6 責任の所在
心臓が爆発しそうなほどに激しく鼓動を打っているけれど、その動きを締め付けんばかりの心の痛みが襲った。
毛穴という毛穴から冷たい汗がドバッと溢れて、さっき乾かしてもらったのが嘘のように汗だくになった。
夜子さんの口から語られた言葉が私の頭の中をぐるぐると回り、けれどそれを正確に理解する落とし所が見つからずに暴れまわる。
手が震えるのがわかった。唇が戦慄くのがわかった。
座っている身体すらも支えることができなくて、私は力なくソファに身を預けた。
そんな私を見る夜子さんの目が優しげで、余計に私の気持ちを締め付ける。
どうして夜子さんがそんな顔をするの?
夜子さんはいつだってあっけらかんとして他人事で、人を試すように、人の移ろいを楽しむようにニタニタしているのに。
何でこの時に限ってそんな儚い顔をするの?
「……じゃ、じゃあ。じゃあ、じゃあ……!」
夜子さんは私が口を開くまで待ってくれていた。
混乱して暴れまわる頭を何とか落ち着けて、それでもまとまらない言葉を何とか吐き出す。
「じゃあ、『魔女ウィルス』の元凶が私の中にいる『始まりの魔女』だっていうのなら……今多くの魔女が死の恐怖に怯え苦しんでいるのは、私のせい……?」
お姫様である私の中にいる『始まりの魔女』ドルミーレが『魔女ウィルス』の元凶。
この力こそが多くのを人を魔女にしているのだとしたら、それは私の責任以外の何物でもない。
「私が、私が全部悪いの? 多くの魔女がウィルスによる死を恐れて、魔女狩りに襲われることに怯えてる。それは全部私のせい? 晴香が死んだのも私の────」
「それは違うよ。それは違う」
取り乱しそうになる私に、夜子さんは静かに言った。
私の肩を強く掴んで、その静かな瞳で覗き込んできた。
「アリスちゃんは悪くない。『魔女ウィルス』を広めたのはドルミーレであって君じゃない。ドルミーレとアリスちゃんは違うよ」
「でも、でも……! 彼女は言ってました。私は彼女だって。私はドルミーレから生まれた存在だって……!」
「彼女は君にそんなことを言ったのか」
思わず声を荒らげた私を責めることはせず、しかし夜子さんはその事実に溜息をついた。
けれどあくまで穏やかに、私を見つめてにしっかりと肩を握った。
「確かにアリスちゃんの中にはドルミーレがいる。ドルミーレこそがアリスちゃんの力だ。けれど彼女が何を言おうと、今ここにいるアリスちゃんは確固たるアリスちゃん自身だよ。他の何者でもありはしない。彼女のしたことの責任を君が感じる必要はないのさ」
「でも、私の中に彼女がいなかったら……」
「『魔女ウィルス』は大昔から存在していたものだ。アリスちゃんが作り出して振り撒いたわけじゃない。だから、そこに責任なんてないんだよ」
そう言って夜子さんはポンポンと私の頭を叩いた。
少し雑な触れ方だけれど、でも私のことを想ってくれているということは感じた。
少し荒々しいその手つきが、少し私の心を落ち着けた。
「むしろアリスちゃんは被害者とも言える。ドルミーレを抱えていることで、君はこの運命を背負うことになったのだから。君自身に責任なんてない。彼女の責任は彼女自身のものだよ。だからアリスちゃんは、自分を見失っちゃいけない」
「…………はい」
『魔女ウィルス』の全ての元凶が自分の中にあるなんて、とても受け入れがたい現実だった。
それを振り撒いたのが私ではないとしても、元凶を抱えている罪悪感がある。
「……あの、聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
なんとか気持ちを整えて私が声を上げると、夜子さんは私から手を離してゆっくりと応えた。
その顔を恐る恐る見ながら、私はおずおずと口を開く。
「『魔女ウィルス』の元凶がドルミーレなら、彼女がいなくなれば『魔女ウィルス』はなくなるんですか?」
「どうだろうね。そればかりは私にもわからないよ。ただまぁ、元凶である彼女ならどうにかすることはできるかもしれないね。あくまで憶測でしかないけどさ」
「じゃあ、『魔女ウィルス』に苦しむ人たちを救うためには、やっぱり私はその力をものにしないといけないということですね」
ドルミーレが元凶であり、『魔女ウィルス』を生み出した者なら、その力を持ってすれば何かしらできるかもしれない。
私の力として内側に眠る彼女の力を使いこなせれば、私に何かできるかもしれないんだ。
私自身に『魔女ウィルス』を振りまいた責任がないとしても、『始まりの魔女』を抱いている者の責任はある。
私にできることがあるとすれば、力をものにして、それを持ってしてこの事態をどうにかする。それだけだ。
「……アリスちゃんは強いねぇ。ドルミーレのことを知っても尚、君の心は折れないんだね」
「私は強くなんてありません。今だって現実に押し潰されそうです。でも、私の友達には『魔女ウィルス』で苦しんでいる子が沢山いる。晴香はそれで命を落とした。私が力を手にすることで苦しむ人を救うことができるのかもしれないのなら、私は何としてもそれをしたい。それだけです」
夜子さんはそうかと頷いて緩い笑みを浮かべた。
それはどこかホッとしているような安心しているような、そんな表情だった。
受け入れがたい事実に心は押し潰されそうだし、そんなものが私の中にいると思うとそのおぞましさに胸がすくむ。
怖くて仕方がないし、辛くて苦しい。
ドルミーレと対面した時のことを思い出せば、確かにあの強大な存在感と堂々たる佇まいからは、ただならぬものを感じた。
今まで漠然としていた、私がお姫様であるという事実とその力。
そこに突きつけられたその生々しくも恐ろしい事実は、まだまだ受け入れ難いしできれば否定したい。
でも、もう十分目をそらしてきた。
だから私は前に進まなきゃいけないんだ。
事実を否定しても、現実から目をそらしていても始まらない。
今の私にできることは、全てを受け入れた上でこの運命にどう抗うか。
私を支え、守り、想ってくれる友達のためにも、私は今、ただひたすらに前に進むんだ。




