67 お仕置き
※このお話には残酷な表現、描写がございます。苦手な方はご注意ください。
意識は急激に覚醒した。
まるで空白の時間などなかったかのように。
あの心の中での出来事は、瞬きの間のことであったかのように。
意識が戻って状況がすぐに頭に入ってくる。
何も進んではいない。状況は変わっていない。
アゲハさんの触手に貫かれて宙に晒される氷室さんと千鳥ちゃん。
鎌の刃に貫かれて倒れ臥すカノンさん。
カノンさんの傍で不気味な笑みを浮かべるカルマちゃん。
地面にへたり込んむ私を見下すアゲハさん。
何も変わっていない。さっきまでのことは全ては私の中での出来事。
現実の時間は進んでいない。だから、まだ間に合う。
でもおかしかった。この感覚はおかしい。
私の意識は確かに覚醒したけれど、身体の感覚がおかしい。
私が私じゃないみたいだ。内側から大きな力がこみ上げてきて、私を押しのけている。
『まほうつかいの国』のあの城で、初めてお姫様の力を使った時の感覚に似ている。
自分自身のはずなのに、どこか自分を俯瞰的に見ていて、自分じゃない自分が身体を動かしているような感覚。
今は俯瞰というよりは、後ろから見ているような感じだけれど。
自分が自分じゃないような感覚は同じだ。
激しい力の奔流が、私の意識を押しのけている。
『ふふっ』
私の口が勝手に動いて微笑んだ。
かと思うと、腕を一振り大きく動かした。
それと同時に何かが断裂した、肉が断ち切れたような重い音がした。
「アリス、アンタ……!」
アゲハさんが声を上げる。
その声は驚愕のような、けれどどこか嬌声のような。
私と、そして今起きたことに目を向けて、大きな声をあげた。
私の手には既に『真理の剣』が握られていた。
今その一瞬で、その一振りで、氷室さんと千鳥ちゃんを貫き捕らえていた触手を断ち切っていた。
けれどどこかおかしい。私の手に握られているのは確かに『真理の剣』。
確かにそうであることはわかるのだけれど、それは私の知っているものとは違ってた。
私が知っているそれは、全てが白で染まった純白の剣。
けれど今私の手に握られているのは、その形やデザインこそ同じものの、対照的な漆黒の剣だった。
黒い『真理の剣』の一振りで二つの触手は断ち切られ、吊るされていた二人は解放されて地面に落ちた。
「やればできるじゃん」
そんな私を見てアゲハさんは嬉しそうに笑った。
私が取り出した剣を見て、そしてそれが起こした結果を見て、とても嬉しそうに笑う。
でも、違うんだ。おかしいんだ。
なんだか私じゃないみたい。
確かに私の意識ははっきりしているのに、この体に私の意思は反映されていない。
剣を取り出したのも、振るったのも私じゃない。
別の誰かが、私じゃない誰かが、この身体を動かしている。
私はそれを、ただ後ろから見ているようなもの。
私じゃない誰か。そんなの今考えられるのは一人だけ。
これは、今の私を動かしているのは、ドルミーレだ。
「いいよアリス! やっと力を出したね! その調子でもっともっと引き出しちゃってよ!」
『じゃあ、お望み通りに』
私の口から私の声で、私ではない言葉が飛び出した。
それと同時に振るわれる剣。力強く振るわれたそれは、アゲハさんめがけて魔力の奔流のような斬撃を飛ばした。
ドス黒い衝撃波のような斬撃は、歓喜に満ちていたアゲハさんを一瞬で飲み込んだ。
周囲一帯を巻き込むほどの衝撃に視界が埋め尽くされる。
しかしその結果を見届ける前に私は動き出していた。
瞬時にカノンさんの元まで移動すると、その身体を貫いている鎌を剣で打ち砕いた。
鎌は剣が触れた瞬間に粉々になって霧散した。
カノンさんの大きな傷口からドバッと血が溢れる。
「ちょっとっちょっと〜! 何してくれちゃってるのかな?」
そんな私目掛けてカルマちゃんが飛び込んでくる。
戦いの傷はもう癒したのか全くの無傷で、その両手に大鎌を構えて斬りかかってくる。
けれど今の私にはその動きは遅すぎて見えた。
再び剣を振るって鎌を消し飛ばすと、空いた片手をカルマちゃんに向ける。
その瞬間私の手から電撃が迸って、カルマちゃんの身体を貫いた。
カルマちゃんはビクンと身体を大きく痙攣させながら吹き飛んでしまう。
足元で倒れるカノンさんを一瞥してから、触手から解放された氷室さんと千鳥ちゃんを見やる。
次の瞬間、二人は私の足元まで引き寄せられていた。
そして三人を覆うように、透明なバリアのような膜が球状に張られた。
球状の膜に三人が覆われた瞬間、まるでテープの逆再生のように傷が見る見るうちに塞がっていくのが見て取れた。
この膜がここに治癒の空間を作り出しているようだった。
今にも死んでしまいそうだった三人の傷がどんどんと癒されていく。
血の気の引いていた顔には赤みが戻ってきていた。
その様子に私はホッと胸を撫で下ろす。
けれど依然この身体は私の言うことを聞かなくて、飽くまでドルミーレの意思で動かされていた。
気持ちは三人に身を寄せたいのに、体がそれを許してくれない。
「……花園、さん……」
うっすらと目を開いた氷室さんが弱々しく呟いた。
私はそんな氷室さんを見下すことしかできない。
けれど氷室さんの瞳が私の目を捉えて、訝しげに揺らいだ。
「あなたは……花園さん、じゃ……」
『あなたはまだ寝てなさいな』
氷室さんの呼びかけに応えたのは私のものじゃない言葉。
けれどその一言で、氷室さんは目を見開いた。
「やってくれんじゃない!!!」
氷室さんが再び口を開こうとした時、怒声とも取れる叫びが響いた。
黒い斬撃の奔流の跡から、土煙を破ってアゲハさんが飛び上がった。
その姿には至る所に爛れた傷が見て取れる。今の私の攻撃を正面から受けて、だいぶダメージを負っているようだ。
どんな攻撃を受けてもすぐに治ってしまう回復力をもってしても未だ完治していないところを見ると、相当な傷を負ったのは間違いない。
「いいじゃんアリス! 調子出てきてんじゃん! そのまま一気に最後までいっちゃいなよ! そしたら私たちの勝ち! 魔女の時代の再来だ!」
『魔女の時代、ねぇ』
大空に舞い上がり、歓喜の声を上げるアゲハさん。
私から溢れ出すお姫様の力に、そしてそこから振るわれた強大な力に舞い上がっている。
けれど、そんなアゲハさんに対してドルミーレは冷たく言い放った。
その瞬間、六本の黒い剣がどこからともなく降ってきて、私を取り囲むように地面に突き刺さった。
それはどれも『真理の剣』だった。私の手にあるもの以外に、『真理の剣』が更に六本。
その六本は宙に浮かび上がると、柄を中心にして花が開くように円を作った。そして私の背中にやってくると、その六本の剣はまるで翼のように私の後ろで広がった。
その瞬間、大きな魔力が膨れ上がって弾け飛んだ。
剣の一本一本が凄まじい魔力を発している。
それを身につけたことで、私自身がまとう力が爆発的に増えた。
内側から爆裂する力の奔流に、全身が躍動した。
三つ編みは解け、降りた髪が波動に流れて踊り乱れる。
踏み込む動作も羽ばたく動作もなく、私は唐突に急激に飛び上がった。
音の壁を超えているかのように、衝撃波をまといながらの高速の上昇。
すぐに上空のアゲハさんの眼前まで辿り着き、容赦のない一振りがアゲハさんの羽を一つ切り落とした。
「────!」
アゲハさんが悲鳴をあげる暇もなく、空いた片手で背中に展開するもう一振りの剣を握って今度は片腕を切り落とす。
切り落とされた羽と片腕が落ちていった。かと思うとそれはグズグズと腐り、あっという間に朽ちて空中で霧散した。
けれどその代わりにアゲハさんの傷口がぐにゅぐにゅと蠢いて、そこから新しい羽と腕が生えてきた。
奇妙でグロテスクな再生能力だった。
切り落とされた肉体すらすぐに生やせてしまうのであれば、確かにどんな傷も問題ないんだろう。
とても人間のものとは思えない。その傷の癒し方は、人間をやめて化け物になってしまったかのように見えた。
『可哀想な子。私が楽にしてあげる』
そう口にすると、再生したアゲハさんを尻目に私は更に高い所まで飛び上がった。
そして遥か上空からアゲハさんを見下すと、一振りの剣を向けた。
『あなたに、本物の魔女の魔法を見せてあげる』
剣先を中心に、大きな魔法陣が空中に描かれた。
そしてそれに呼応するようにアゲハさんの足元にも同じ魔法陣が展開して、アゲハさんは二つの紋様に挟まれた。
私の背中で展開していた六本の剣が宙を舞い、魔法陣の中へ円の淵に沿って差し込まれる。
その切っ先は全て、下にある魔法陣の中心、アゲハさんに向けられていた。
「なにこれ!? なんなのこの力!? 動けない! 嘘でしょ!? こんな馬鹿げた力が!!!」
アゲハさんは足元の魔法陣によって完全にその動きを封じられていた。
全く身動きの取れないアゲハさんは、括り付けられた的でしかない。
『失敗した模造品。分を、わきまえなさい』
そう口にした瞬間。魔法陣に差し込まれていた六本の剣が全て一斉に射出された。
狙い定められた的、下に広がる魔法陣の中心、アゲハさんに向かって。
膨大な魔力と衝撃波を伴う勢いで放たれた剣は、容赦なくアゲハさんの身体を抉った。
抉り突き刺し裁ち落とした。それはもう剣というよりは、隕石のような弾丸。
触れるものを破壊する、ただそれだけのものだった。
肉体をずたずたに裂かれたアゲハさんに向けて、私の手にある最後の剣の先が煌めいたかと思うと、全てを飲み込むような極光が放たれた。
光線とかビームとか、そんな言葉では形容できない。
目の前のものを全て消し飛ばすようなエネルギーの奔流が、残るアゲハさんの身体を飲み込んだ。
魔法陣から放たれたその極光は、下の魔法陣を突き抜けて地面にまで降り注いだ。
爆発のような衝撃が巻き起こる。風と砂塵が舞い上がって、光が消えた後も視界を埋め尽くした。
そしてしばらくして視界が晴れ、陥没した地面が見て取れた。
そこには胸から下が消し飛び、頭と肩口が辛うじて残っているアゲハさんが無残に転がっていた。
「────────」
声にならない掠れた吐息のような音が、微かにその口からこぼれていた。
失った体の断面がぐにゅぐにゅとゆっくり蠢いて再生しようとしているけれど、さっきほどのスピードはなかった。
『まだ生きているなんて。案外しぶといのね。それが幸運かは知らないけれど』
飛んで行った剣が戻ってきて、再び背中に羽のように展開する。
無残な残骸のようになってしまったアゲハさんを冷たく見下ろして、私の口はそう言った。
「隙あり〜!」
瞬間、私の首に鎌の刃が食らいついた。
それがカルマちゃんが振るった一撃であることに私が気付く前に、既に私は身を翻してそれを避け、カルマちゃんの頭を掴んで強引に地面に叩き落とした。
そしてカルマちゃんが地面に叩きつけられるたのと同時に、地面へと急降下する。
地に伏したカルマちゃんに向かって手をかざすと、黒い光の帯がカルマちゃんの手足を拘束して宙に縛り上げた。
だらりと項垂れるカルマちゃんに、雷がいくつも落ちた。
雷がその身に落ちるたびに、カルマちゃんはビクンと跳ねる。
そして幾度となく雷に撃ち抜かれてピクリとも動かなくなったカルマちゃんに、止めとばかりに剣を振るったその時。
「────もうやめろ、アリス!」
その剣を木刀が押し止めた。
カルマちゃんに振り下ろされようとした剣は、カノンさんの木刀によって防がれていた。
傷はまだ完全に塞がっていないように見える。
けれど肩で息をしながら、まだ折れていない強い瞳で私を見ていた。
「アリス、やりすぎだ……」
カノンさんの声が、私の耳にじんわりと届く。
その声で体から分離していた私の意識が、徐々にその距離を縮めていく。
まるでその声に呼ばれているように、引き寄せられるように意識が体に近付いた。
「目を覚まして……アリスちゃん────」
どさりと、後ろから体重がかかる感覚があった。
氷室さんが私に後ろから抱きついている。
その感覚が、その感触が、私を急激に引き戻した。
氷室さんの言葉が、心が、想いが。
そんな色々なものが私を手繰り寄せた。
『ま、今日はこのくらいでもいいかしら。気は晴れたしね』
そんな声が私の頭の中で響いた。
それと同時に、背中に浮いていた六本の剣はさらりと霞となって消え、私の手にある『真理の剣』からは黒い色が抜けて元の純白に戻った。
今まで散々好き勝手に人の体を使っておいて、引き際はあっさりしていた。
確かに力は貸してくれた。お仕置き、と言うにはやりすぎにもほどがあるけれど、彼女の目的も達した。
これ以上はもういいという風に、急激にドルミーレの感覚が遠のいていった。
体から大きな力が一気に抜けて、急激に心と体がリンクした。
全ての感覚と意識と権利が私に返ってきて、私はその腕をだらりと下げた。




