私の学校が終わって日が落ちるまでの僅かな間に会う友達。
けれどその少しの時間の間にも、私たちは確かに友情を育んでいた。
瞼の裏に映る光景が次第に薄れていく。
けれどその掠れる光景の中で、あまり穏やかではないものがちらちらと映る。
私を手招きする誰かの影。それを阻もうと私に縋る氷室さん。
首を縦に振らない私に、その誰かは代わりに氷室さんを引っ張って、私に何かを語りかけている。
氷室さんを連れていってしまう誰か。私はそれを追って────────
プツンと、そこで光景は途切れてしまった。
よくわからなかったけれど、あれは私のことをワルプルギスが迎えに来た時の光景だったのかもしれない。
私の存在に気付いたワルプルギスが私を招き寄せて、でも私はそれについて行こうとしなかったから、氷室さんを人質にとって私をおびき寄せようとした。
氷室さんから昨日聞いた話と大体一致するような光景だった。
でも、そのワルプルギスの魔女が誰なのかはうまくみることができなかった。
何も映らなくなった瞼を開くと、私の身体は闇の出口に辿り着いていた。
目の前には光が溢れていて、私の傍には氷室さんの光の玉がふわふわと浮かんでいた。
『────自由な心を、忘れないで────あなたが生み出す幻想は────あなたを形造って────』
出口まで来たけれど、やっぱり氷室さんの声は遠い。
聞き取れる言葉は断片的。けれど、伝えたいことはなんとなくわかった。
「ありがとう氷室さん。早く戻って、全部解決させなきゃね」
今の私にはまだ当時を思い出すことはできない。
けれどかつての頃を思い浮かべて、その時の私ならどう思うかなら想像はできる。
レオやアリア、そして氷室さんが知るあの頃の私にはなれないけれど、今教えてもらった昔の思い出を見て私らしさは思い出した気がした。
生き残るために、勝つために求めるのは力じゃなかった。
そんなことを考えているから、力の大元のドルミーレを呼んでしまったんだ。
私はもっと純粋に、ただ想像すればよかったんだ。
私が今どうしたいのか。どうありたいのか。空想を現実に思い起こせばよかったんだ。
そんなこと、ちゃんと『お姫様』が教えてくれていたことなのに……。
『────アリスちゃん』
私を呼ぶ氷室さんの声が、今度ははっきりと聞こえた。
私がドルミーレから身体を取り戻すのを待ってくれている。願ってくれている。
その伸ばされた手に応えて、私は早く現実へと這い上がらないといけない。
「待ってて。すぐに戻るから」
私の傍で光る氷室さんに頷いて、目の前に溢れる光の中に飛び込んだ。




