31 魔女ウィルスによる死
「じゃあまずは、アリスちゃんが『魔女ウィルス』についてどこまで認識しているのかを教えてもらおうかな」
私の顔を見てどこか嬉しそうに微笑んだレイくんが切り出した。
紅茶を一口含んでゆったりとソファに腰を沈めている。
「えっと、『魔女ウィルス』は感染した人を魔法が使える魔女にしてしまうもので、最後はその人を殺してしまうもの、だよね?」
「まぁざっくり言うとね」
私の返答にレイくんは苦笑した。
確かに簡単に言ってしまったけれど、改めて問われるとこういう言い方しかできなかった。
「もう少し細かいことを言いますと、『魔女ウィルス』の主な働きというのは、人を魔法が使えるものにすることではなく、人の肉体を細胞レベルで別の物に書き換えることなのです」
「そうなんですか? 『魔女ウィルス』っていうくらいだから、人を魔女にするのが基本なのかと……」
優しい口調で付け加えてくれたクロアさん。
私がぽかんとした顔を向けると、温かい笑顔を向けてきた。
「もちろん、最終的にそうするからこそのその名ではありますが。しかし『魔女ウィルス』は感染した人間の肉体を変質させる。それこそが本質なのです」
「つまり感染者が魔法を使えるというのは、飽くまでその結果なんだ。僕らが魔女と呼んでいるものは、『魔女ウィルス』の影響としては副次的なものに過ぎないのさ」
クロアさんの蝋のように白い手が私の膝に優しく置かれる。
少し弱々しく思えるような遅い指先。
けれどその手先でさえ温かい柔らかみを感じる。
「じゃあ、『魔女ウィルス』の目的、というか主な行動原理は人を魔女にすることじゃなくて、人を殺すこと……?」
「うーん。まぁその辺りはなんとも言えないんだけれど、まぁ概ねそういった解釈でいいかな。『魔女ウィルス』は人の肉体をそうじゃないものに書き換える。そう理解してくれていれば構わないよ」
レイくんは釈然としない顔で言った。
まだまだ私に理解しきれていないことがあるみたいだった。
「姫様は、『魔女ウィルス』による死がどのようなものかはご存知でしょうか」
「あの、いいえ……」
「でしたらまずその辺りからお話しなければ、転臨の話まで行けませんね。お気になさらず。きちんとご説明いたしますとも」
私が首を振ると、またクロアさんは微笑んだ。
とにかくこの人は私に優しい笑顔を常に向けてくる。
それもただ笑いかけてくるんじゃなくて、包み込むような温もりに満ちた笑みで。
「『魔女ウィルス』は人の肉体を蝕み、書き換える。それが肉体全体を食い潰した時こそがその者の終わりの時である。それはご存知でしょうか?」
「はい。それは、なんとなく」
「でしたら話はそう難しいことではありません。『魔女ウィルス』に己の肉体全てを蝕まれ、食い潰され、人とは違うものに書き換え尽くされた者が迎えるものが、死でございます」
言葉の上でなんとなくわかっている。
でも実際問題『魔女ウィルス』に食い潰されるという状況がイメージできていない私は、その状況を正確には想像できていなかった。
「俗に魔女と呼ばれる状態は、言わば『魔女ウィルス』の侵攻の過程。元々の人としての肉体と、書き換えられた肉体を共存させている状態さ。故に人の形を保ったまま魔法を使える存在となるのさ。そしてその全てを喰らい尽くされ、本来の肉体を失うと死んでしまうのんだ」
レイくんの補足はかえって小難しかった。所々引っ掛かりを覚える。
でも今気にするところはそこじゃない気がして、私は特に突っ込まなかった。
「アリスちゃんも知っているだろう? 魔女は魔女として過ごした時間が長い程、まぁ言い方によっては経験を積んでいれば積んでいるほど強くなれると。それはもちろん経験値的な意味もあるけれど、つまりは時間と共に侵攻が進んでいることの表れなのさ」
「じゃあ、強い魔女ほど死に近いってこと?」
「それがそうとも言いきれないんだよね」
私の問いかけにレイくんは眉をひそめた。
話はそう単純ではないらしい。
「その辺りは適性のお話になってくるのです。そもそも『魔女ウィルス』は誰しもが感染するものではなく、ウィルスとの相性によるのです。それを私たちは適性と呼びますが、適性がある者が感染し、そしてその適性率が高ければ高いほどウィルスに対する耐久力も高くなるのです」
『魔女ウィルス』は人を殺すウィルス。
それに感染する場合のことを適性と表現することに、少し違和感を覚えた。
けれど今そこを指摘しても仕方がない。
「適性率が低い者は感染したとしてもウィルスに対する耐久力に乏しく、弱い者ではあれば数日で肉体を食い潰され死に至ります。しかし適性率が高い者はウィルスへの耐久力が強い故に簡単に食い潰されることはなく、その侵攻は緩やかなものとなる。その結果、侵食率の高い状態を保つことができるために、魔女として強力な存在へとなるのです」
「必ずしも魔女として生きた時間と強さがイコールになるわけではないけれど、概ねそういった解釈で問題ないよ」
なんとなくだけど、わかってきた気がする。
耐久力のある人は、死に近づいていっているとしても、侵攻のスピードが遅いから長く生きていられる。
逆に耐久力があまりない人は、どんどんと侵攻が進んでしまうからすぐに死んでしまう。
耐久力のある人は抗う力があるから、侵攻が進んでいるイコール魔女としては強力と言える状態、というのを保つことができる。
「だから理論上は適性率が低い者も、死の間際、つまり侵食がほぼ完了しきっている状態はとても強力になるともいえるけれど、まぁ普通そんな余裕はないしね。意味も必要性もないね」
レイくんは肩をすくめた。
確かに死の間際に強くなったって、その直後に死ぬのであれば意味はない。
でもそもそも、魔女として強い存在であることに意味があるのかと言われるとそれまでだけれど。
「さて。『魔女ウィルス』の侵攻とその適性のお話をした上で、これでようやく転臨に触れることができます。姫様、ついてこられていらっしゃいますか?」
私の頭を撫でながらの優しい問いかけに、私は控えめに頷いた。
そんな私を見てクロアさんは満足そうに微笑んだ。
まるで小さい子供に勉強を教えているお母さんのようだった。