23 楽しいから
「────花園さん!」
シンと澄んだ声で私の意識は急激に覚醒した。
さっきまで眠っていて夢の中に落ちていたのが嘘のように、パッチリと目が冴えた。
ベンチに腰掛けてまくらちゃんに膝枕をしたまま、うな垂れるように眠っていたらしい私が顔を上げる。
するとそこには、ポーカーフェイスにホッと安堵した表情を浮かべた氷室さんが、私に覆い被さるような体勢で見下ろしていた。
「氷室さん……」
「花園さん。よかった、目が覚めて」
その優しい声を聞いて、私はようやく無事に夢の中から帰ってこられたんだって自覚できた。
どのくらいの時間眠っていたのかはわからないけれど、状況は一変していた。
それは紛れも無い戦いの後だった。
私の夢の中から立ち去ったカルマちゃんが、二人に襲いかかったに違いない。
地面のいたるところは何かが切り裂いたように抉れていたし、木や街灯は折れたりひしゃげたりしていた。
私たちを守るように前に立つ氷室さんの額には汗が滲んでいた。
そしてその向こう側では、カノンさんが荒い息をしながら木刀を構えている。
『あっれれ〜? お姫様帰ってきちゃったのぉ〜? おっかしいなぁ。ちゃーんとプチンと潰したはずなんだけどなぁ』
相変わらずの人を小馬鹿にしたような声が空から降り注いでくる。
私の夢の中ではその姿を現していたけれど、ここでは依然隠れながら戦っているようだった。
「何だかしらねぇが失敗したみたいじゃねぇか。アリスが目覚めたことだし、お前も分が悪くなってきたんじゃねぇのか?」
『いや、別にそんなこともないけどねん。でもでも〜、失敗しちゃってカルマちゃんはご機嫌斜めかなっ』
カノンさんの言葉にクスクスと笑いを含めながら返すカルマちゃん。
彼女がどこまで真剣なのか、その言葉から全く測れない。一体何がしたいのかすらも。
「余裕ぶっこきやがって。てめぇがアタシに勝てたことなんてねぇだろ」
『それはこっちのセリフだよー。カノンちゃんがカルマちゃんに勝てたことなんてないでしょ〜? いっつも逃げてばっかでつまんなーい!』
「てめぇが姿さえ現しゃ、望み通りボコボコにしてやるよ」
『またまたぁ〜。カルマちゃんがこうしてこっそり戦ってるのは、カノンちゃんのためなんだからね? カルマちゃんがひょっこり顔を出したら、戦いになんかならないんだから。キャー、カルマちゃんやっさし!』
「てめぇ、何を言って……」
『な・い・しょっ!』
からかうように、そして挑発するように甲高く笑い声をあげるカルマちゃん。
気の短そうなカノンちゃんは案の定それに対して怒りに震えていたけれど、でもそれで我を忘れるようなことはなかった。
きっとカノンさんにとってはまくらちゃんが第一優先で、まくらちゃんを守るために無茶なことはしないように気をつけているんだと思う。
「ねぇ! あなたは何がしたいの!? 何が目的でこんなことしてるの!?」
二人の言い争いに収拾がつかなくなってきたと感じて、私は空に向かって叫んだ。
だってカルマちゃんの目的が見えない。まくらちゃんを狙っているのだって理由はわからないし、こうして襲いかかってくるのだって。
私はお姫様だからというのは何となくわかるけれど、ワルプルギスの魔女なのに組織の方針を無視した過激なアプローチをする理由も見えてこない。
『何って、カルマちゃんは楽しいことがしたいの。楽しいことしかしたくないの。人を殺すのはね、楽しいよ!』
「楽しいって、そんな……」
『でもでも〜最近はずっとカノンちゃんの相手ばっかで飽きてきちゃってたの〜。だ・か・ら〜、お姫様にエンカウントできてカルマちゃんはめっちゃハッピーなのですっ!』
人をRPGのモンスターみたいに……。
カルマちゃんにとって人を殺すことも、そして私のことも遊びみたいなものってこと?
常におどけた口調で話すカルマちゃんからは、全く真剣味というものが感じられなかった。
『と、いうわけで! 今カルマちゃんの最優先事項はお姫様になりました! おっめでとうございまーす!』
「じゃあ、もうまくらちゃんを襲うのはやめるってこと?」
『んん? ちょっと言ってることよくわかんないけど、みーんな死ぬのは同じだよ?』
姿も顔も見えないけれど、カルマちゃんが溢れんばかりの笑みを浮かべていることだけはわかった。
確かにこの子は楽しんでいる。私たちに襲いかかって、そしてこうして迫っているこの状況を。
「そんなことさせると思ってんのか?」
『やだやだ、カノンちゃんったらこわーい』
威嚇するように暗闇に凄むカノンちゃんと、わざとらしい声をあげるカルマちゃん。
『まぁ、今日はテンションガン下がりだし、疲れちゃったのでこれくらいにしてあげてもいいかなぁ〜って』
「逃げんのか!」
『逃げる逃げる! すたこらさっさってねん! だってカルマちゃん、殺すのは好きだけど別に戦うのが好きなわけじゃないもん。カノンちゃんは怖いしさー。基本的にカルマちゃんは、寝込みを襲ってさっくり殺すのが好きなのです! 三対一なんて超サイテー』
だからいつも、まくらちゃんが眠っている時に襲ってくるんだ。
そして今までは、それを知らなかった人たちが一緒に眠っていて殺された。
今はカノンさんが守っているからそれができないんだ。
『カノンちゃんと遊ぶのも飽きてきたことだし、そろそろ終わりにしないとねん!』
「上等じゃねーか。いい加減この生活にうんざりしてきたとこだぜ」
『寝不足はお肌に悪いもんね〜。んま、そういうことなので、次あたりには真面目に殺してあげるね!』
「やれるもんならやってみろ! 返り討ちにしてやる!」
『カノンちゃんにはできないと思うけどねー。だってカノンちゃん、やさしいもん』
ウフフとバカにしたように笑う声が、段々と遠ざかっていくような気がした。
『もうカルマちゃんの中ではお姫様が最優先なの。ゲットしてリーダーにいい子いい子してもらうことしか頭にないの。だからもうカノンちゃんと遊んでる余裕はないの。だからサクッと殺しちゃうからね。でもしばらく遊んでくれたお礼に、明日の夜まで待ってあげるっ! 』
少し遠くなったカルマちゃんの声が、まるでエコーがかかったように響く。
『その間に心の整理でもしたらいいんじゃないかな? うわーカルマちゃん優しいねー!』
「ナメたこと言いやがって……!」
『それでカノンちゃんを殺した後に、お姫様の心を今度こそブレイキング! 超完璧な計画! 惚れ惚れしちゃうっ!』
一人楽しそうにカルマちゃんは笑う。私たちは笑えない。
カルマちゃんという魔女は、どうしようもなく何かが壊れていた。
『だから明日の夜までにしっかり覚悟決めてー、それから心の整理して、万全の体制で私にこーろさーれてっ! そのために時間あげるんだから、サボっちゃダメだからね! じゃ、今日はこの辺にしておいてあ・げ・るっ! おっぼえてなさいよ〜! キャハッ』
そんなアニメの三下みたいなセリフを楽しそうに吐き捨てて、カルマちゃんの声は完全に聞こえなきくなった。
いなくなってはじめて、近くにいたであろう気配がなくなったことを感じる。
突然現れて引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、勝手にどっかにいなくなってしまった。
私はただただホッとして。胸を撫で下ろすそんな私の頭を、氷室さんは優しく撫でてくれた。
怒りに震えたカノンさんの声が、もうカルマちゃんのいない暗闇の中に静かに響いた。