43 心のままに
お風呂から上がって氷室さんが髪を乾かしている間に、私は創に電話することにした。
昼間うちに来てくれて少し話はできたけれど、なんだか忙しなかったし。
それに、一度きちんと話した方がいいと思って。
今、私たちには晴香がいない。創はそれを覚えてすらいない。
私たち幼馴染は二人になってしまったんだ。
二人きりになってしまった掛け替えのない幼馴染に、いつまでも悶々とした心配をかけるわけにはいかないと思ったから。
『……なんだアリス。お前が電話してくるなんて珍しいな』
濡れ髪にタオルを被った格好のまま部屋まで先に戻って電話をかけてみると、眠たそうな声が返ってきた。
うたた寝でもしていたのか、どこか声がぼやけている。
「うん、まぁね。創、なんかしてた?」
『いや? 飯食って風呂入って……今ベッドでゴロゴロしてたら、ちょぴっと寝てた』
「なにそれ、だらしないなぁ」
予想通りというか相変わらずというか、ズボラな創らしい。
私がクスリと笑うと、電話口の向こうでムッと息を吐いた音が聞こえた。
「ちなみに私は、今ちょうどお風呂上がりだよ」
『ふーん』
「え、リアクション薄くない? 男子って女子のお風呂上がりとか想像して変な気持ちになったりするんじゃないの?」
『するか! お前じゃ尚更しねーよ』
「それ酷くない!? 私だって女の子なんですけど!」
『なんだよ、お前、俺に変な想像して欲しいのかよ』
「やめてよー! 気持ち悪い」
『酷いのはどっちだよ……』
重い溜息が電話越しに創の気落ちを伝えてくる。
もちろん本気で落ち込んでいるわけでもないだろうし、私だって全部冗談だ。
こんなくだらない冗談を気軽に言い合える創の存在が、今はとてもありがたかった。
『で? どーせこんなくだらないこと言うために電話してきたんじゃないだろう?』
くだらないやりとりの中でも、創は私の思わんとしていることを汲んでくれていた。
これはそこら辺の友達ではできることじゃない。
小さい頃から一緒にいる幼馴染だからこそできることだ。
「バレたか」
『バレバレだ。お前は何かある時は余計に明るいからな』
創の声は妙に優しかった。
普段はぶっきらぼうなくせに、こっちが何か悩んでいたり困っていたりしているとなると、透かさず優しくなる。
そしていつだって私たちの味方をしてくれるんだ。それを知っているから、ついつい甘えてしまうんだけど。
「……今朝のこととか、改めて謝ろうと思ってさ。心配かけちゃって、ごめんね」
『あぁ、別にいいって。そんなん慣れっこだしな』
「えー。私そんなに心配ばっかりかけてる?」
『それなりに。お前は昔から目が離せねーよ』
創の溜息がまた聞こえてくる。
けれどそれは呆れからくるものではなくて、どこか優しげに感じられた。
私たちが積み重ねてきた思い出を、大切にしてくれているんだと、そう思った。
「あのね、創。私、創に言ってないことがあるの」
『……おう』
「でもね、ごめん。言えないの。言えないけど、創に秘密にしてることがある。今心配をかけていることは全部、それ絡みなんだ」
『……そうか』
思い切って告げてみれば、対する反応はあっさりしていた。
そもそも私の言い方自体がぼんやりしているから仕方がない。
でも、私の言わんとしていることは伝わっていると思った。
「ごめんね。私たちの間に内緒事なんて、普段はしないのに。本当は秘密にしていることも言わない方がいいと思ったんだけど、でも流石に創に隠し続けるのは無理だと思ったから」
初めて魔法使いが私を迎えに来たあの日から、私の周りで起きる数々の普通じゃないこと。
それを誤魔化す様子を創は間近で見ているんだから、何かがあるなんてことはどうしてもわかってしまう。
何もかもを黙って余計な心配をかけ続けるよりは、少しだけでも話しておこうと思った。
「心配しないで、なんて言えないのはわかってる。事情を話せないんだから、余計心配をかけちゃうかもしれない。でもね、創。今は黙って見守ってて欲しいんだ」
『…………難しいこと言うなぁ、お前は。でも、アリスがそう言うんなら……それが俺にできることなんだろ』
「うん、ごめんね」
創は何か言いたげだった。でも、何も言わなかった。
きっと言いたいことは沢山あるはずだし、問い質したいことだって沢山のはずだ。
でもそれを、私のために飲み込んでくれている。
『謝んな。俺にはそれくらいしかできないみたいだしな。それに、アイツもきっとそうしろって言うだろうし』
「アイツ────?」
『ん? あれ、アイツって誰だ? ────まぁいい。とにかく、わかったよ』
不意に溢れた単語に私はすぐさま反応してしまった。
それを口にした創自身も違和感を覚えているようだったけれど、あまり気にしている様子はなかった。
でもその『アイツ』がもし晴香のことを指しているんだとしたら。
それは創の心の中に、まだ晴香が残ってるということかもしれない。
でも今は突っ込んではいけないと思った。
創から、みんなから晴香を消してしまったのは私だから。
だからいつか私が全てを取り戻して全てを解決した時は、責任を持って晴香が施した魔法を解こう。
晴香の死を悼む権利は創にも、他の人にも等しくあるんだから。
『それにしても、どうして急に話す気になったんだ?』
「色んなことがあってね、私も大切な友達を守りたい、助けてあげたいって強く思ったら、自分のしてること、考えちゃって……」
今までも友達を守りたいと思って戦ってきた。
でも今日の氷室さんの話を聞いて、より強く守りたいという気持ちが湧き上がってきた。
頼ってほしい、支えたい、守りたい。そういった気持ちが強まるほどに、自分が他人にかけている心配の大きさに気付いていったんだ。
人のふり見て我がふり直せ、じゃないけれど、立場が変わったことで見方が変わった気がする。
晴香には守られてばかりで何も返すことができなかったけれど、氷室さんのことは力になってあげられるはずだから。
それに、どうしても心を通わせることのできないでいる、かつての親友とのすれ違いも大きいかもしれない。
私が思い出せないレオとアリアとの日々。そしてどうしてもすれ違ってしまう私たち。
それを思うと、今こうしてくだらない話をし合えて、お互いを思い合える親友を大事にしたいと感じた。
もう一人しかいない幼馴染を、大切にしようって。
『なるほどな。因みにそれって、氷室だろ』
「え、何でわかるの……」
『お前の顔見りゃわかる。最近仲良いもんな。今日だってアイツ来てただろ?』
「うわぁ、幼馴染怖いなぁ〜」
学校とかで氷室さんと特別ずっと一緒にいたりはしていないし、特に氷室さんの話をしたわけでもないのに。
まぁ前から私が一方的に氷室さんのことが気になっていたのは、創も知っていることではあるけれど。
「でも私に務まるかちょっと不安はあって。私、ちゃんと寄り添えられるかなって。守ってあげれるかなって」
『大丈夫だろ』
守ってもらってばかりの私が、ちゃんと人の力になってあげられるのか、そこに迷いがあった。
でもそんな私の不安を、創は軽い言葉でさらっと流した。
『お前は自分にできることを、思ったようにやればいいんだよ。お前の場合、それで大抵なんとかなる』
「それ、流石にちょっと適当すぎない?」
『そんなことねーよ。お前はさ、難しいこと考えるより、心のままに動いた方が絶対いい』
「心のままに、か……」
何が正しいとか、どうするべきだとか、それ以前に私自身がどう思うか、か。
確かに、色んなことが入り乱れている現状では、頼れる指針は私自身の気持ちかもしれない。
私が氷室さんにとってどうありたいのか。どう守りたいのか。
そしてレオやアリアと、これからどう関わっていきたいのか、も。
「創にしてはいいこと言うじゃん。ありがと」
『しては、は余計だ。ま、俺はそんなお前に振り回され慣れてるからな』
「そっちの方が余計だよ。せっかく褒めたのにー」
私がブスッと返すと、創はクスリと笑った。
私もつられて笑みが溢れて、二人でささやかな笑いを共有する。
こうやって思ったことを素直に言い合える相手がいることが、どんなに幸せなことか。
『ま、俺にはなんもできないだろうけど、こんな風に話を聞いてやることはできる。だから、いつでも話せよ』
「うん、ありがと。少しスッキリしたよ」
良かれと思っても、やっぱり隠し事は気疲れする。
隠されている相手だっていい気はしない。それは、親密な間柄であれば尚更だ。
それが少し解消できただけでも、心にゆとりが生まれた。
それに曇っていた不安も、少しは和らげることができたし、今日こうやって話せてよかった。
『ただ、一つ約束してくれ。無茶だけはすんな。俺はちゃんと待っててやるから、ちゃんと帰ってこい』
「……うん、わかった。約束する」
ここが私の大切な居場所だから。
絶対に守りたい掛け替えのない日常だから。
何があっても失いたくない大切な日々だから。
晴香はもう私たちの元にはいないけれど、私の帰るべき場所にはまだ創がいてくれるから。
だから私は諦めない。自分の運命に負けたりしない。大切なものは全部守る。
そして絶対に、創が待つ日常に帰るんだ。
私は改めてそれを胸に誓って、創との通話を切った。




