32 拾われた
「それで、千鳥ちゃんはどうして夜子さんのところにいるの?」
それからしばらくは取り留めない雑談をして、私はふと疑問を口にした。
夜子さんは悪い人ではないけれど、正直千鳥ちゃんと相性がいいとは思えない。
一体どうして一緒にいるようになったのか、それがちょっぴり気になった。
案の定というか、千鳥ちゃんは難しい顔をした。
別に怒っているわけではなさそうだけれど、あんまりその話をしたくないのか、ぐっと眉を寄せて不機嫌な顔になってしまった。
「ごめん。別に話したくないことならいいよ。詮索する気はないの」
「いいわよ別に。隠すような話でもないしさ」
私が慌てて謝ると、けれど千鳥ちゃん意外にも話す意思を見せた。
でもやっぱりどこかブスッとしている。聞いた手前あれだけれど、別に無理して話さなくてもいいのに。
「私は、夜子さんに拾われたの」
「拾われた……? そんな捨て猫を拾ったみたいに」
「夜子さんにとってはそんなもんよ。私も捨てられたみたいなもんだしね」
またさっきみたいに、体育座りした膝に顔を埋めてしまう千鳥ちゃん。
本当に千鳥ちゃんは感情表現の激しい子だ。楽しい時や嬉しい時はパァっと子供みたいに笑うのに、嫌な話やネガティブな気分の時はすぐに伏せってしまう。
まぁわかりやすくていいけどさ。
「そっかー。ちゃんとダンボールに入ってた?」
「それじゃあ本当に捨て猫じゃないの!」
「普段は意地悪な夜子さんのふとした優しさにキュンとする、ハートフルなお話が始まるのかな?」
「アンタはちゃちゃを入れないと私の話を聞けないわけ!?」
ピーピーと喚きながらポカポカと殴ってくる千鳥ちゃん。
怒っているように見えるけれど、でもその表情はだいぶ明るさを取り戻していた。
「そんな態度ならもう話してあげないから!」
「あーごめんごめん。ちゃんと聞くから! ちゃんと聞くから千鳥ちゃんに話してほしいなぁ」
ヘソを曲げてそっぽを向いてしまった千鳥ちゃんの腕に縋ってお願いする。
基本的に千鳥ちゃんは求められることに慣れていないようで、その程度のお願いですぐに機嫌を直した。
「ったく仕方ないわね。ちゃんと聞くんでしょうね」
「聞く聞く! なんなら正座して聞くよ!」
言うが早いかきちっと正座の姿勢をとる私を見て、千鳥ちゃんはクスリと笑った。
足痺れるから適当な所で崩すつもりだけどね。
それでやっと話す気になってくれた千鳥ちゃんは、ポツリポツリと口を開いた。
「今でもよく覚えてる。とっても冷たい雨が降る日だった。寒いしお腹空いてるし疲れきって動けないしで、私はそこら辺で倒れちゃっててさ。そんな私に声をかけてくれたのが夜子さんだったの」
千鳥ちゃんの語り口は案外柔らかかった。
その内容とは裏腹に、千鳥ちゃんにとってそれはそんなに暗い思い出ではないのかもしれない。
「『私の言うこと何でも聞くと約束するなら、食住は保証してあげよう。悪くない条件だと思うけどどうするかな?』って、ぶっ倒れてる奴に言う? 普通さ」
「夜子さんなら言いそうだなぁ」
「お腹空いて死にそうだったし、安全に過ごす場所もなかったし、私には選択肢がなかった。私は生きるのに必死で、助けてって手を伸ばして言ったんだけど……十回くらいは聞こえないって聞き返された」
最初から千鳥ちゃんには意地悪だったんだな、夜子さん。
初対面の時からその意地の悪さって、私が体感していないだけで夜子さんは本当は誰にでもそうなのかな。
それとも千鳥ちゃんという子が夜子さんの嗜虐心を煽るのかな。
「まぁそれからは見た通りよ。私は夜子さんから与えられる仕事をこなす代わりにここに住まうことを許されて、日々の食事を分けてもらってる。そして、名前ももらった」
「え、名前……?」
「千鳥ってのは私の本当の名前じゃないわ。夜子さんがそう呼んでるだけ」
それは知らなかった。だってそれはあだ名とか呼び名というわけじゃない。それは歴とした名前のようだから。
別に本当の名前じゃなくても、何か問題があるわけじゃない。
名前が違ったとしても、彼女が彼女であることに変わりはないし。
けれどそれはとても意外だった。
どうして違う名前を名付けたのかはわからない。
けれど普段はあんなに意地悪なことばかりしている夜子さんが、わざわざ名前をつけてあげるということはそれなりに親愛を抱いているからだろうし。
そう考えると普段のやりとりも少し微笑ましく感じる。あれはあれで、夜子さんの信頼の印なのかもしれない。
「初めて会った時、私お腹ペコペコだし疲れきってたし雨に打たれて衰弱気味で、ふらふらして真っ直ぐ歩けなかったのよ。そうしたらそれを見た夜子さんが『どうした、酔っ払ってるのかな? 千鳥足じゃないか。よし決めた。君をこれから千鳥ちゃんって呼ぼう』って」
「…………」
やっぱり夜子さんは夜子さんなのかもしれない。
あの人は本当に、自由奔放で他人のことなんてお構い無しだ。
困った時は助けてくれるから、あんまり悪いようには言えないけれど、でもそういう身勝手さみたいなものは確かにある。
「でも、そもそもどうしてそんなことに? ────あ、ごめん。言いたくなかったら言わなくてもいいんだけど」
「別に今更どうってことないわよ。」
また言いにくいことを聞いてしまったと思って慌てて付け加えたけれど、もう千鳥ちゃんは然程気にしていないようだった。
「私、向こうから来たから」
「え?」
「向こう。向こうの世界。具体的に言えば『まほうつかいの国』。私はそこから命からがらこっちの世界に流れ着いて、そこで力尽きてぶっ倒れていたのよ」
平然と、特に気にするそぶりも見せずに言う千鳥ちゃん。
こっちに流れてくる魔女がいるというのは聞いていた。現にカノンさんとまくらちゃんもそうだって言っていた。
けれど千鳥ちゃんもその一人だということは意外だった。
生まれた場所、生きてきた場所が違うからといって、千鳥ちゃんの印象が変わるわけじゃない。
でも、本当の名前も知らなくて、向こうの世界で生きていたことも知らなくて。
私はこの子のことを何にも知らないんだなぁって改めて思って、何だかちょっぴり寂しい気持ちなった。
それは本来気にする必要もない、当たり前のことではあるんだけど。それでも。何だか私は自分が情けない気分になってしまった。