33 居場所
「なんて顔してんのよアンタ」
ムギュッと鼻を摘まれた。
落ち込んだ気持ちが顔に出てしまっていたみたい。
そんな私に困り顔で微笑みながら、千鳥ちゃんは平然として言った。
「別にアンタが気にするような事じゃないでしょうが」
「でも、私千鳥ちゃんのこと何にも知らなかったんだなって思ったら、なんだか……」
「だから私に私のこと教えろって言ったんでしょ? バカねぇ」
摘まれた鼻がジンジンする。でも千鳥ちゃんはニッと笑っていた。
千鳥ちゃんにとってはその全てが過ぎたことで、もう気にする必要のないことなのかもしれない。
「向こうの世界は、魔女にとっては生きにくかった。ウィルスによる死よりも、魔女狩りに襲われることを恐れる日々だった。魔女になってしまった瞬間その存在を否定されて、周りの全てから蔑まれて、挙句に命を狙われる。自分の命すらギリギリなのに、死を振りまくと恐れられる。ろくなことがなかったわ」
同じ魔女でも、魔法が元々存在しなかったこちらの世界では体験することのない日々を、千鳥ちゃんは、向こうの魔女は過ごしていたんだ。
こちらの魔女が恐れるのは『魔女ウィルス』による侵蝕だけ。
もちろんそれによる死も十二分に恐ろしいけれど、自分の身に直接降りかかる殺意はまた別の恐ろしさがある。
それに元々魔法が存在しないこちらの世界の人々は、そもそも魔女の存在を知らないわけで、魔女だとしてもそれによる風評被害を受けない。
魔女であることに気づかれないし、もし気付かれたとしても、それが意味することを知らないから迫害されることもない。
世界の仕組みや辿ってきた過程が違うから、生きやすさが全く違うんだ。
向こうの魔女は戦うものが多すぎる。ウィルスによる死の恐怖。魔女狩りに襲われる恐怖。迫害され侮蔑される孤独と苦痛。
きっと向こうの魔女から見れば、こちらの魔女はまるでぬるま湯に浸かっているように見えるんだろうな。
「でも、ならどうして魔女はみんなこっちに来ないの?」
「あのね、世界間移動はそんなに簡単じゃないの。夜子さんも言ってたでしょ? 魔法使いですら大掛かりな儀式が必要なのよ。単身でちょちょいのちょいってやってのける夜子さんが化け物なのよ。だから魔女の多くはこっちに逃れることを夢見ながらも、叶わないことの方が圧倒的に多いの」
「じゃあ、千鳥ちゃんはどうやって来たの?」
「私は……」
千鳥ちゃんは少し迷うように目をキョロキョロさせてから口を開いた。
「私は、ワルプルギスのやつらのゲートに紛れ込んだのよ。奴らは奴らで、独自の方法を確立させてるの。あそのこのリーダーも相当の魔女だしね」
ワルプルギスのリーダー、真奈実さんことホワイト。
確かアゲハさんはもう帰ったと言っていたし、ワルプルギスの魔女はある程度自由に往き来ができるんだろう。
「とにかく、いいのよそんなことは。こっちに逃れられれば基本は平穏だったから────ついこの間までは」
そう言って千鳥ちゃんは溜息をついた。
「こっちに来れば、もう魔法使いとゴタゴタしなくていいと思ってたのに。アンタが奴らに見つかってこっちに呼び寄せちゃって、魔法使いはこっちの魔女の存在に気づいちゃった。アンタの話じゃ、向こうみたいに一人ずつ殺して回るようなことはしないみたいだけれど、それでも危険度はぐっと上がった」
「ごめんなさい……」
「アンタが謝ることじゃないわよ」
アンタも被害者みたいなもんでしょ、と千鳥ちゃんは眉を寄せた。
「でもアンタはもっと自分について知るべきよ。自分が何者で何をするべきなのか。アンタはお姫様なんだから。いつまでも無自覚のままだと、死ぬわよ」
「……うん。千鳥ちゃんは、お姫様の時の私のこと知ってる?」
「残念ながら。もちろん話は聞いていたけれど、私はアンタには会ってない。だからお姫様のアンタがどんな奴だったかは知らないの」
「そっか。そうだよね」
そう都合よくはいかないか。
私の過去の真実には、そう簡単にはたどり着けない。
「それでも自分があるだけアンタは幸せ者よ。今のアンタも昔のアンタも、どっちにしたって確実にアンタの居場所がある。私とは大違い」
「千鳥ちゃんだって、今は居場所があるでしょ?」
「名前は本当じゃない、ここだってただの居候だし。今の私はきっと、本当の自分じゃない」
その言葉は今を受け入れているようで、でもどこか寂しげだった。
帰る場所はない。だからといって今いる場所もない。自分自身も不確かで、千鳥ちゃんはずっと宙に浮いている気分なんだ。
「私が……友達が居場所にならないかな?」
「アンタなら言うと思った。生意気!」
そう言って千鳥ちゃんはまた私の鼻を摘んだ。
「ま、そう思うのもいいとは思うけどね。でもさ、時々思うのよ。名前も捨てて、家族も世界も全て捨てて、私って何なんだろうって。もう昔の私だった頃のものなんて何も残ってない。だからといって今の私は全部偽り。私、生きてる意味あるのかなってさ」
そう気落ちしたように言った千鳥ちゃんに、今度は私が鼻を摘んだ。
「何すんのよ!」
「そんなことない! 千鳥ちゃんには意味があるよ!」
「何を根拠に!」
「私が一緒にいて楽しいから!」
「はぁ!?」
首をぶんぶんと振って私の手を振り払う千鳥ちゃん。
眉を釣り上げてぐっと睨んでくるけれど、私も負けじと千鳥ちゃんを見つめた。
「私、千鳥ちゃんとこうして喋ってるの楽しいと思う。だからもっともっと色んな話したいし、もっと一緒にいたいと思う。だから千鳥ちゃんにはここにいる意味があるよ」
「アンタねぇ、相変わらずめちゃくちゃなんだけど」
意味わかんないと肩を竦める千鳥ちゃんに、私は精一杯笑顔を向けた。
「そんなことないよ。だって私たち友達でしょ? 友達と一緒に居たいって思うことは当たり前のことだもん。だから千鳥ちゃんには意味があるよ。友達がいる所が千鳥ちゃんの居場所。それじゃ、ダメかな?」
千鳥ちゃんは目を丸くして私のこと見つめて、それから困ったように眉を寄せた。
「アンタって、ホント変わってる」