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1.出会い

 俺が命を狙われるのは、何か良くないことを知っているかららしい。あの戦争で俺は多くのものを失った。そんな俺からまだ奪おうというのか、俺たちが命を掛けて守ろうとしたこの国は…。


***


 コンサートホールで歌う彼女は所謂歌姫と呼ばれる人種らしい。官僚になることを決めた俺は英雄という立場を利用して某有名大学に入学した。入学試験は免除、学費も半額負担。言うことない待遇だが、時折友人と称する者達につれられてこういう場所に行くことになるのは計算外だった。計算外なことはもう一つあった、入学式の壇上で何故か入学生代表の演説をやらされる羽目になったことだ。本来なら入学試験の主席がそれを行うはずだったのに、生きた英雄の方がマスコミの受けがいいと言うことでやらされたわけだ。おかげで本来演説を行うはずだったやつからは恨まれ、今でもたまに嫌がらせを受ける。

 だが、その嫌がらせというものは存外稚拙で、死線をかいくぐった俺にとっては可愛らしいと感じる程度のものだったため、退屈な学生生活のよい暇つぶしとなってこちらとしては大歓迎だったのだが…。

 まあ、あいつのことは今はおいておくとして。俺は歌姫の声に耳を傾けるふりをしてホールを見回した。


 あの戦争でこの国が受けた被害はけっして小さいものではなかった。しかし、復興にはそれほど時間はかからず4年経過した今では経済状況も平常時と変わらない水準まで持ち直すことが出来たようだ。

 今となっては週末にこうしてホールに足を運ぶことが出来るほどこの国は安定している。

 敗戦国であるにもかかわらず、この国の人間は誰も戦争に負けたと実感していない。これがこの国の国民かと肩をすくめる俺を見て、隣に座る友人は俺が退屈しているように映ったのか周りの迷惑にならない程度の声で話しかけてきた。

「君はこう言うのは苦手そうだね。」

 苦笑を浮かべるそいつも言ってしまえば今回の被害者みたいな者だった。エドと名乗ったそいつは入学式の時も隣の席で、理事長の退屈で長い話を聞いて居眠りしていた俺を演説の前に起こしてくれたやつだ。

 お前もな。と俺が答えると、

「違いない。」

 といって席に身を沈めた。なかなか胆力のある奴だ。ゼミも同じになって付き合う内にこいつはタフな野郎だと感じるようになった。何より嘘をつかない。それが俺にとっては好印象で、気がつけば授業や昼飯、週末などこいつと付き合う機会が多くなっていた。

 俺は官僚を目指してこの学校に入ったといって周りの連中は特に驚きも関心もしなかった。なぜなら、この学校に通う連中の殆どは俺と同じ目標を持って入学した奴らばかりだったからだ。その分皆優秀で、試験免除で入学した俺は最初の半年間、奴らのレベルに追いつくことに精力を使い果たした。そうすると不思議なもんで、今まで毛嫌いしていた勉強というものがどことなく板に付いてきたように感じられたのだ。どうやら、俺は勉強向きな人間だったらしい。それが、この半年間で出した俺の結論で、今になってはそこそこの成績をキープできるようにまでなれた。といってもトップとは雲泥の差だが、いつか追いついてみせると意気込める程度にはなれたといったところか。

「そういえば、次の大統領選はどうなると思う?」

 唐突にエドはそんな風に話題を変えてきた。大統領選か、ちまたではホットな話題だが、正直なところ俺にとってはどうでもいいことだ。

 俺は、そうだな。といって考えるふりをすると、選挙に出馬する候補者の中で唯一覚えていた奴の名前を挙げることとした。

「アイゼン・ハールか…。やっぱりみんなそういうね。」

 エドの顔が少しかげった。なんだ?嫌いなのかあいつ。そう聞くとエドは何も言わずに首を縦に振った。

 アイゼン・ハール。前の戦争の英雄の一人で、戦争には負けたがやつが指揮した部隊は多くの功績を残し、前大統領から一等栄誉勲章を授けられたらしい。現在は退役しているが、なるほどそんな彼が大統領選に出るのはある意味王道だなと新聞を読んで感じていた。何せ、レベルが違いすぎるとはいえ同じ英雄である俺が官僚を目指すぐらいだから、大統領になりたがる英雄も現れるだろう。正直俺もあいつは好きになれんがね。

 テレビでやっていた出口調査では、並み居る候補者を押しのけて堂々のトップになっていたから当選はほぼ確実だろう。今日もここに来る時に街頭で演説をしていたのを目にした。あいつを信仰する友人を引っ張ってくるのは苦労した。人気者は羨ましくはないが、面倒だ。

 ふと、気を逸らしていたらコンサートホール全体から銃弾の雨のような拍手がわき起こり、全席に座っていた連中がみんなこぞって席を立って手を打っている。ふん、殆ど聞いていなかったがとりあえず俺も倣った方が良さそうだな。

 俺は立ち上がると手のひらが痛くならない程度に拍手を送った。全く心がこもっていないのは自覚するまでもなく分かっているがどうでも良かった。

「君の拍手は心を打たれるね。」

 と後でエドから皮肉をもらわれそうだが、それでもまあいい。

 名前を忘れてしまった歌姫は有名なピアノ伴奏者と握手を交わし、未だ鳴りやまない拍手に対して深々と頭を下げキスを贈った。

 俺たちは比較的舞台から近い席に座っていたため、時々彼女と視線があったりするが俺は取り合わなかった。他のものと比べて少しばかり俺の所に長く視線をおいていたような気がするが、まあ気のせいだろう。自意識過剰は控えた方が良いな。

 それにしても、この女。どこかであったことがあるような気がする。当然有名人だから雑誌やテレビに出演することも多いが、そういった感触ではなかった。なにかこう、埃っぽい印象と一緒に思い出されるのだ。

 歌姫は最後にアンコールにこたえ、初めてミリオンセラーを記録した有名な歌を披露し舞台を去っていった。

「素晴らしい歌だったね。来て良かったよ。」

 という自称友人に、ああそうだな、心が洗われるかのようだ。と全く心に思ってもいないことをすらすら口にし、流れる人の波に乗ってホールから出た。

「さて、どうする?カフェにでも寄っていこうか?」

 自称友人の一人がそんなことを言い出したが、残念なことに俺はそれに乗り気ではなかった。正直なところ人混みによってしまったのだ。さっさと寮に帰ってシャワーを浴びたい。この窮屈な服装から解放されたい。その欲求が勝り、普段なら仕方なく付き合う所を今回はおいとまさせてもらうことにした。

 少し残念そうな某友人と、一人だけ逃げ出してずるいという視線を投げかけるエドに今日の感謝と付き合えないことへの謝罪を口にし、さっさと帰ってしまうことにした。

 大通りは先ほどの会場から出てくる人の波にのまれ、とてもではないが歩ける状況ではない。仕方ない、裏道を通ってかえるか。少し大回りになるが、ほてった身体を冷やすにはちょうどいいだろう。

 俺はコンサート会場の裏道、通常ならホール業務員の通用口がある道へと姿を消した。

 この国はストリートチルドレンを生み出すほど貧富の差が激しいわけではない。しかし、その中にあっても社会からあふれた人間はいる者だ。

 裏路地に点在する新聞紙を布団にして眠る者達の間を縫いながら、俺は道を進む。時折、俺の足にすがりついて物乞いをする者もあったが、俺はそういう場合だけ幾らかの小銭を与えることとしていた。彼らの多くは誇り高い。そうやって縋り付く者は比較的少数なのだがそれでも数が少ないわけではない。俺は殆ど雀の涙程度にしか学費を払っていないので、実は金には困っていない。

 従軍していた数年分の給料と、捕虜になっていた数年分の給料、そして英雄として与えられた報奨金で実際の所4年程度なら学費の全額を負担しても十分やっていける程度には蓄えはある。半分ほど親元に残そうとも考えたが、父親がそれを許さなかった。

「子供から施しを受ける親が何処にいる。」

 といわれてしまえば手を引っ込めるしか他がないが、時折こんな風に贅沢をしていていいものかと思ってしまう。といっても俺の周りにいる奴らに比べれば十分質素な生活を送っているわけだが。

 そんな風に当てもない思考を巡らせていた俺には突然開いた扉にとっさに反応することが出来なかった。

「きゃっ。」

 そんなどこか可愛らしい悲鳴を上げて、扉から出てきた人物は俺とぶつかり危なく転びそうになった。俺は今度ばかりはとっさに反応し、その手をつかみ何とか彼女が転ばないように支えた。

 綺麗な手だ。白魚のようなというのはこういうのを言うのだろうか。それは女のようで、襟を立てたトレンチコートに身を包み鍔の狭い帽子を目深にかぶってメガネをしていた。どこか怪しい、しかしよくよく見ればその内にある表情はとんでもない美人であることに気がついた。

 俺はすこしだけ心臓を高鳴らせると、とりあえず非礼をわびた。

 どうやら俺が悪漢ではないことを分かってもらえたのか、彼女はホッと一息つくと、こちらこそ失礼いたしました、とまるで貴族のような仕草でちょこんと頭を下げた。頭を下げつつも上目で俺を伺っている以上、まだ完全に警戒心がなくなったというわけではなさそうだ。まあ、当然だな。こんな裏路地で出会う男なんて普通ろくでもねぇ奴らばかりだ。

 上品そうな物腰にしては格好が幾分奇抜で、おつきの者の姿も見えない彼女も十分怪しそうに思えるが、これは言わない方が良いだろう。

 そんな風に無遠慮に彼女に視線を投げていたせいか、彼女は少しおびえた風に一歩下がると改めて俺の顔を見た。

「あら、あなた・・。」

 ぽつりと漏らした彼女の一言を不思議に思うと、彼女は相好を崩した。次第に彼女の表情に浮き上がってくる笑みはどきっとするぐらい美しく、そしてどこか幼さを感じさせるあどけなさで俺は心音が激しくなることを感じた。

「あなた、コンサート会場で。前の方に座っていらっしゃった方ではありませんか?」

 コンサート会場?確かにそうだが、何故知っている?俺はそう疑問を返すと、彼女は失礼しましたといってまたお辞儀をした。

「私はエルメナ。さっきの会場で歌っていた者ですわ。本日はありがとうございました。」

 なるほど、そうか。先ほどからどこかで見たことのある顔だと思っていたのはそのせいだったか。彼女ほどの有名人なら人気のないところをこんな格好で彷徨いているのにも納得がいく。普段の姿で大通りを歩かれた日には警官が駆けつけるほどの騒ぎになってしまうだろう。

 まあ、それにしてもとんでもない人物とぶつかってしまったものだ。俺は少し焦るが、それを察したのか彼女は笑って大丈夫ですよ。と言った。

 あれが私の最後の舞台ですから…。と彼女が言葉を漏らしたことには驚いた。

 いや、殆ど耳に入っていなかったが、彼女の歌声は素晴らしいと誰もがそういう。それに、出る時に流し読みしていたパンフレットにはそんなことは何処にも記載されていなかったように思える。

 どういうことか。と俺が聞くと、彼女、エルメナは少し悲しそうな表情を浮かべ、いろいろありまして。と実に寂しそうな表情を浮かべた。

 聞かれたくないことだったのだろう。俺はそれ以上は立ち入らないこととした。

 それでは、俺はここで。といって俺は立ち去ることとした。

 これ以上一緒にいられない。戦場で培った勘が俺にそう告げたが、その決意は彼女が次に口にした言葉であっさりと崩れ去ることとなる。

 彼女は言った。

「私を連れ出してください。」

 と。

 冗談ではない、そんな面倒ごとに俺を巻き込まないで欲しい。俺はもうこりごりなのだ、何かを背負うのも誰かに背負われるのも。あの戦争だけで十分だ。

 しかし、俺の意に反して俺の行動はそれとは全く逆の道を選んだ。何故そうなってしまったのかは分からない。感情が理性を拒否した。そして、身体が感情に従った。おそらくそういうことだったのだろうと思う。

 俺は、迷うことなく彼女の手を取り、無言で彼女を導いた。裏路地のさらなる暗がりへ。誰も追いつけない未知の世界へ。

 俺は彼女を導いた。


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