ある幸せな少女の思い違い(仮題)
初投稿になります。
生温かい目でお願いします。
あぁ、死にたい。
この世界から消え去ってしまいたい。
誰も私が消えたことなんて気づかないだろう。
それならば、せめて私だけでも記憶に焼き付けたまま、静かに終わりを迎えてしまいたい。
『両親』は私を置いて旅行に行ってしまったのであと2日は帰ってくることはないだろう。
このロープに首をかけるだけで、私は最後まで私に無関心だった世界から去ることができる。
「……てー」
やや離れたところから何か音が聞こえるが、私には関係のないことだ。
「……すーけーてー」
この人里離れた山奥で静かに世界を閉じたいと思っている矢先、人の声が聞こえるなんてことはあってはならない。
少ししたら聞こえなくなるだろう。
「へるぷ……へるぷみー! そこに誰かいるんだろ?」
無視しようと思ったが、後顧の憂いを絶っておくというのも大切なことだろう。
目の前の、切り立った崖から身を乗り出し、正体を確認することとする。
「おっとそこの君! こんなところで会うなんて奇遇だね! そのロープをこっちに投げてはくれないかね?」
フシンシャガイタ。
無視しよう、そうしよう、私には関係のないことだった。
「待って! 待ってよ! そ、そうだ、僕を助けてくれたら、とっておきのアレをやろう」
アレが気にならないことはないが、普段人が立ち入らないこんな場所にいる白衣の男なんて、怪しいことこの上ない。
無視しよう、私はあんな人見なかった。
「そ、そうだ、君! 食べ物は、何か食べ物を持っていないかね? 朝ごはんを食べたっきりだったんだよ」
「………私には関係ない」
「ねぇ、そんなつれないこと言わないでさぁ。人助けをしないと神様からバチが当たるよ?」
「……神なんて存在してない」
「君も僕と同じようにココにアレしにきたんでしょ? 同類の好でさ…ね?」
同類、と聞き一瞬想像してしまう。
私がこの男を助けなければ、この男はどうなってしまうのだろうか、と。
望まずにがけ下に落ちてしまった男は、このまま餓死を待つしかないのか。
それこそ、誰に見られることもなく、気にされることもなく、行方不明者の一人として名を連ねることとなるのだろうか。
それまで、あの男は死への恐怖を抱きながら過ごしていくのだろうか、と。
それは、私を同じではなかろうか。
一人で、話しかけられることも、気づかれることも何もなく、ひっそりとこうして姿を消そうとしている私と。
いや、もっとつらいだろう。死が近づくさまをずっと見続けなければならないのだから。
一瞬で命を刈り取られる方がどれだけ楽か。
そしてあの男が死を恐怖しながら残された時間を待つ間、私に対して恨みを持つかもしれない。
誰にも向き合わず、誰の記憶にも残らないままこの世を去ろうとしている私にとって、あの男が恨みを持ち私を恨み続けることは、この世界に禍根を残す事となってしまうのではないだろうか。
もしかしたら同情なのかもしれない、いや、この男に自分を投影してそれよりも低位な自己憐憫に浸っているのだろうか。
それとも、男の言うように『同類の好』なのかもしれない。
気が付けば、首をくくるために持ってきていたロープを下に垂らしている自分の手が目に映る。
「お、おぉお! ありがとう! 助かった!」
まだ崖の下にいる男はすでに手首よりも細いロープが投げ出されたことで助かった気になっているようだった。
~
「ぜぇ、はぁ、はぁ…はぁ…はぁ…」
「はぁっはぁ…何とかっ…上がって…来られた…」
輝き始めたばかりだった夕日は今にも沈まんとしている。
赤光に照らされた男は、肩を激しく上下させながら息を整えている。
何やら派手な英語がプリントされたTシャツと、土のついた穴だらけのジーパンの上にシミだらけの白衣を羽織り、背負ったカバンからは何やら木が飛び出ている。
何日も髭を剃っていない様な不精髭の上には特徴的な形の鼻、更に最近ではあまり見ない丸眼鏡を掛け、ぼさぼさと乱れた髪は非常に不潔そうに見える。
今日は帰って寝よう。
縄は擦り切れてしまい、今日はこの闖入者のせいでそんな気分じゃなくなった。
何も言わずに帰ろうとする私に、後ろから声を投げかけるものがいた。
「今日は本当に助かった! ありがとう。そこで、約束したアレを君にやろう」
「……?」
「覚えていないのかい? アレだよアレ。君も欲しかったんだろう、ほれ」
そういえば、助けたら何かをくれると言っていた気がしないでもない。
彼に手を差し出すと、黒い何かが手の上に置かれた。
手の上で、ごそごそと蠢く。
「これは……」
「もちろん、オオゴキブリさ」
「は?」
夕日を受けて黒光りする平たいボディ、ゆらゆらと揺れる触覚。
イヤァァアアアアアアアア!
~
昨日は大変な目に遭った。
今日こそは、誰にも邪魔されることなく静かに首をくくることは叶うだろうか。
「おや、今日も君かい?」
センキャクガイタ。
そそくさと逃げようとする私を、白衣はカサカサと変な動きで先回りして足止めをする。
まるで先日渡されたゴキ…うわぁぁぁぁ思い出したくない!
「き、昨日は悪かったね」
昨日と同じ白衣の男は少し悪びれたように頭を搔いた。
謝るために先回りをしたのかと思うと少しは怒りが和らぐ気がする。
「てっきり、同業者の人かと思ってさ、ごめんよ」
大の大人が真摯に謝る姿なんて、久しく見ていなかった気がするので少し驚く。
いや、大人だけではない。私に対して誠意を持って謝ってくれた人なんて久しくいなかった。
靴を踏まれようが、教科書を破かれようが、殴られようが、いつだって悪いのは『私』なのだから。
返事をしない私の事なぞ気に掛けず、白衣の男性は懐を探っている。
「お詫びと言っちゃなんだけど、せっかくだし……」
そう言って差し出された手に、昨日の黒いアレを思い出して身構える。
前科のある者は信用されないのだ。
「少しおしゃべりでもしないかい?」
ひらいた掌の上に乗っているのは、黄色いキイチゴだった。
~
「これはね、モミジイチゴといってこの時期はとってもおいしいんだ。因みにナガバノモミジイチゴといって葉っぱが細長い種類もあるんだけどね」
昨日黒いアレを握りしめていた手から食べ物を受け取るのには少々抵抗があったが、食べてみると甘酸っぱくておいしいと感じた。
家で出されたハウス栽培のイチゴなんかよりよほど。
「僕はね、この森にオオゴキブリがいるって話を聞いたから、4時間くらいかけてここに来たんだ」
白衣の男…博士と呼ぼうか。
博士は独りでに語り始めた。
正直鬱陶しいと感じたが、また絡まれるよりはここで聞いておけば終わる。
「それでさ、すごくよさそうな朽ち木を見つけたからやった! と思って滑り降りたら案の定あの子がいたってわけなのさ。だけど、自分では上がれなくなっちゃってね、困っていたところに君が来たんだよ」
「……先のことくらい考えて行動しないの?」
「うっ」
大の大人が迂闊すぎる。
反応しないようにしようと思っていたが、つい口出ししてしまった。しかもダメージを受けているようだ。
少し悪いと思いながらも、行動自体は自業自得である。
「そ、そうだ、君は?! 君はどうしてここにいるのかい?」
いい話題が見つかったというばかりにすごい勢いでこちらに振り向いた。
博士のきらきら、いやギラギラと光る目に見つめられて、何と答えれば納得してもらえるかと考えるが答えは出ない。
「……何でもない」
「何でもないことないだろう、ここは来ようと思わないと来れないよ?」
答えるのを回避しようとしたが、博士は鋭かった。
「さ、山菜とかキノコとか取りに来た」
「それにしては採取する袋とか見当たらないくらい身軽だね」
博士は伊達に山に白衣で来る訳では無い位鋭い。
「写真を撮りに来た」
「カメラを持っていないのに、どうやって?」
「……虫を、採りに来た」
「同業者でないことはもう知っているよ」
「君は、なぜここに来たのかい?」
苦しい言い訳は論破され、もう一度、そう尋ねられた。
私は、なぜ、ここに……。
「私は……」
一息おいて、こう吐き捨てた。
「し……死にに来たんだよ!」
「別に何があったわけじゃない。いじめられはしたけれど、いまはそれさえない。誰とも話さず、誰にも見られず、誰も知らない私がいなくなっても何も変わらないだろう! ただ寝て、食べて、生きているだけの人生になんの意味があるっていうんだ!? 誰も私のことを気に掛けない、話しかけられない、知られないまま過ごしていくことがつらい。失敗をしても、それをとがめられることも、慰められることもされず、ただ放っておかれるだけ。そして、人は私に関心をなくしていく。過ちをただす機会さえ与えられないまま、彼らの中から私は消えていく。今では、記号のように機械的に読み上げられる点呼の時以外は名前さえ呼ばれない! もう、私がいてもいなくても何も変わりはしない。ならばこのまま、何もなさずにただ無為に生き続けるよりは、ここで終わってしまったほうが、どれだけ楽なのだろうか…そう思った」
博士は静かに聞いていた。
何も言わずに、聞いてくれていた。
「『○○さんはテストで満点取ったそうよ』『××くんは、全国大会に出ることが決まったんだって』『それで?』あなたはどうなの? と。私は器用じゃない、運動も得意じゃない、勉強も人並みで、これといった特技もない。友達もいない。家族も、クラスメイトも、社会だって私のことなぞ目に映るまい。私がここで、一人で死んだところで誰一人気づくことはないだろう。気づいたところで、ただ番号の一つが欠けたからって、悲しむ人なんて誰もいないに決まっている。私は誰にも好かれてはおらず、嫌われてもいない、無関心の中に住み続けているのだから」
私の言葉が途切れたところで、やっと博士が口を開いた。
「君なんて名前なのかい?」
「私は…木村 帆波。船の帆と海の波で帆波」
なぜ、そんなことを聞くのだろう。
名前なぞ、誰も呼ぶ人がいなければただの漢字と音の集合でしかないのに。
「帆波は、この草の名前はわかるかい?」
博士が指したのは、木の下に生えていた小さな草だった。
「知らない」
「この草の名前はどうかな」
「わからない」
「この草は?」
「見たことない」
「これは、チゴユリ。もう花は終わっているがね。これは、カンスゲ。あー、大分シカにかじられちゃって。おぉ、これはキジョランか」
「…だから何だというの」
植物の名前だって、その植物を知らない人にとっては何の意味もないものだ。
「帆波は、彼らが何か意味を求めて生きているように見えるかい?」
「意味……?草なんてただそこに生えているだけだろうに」
草に感情や意志、生きる意味を求めるなんてそれこそ意味がないだろうに。
そう言った私に、博士はこう返した。
「ノンノン、何を言っているんだね君は」
見事なドヤ顔で指を振る博士に怒りを覚える。
しかし、次の瞬間、真顔で続けた言葉に怒りは吹き飛んだ。
「そうさ、彼らは生きる意味を求めてここにいる訳じゃない。彼らは種を存続させるために彼らはここでひたむきに生活しているのだよ。彼らの生きる意味、理由はその一点に尽きる」
葉の上に残っていた露は、博士の指にはじかれると砕けて落ちていった。
「『意味』というのは、その物事が終わってみて初めて見いだされるものなのだよ。だから、帆波くん」
博士は一度そこで言葉を切り、私の目を見つめた。
博士はこれまで出会った人と同じように、私を憐れんでいる訳でも、私を嫌っている訳でも、私を傷つけようとしている訳でも、ましてや無視しようとしている訳では無かった。
「君は、生きることに意味を見出そうとするな。生きていることに価値を見出せばよいのだよ」
そう、私に対して言った。
「私が生きていても…そんな…価値はないだろう」
価値があるのならば、私はこんなに悩んでいない。
価値があるのならば、誰もが無視することはないだろうに。
私は私にそんな価値がないことを知っている。
「価値があると決めるのは君自身であり、他人でもある。生きることは、体験し、失敗し、成し遂げることだ。君が何かをし、それで何かを得られたのならばそれだけで生きていた価値があるってものじゃないか?例えばほら……」
茂みの奥に手を突っ込むと、先ほど見たばかりの黄色い果実が掴まれていた。
「おいしいものを食べることはそれだけの価値があると僕は思うのだよ」
差し出された果実は、先ほどのものより少し酸っぱく、優しかった。
博士は何度私が私を否定しようとも、それを否定する。
私がどうでもいい存在だという事を認めてはくれない。
「だが、私はどうせ、何も…」
それでも、私が無価値であることは変わらない。
「何も成し遂げられないわけがないじゃないか。ここで死んでしまったらこれから食べるはずだったものも、見るはずだったものも、成し遂げるはずだったものも何もなくなってしまう。新聞の隅の方に名前が出て、悲しむのは親や少ない知り合いばかりだろう」
まるで見てきたように語る白衣の男の表情は、木漏れ日の濃淡でうかがい知るのは難しい。
その横顔に浮かぶ表情は、悲しいというよりは寂しいであり、その口調は事実を述べているというより少し怒っているようにも感じた。
「それは、あまりにもったいないことではないだろうか? ここで命を絶つことで得られるものは命に釣り合うほど大きなものなのだろうか?」
「……」
分からない、なぜならば命を絶ったことがないからだ。
博士は答えを求めていなかったらしく、そのまま続ける。
「釣り合うものなど何もありはしない。時間ほど貴重で、価値があるものはない。人生なんてどうせ一度きりのもの。その一回を全力で体験し、失敗し、成し遂げることで、僕に無関心だった人々が僕の死を後悔するくらい、意味のあるものにした方がいいのではないか」
そして、博士はもう一度、私に向き直った。
「帆波に質問がある。君は、本当に死にたいのかい?」
「…そちらの方がいいと思っている」
見知らぬ不審者の言葉で絆されるほど、私の決意は甘くはない。
「命という、どんな貴金属よりも価値のある時間を投げ捨てるのかい?」
「…誰もそれを見なければそれに価値はない」
「では、君はこの子に価値を見出せるのかい?」
そう言って白衣の下から取り出したのは、昨日のゴキブリだった。
無言で首を振る。
森で暮らしていようと、海底で暮らしていようと、私はゴキブリに価値を見出せない。
「僕には、この子はとても価値があるものなのだよ。だって、可愛いでしょ? ねぇこことか」
「…」
博士は棘の生えた脚や、油を塗ったように光を反射する翅を愛おしそうに撫でるが、私には同意できない。
同意できる人の方が少数派だろう。
「同じように、君は自分の価値が分かっていない」
「わかっているさ」
「いいや、わかっていない。試しに挙げてみると、君と会話をしているだけで僕はうれしい。服のセンスも悪くはないし、話し方だってその年頃の子としてはずいぶん文語的で固いけど面白いと思う」
「やめて」
これまで抱いて離さないようにしてきた思いが削られていくように感じる。
これを手放したいと思ってしまいそうになる自分を押さえつける。
「ゴキブリを嫌いにならないでいてくれるところなんて、やさしい」
「嫌いです」
「ほら、そうやってすぐ照れるところとかかわいい」
「セクハラ」
「ごめんなさい。と、それは置いておいて」
こちらに博士は向き直った。
最初に出会った時は、好奇心で輝いていた目が、今はひどく優しげな光を宿している。
これまで、あんなに優しさを向けてくれた人なんて、いただろうか。
「一つ、賭けをしないか? 今日、君が家に帰って、両親に相談をする。それで、君がもう死ぬことを諦めたなら僕の勝ち。それでも、諦めきれないのならまた明日、ここで待っている」
「…賭けの対象は?」
「うぅ、惜しいけれど、先ほど捕まえたこの子を……」
そう言って懐から取り出したのは5cmくらいの甲虫だった。
「何、それ…」
「もちろん、このアオオサムシさ」
「ものすごくいらない」
「えぇ?! 嘘……」
博士は本気で驚いている。
何故、そのメタリックな虫を私が欲しがると思ったのだろうか。
「それに掛けには乗らない。私には一切利がない」
「そりゃそうさ、この賭けは僕が勝つまで続けるんだから」
「本当に……付き合っていられない」
そう告げて、私は踵を返して元来た道を戻った。
明日は、他の場所を探そう。
今度はもう、白衣は止めようとはしなかった。
もうこの白衣を着た不審者には出会わないだろう。
後ろ髪を引かれる思いを振り払いながら、振り返ることなく自分の道を進んだ。
~
一人、山に残された博士こと山岡憲治は独り言ちる。
「明日には、もう僕はこの山にいられない。でも、帆波くんがここに上がってくることはもうないと思うのだよ」
もう一度、昨日落ちた崖の上から、街を見下ろす。
「彼女はきっと、本当に自殺はしたくなかったのだろう。なぜならば、生命が本能的に望むのは生存であり、子孫の繁栄であるからである……。なんて難しいことを言わなくとも分かるよ」
突き抜けるような青空を支えるにはまだ短い、緑も多く残る街並みが一望できる。
地平線の向こうまできっと、この街並みが広がっているのだろう。
ましてや夜には、地上の天の川の様に。
「どれだけ無視されていると感じようと、彼女だけは世界を見続けようと、この場所を選んだのだろう。最後まで、誰かが見てくれることを祈って……ね」
そうして彼もまた、その山を後にしたのだった。
~~
「あら、おかえり。どこか行くなんて珍しいのね」
家に帰ると母親が待っていた。
今日、博士に止められた時点でタイムリミットだったのだ。
奇しくも、彼の戯言の賭けに負けたことになる。
「母さん、私のことをどう思う?」
母親の顔を見ていると、ついそんな言葉が口を突いて出た。
決して、博士の賭けに乗ってやろうなんて意思はなかった。
聞いても無駄だろうと思っていた。
ただ、それが気になって仕方なかった。
「私の娘でしょ」
「そうではなくて」
自分が本当に相手に見られていないのか、母親ならば見てくれているのか、確かめたかった。
多分、私は博士の言葉を聞いて不安になったのだ。
その思い違いを正し、安心したかったのかもしれない。
「どう思う、ね……」
母はすぐ用意する答えがなく、必死に頭を働かせているのだと思った。
こんなにも近くにいる母親でさえ、私の事を見ていないのかと当然だと思う反面、少し寂しく感じる自分がいた。
寂しく感じるのは何故だろうか、私は心配される存在でないはずなのに。
しかしこれで、私は博士の言葉を否定できる。
私は母が、私の事を見ていないと思っていた。
だが、違った。
「もう少し、自分を出してもいいとはいつも感じるわ。人を優先するばかりで、見ていて不安になっちゃうの。あと、人と話すことに苦手を感じているかもしれないけど、私はもう少しほかの人と話した方がいいと思うわ。今日みたいに外に出るのもいいと思う」
「娘である……だけ、じゃなく、て?」
予想外の言葉に、私は戸惑った。
「当たり前でしょ、あなたはあなたなんだから。ただ、髪が少し跳ねているのは気になるわね」
そう言って、母は私の髪を撫でた。
洗濯物の臭いがする、温かい手であった。
「私は、勉強も、運動もできない、褒められるべきところなんて何もない……」
「何言っているの、勉強も運動も出来ないからって別にいいでしょ? あなたが口下手だけど実は優しくて、照れ屋さんで、しっかりしているように見えてどこか抜けているところ、私は好きよ」
「テスト、点取れなくて……」
「あらそれは、いい点が取れたら褒めよう、悪い点でも一緒に勉強しようと思って聞いただけよ、あなたも塾に入れば他の子と一緒に勉強できるんじゃないかと思ってね」
次々に、次々に、私が私を否定できる材料を失っていく。
「わ、わたしじゃなくても……」
「私は帆波がいいの」
他の誰でもなく、あなたが大切なの。
確かに母の目はそう言っていた。
「わ、たしは……誰にも大切にされてなくて! いなくなってもいいと思って…それで、ずっと悩んで、それで、し、死のうとーー思って……」
気が付くと、そう本音を言っていた。
目が熱くて、胸が痛くて、震えて、言葉がうまく出てこない。
「ごめんね。あなたがそこまで悩んでいることに気づけなくて。あなたがいじめられていても、友達がいなくても、私はあなたを決して見捨てたりはしないわ」
「お前……それ、慰めになっていないぞ?」
後ろから現れた父は、母の言葉に少し呆れている。
「仕事で忙しくて、帆波のことを見てやれていなかった俺には、何も言えないがな……。それでも、俺も、お前の味方に入れてくれるか?」
困ったような顔をして、私に問いかけてきてくれる。
父も、私を見てくれていた。
「あ……りがど、おがあざん、おどうざん」
私は、最初から一人じゃなかった。
それを知らなかったのは、私だけだった。
裸の王様の話を思い出して、少し恥ずかしくなった。
~
翌日、私はまた同じ場所、近所の山に来ていた。
今度は、おいしいお菓子を持って。
しかし、そこに博士の姿はなかった。
崖の上にも、崖の下にも、木の上にも、茂みの中にも。
誰もいなかった。
どこにもいなかった。
昨日まで、一昨日から突然現れた、汚い白衣を着た男がいた。
見ず知らずの私に、いろいろなものをくれた。
そう、例えば黄色いキイチゴ、黒いゴキブリ……。
「まだ、お礼も言えてないのに」
と、言ったところで白衣に感謝すべきことがあったか、とふと思う。
あまりなかった気がするので前言を撤回することにした。
「いつか、また」
会ったときに、言えばいいだろう。会わなかったら、そのまま胸にしまっておけばいい。
言ったら言ったところでドヤ顔をされるのが目に浮かぶ。
「会わなくとも、いいか」
私に見下ろされている街は、何も返事をしなかった。
ありがとうございます。
誤字脱字ほか、ご意見、ご感想などを頂ければ幸いです。
右も左も分からないので。
最後に、作者はどちらかといえば博士よりです。
2017年12月9日 久々につけて見て、感想頂いていたことに気づきました。遅くなって申し訳ありません。
行の最初に空欄、?や!の後ろにも空欄、…を……に増加しました。内容の変更はありません。