きっかけは死亡フラグと共に
犬に追われるとか。
猫に引っ掻かれるとか。
蛇が足に巻き付くとか。
その程度で、俺の心筋を揺るがす事など出来ない。
蜂に刺されるとか。
クラゲに刺されるとか。
立ち寄ったコンビニで強盗事件が起きるとか。
下手したら死に至る事も、俺にとっては慣れたモノだ。
どうも、俺の人生はトラブルと共にあるらしい。
今も目の前に、ほら。
「いや、これどうしろと…」
学校に登校中なのだが、轟音と共に封鎖された道路は俺の行く手を完全に阻み、迂回を余儀なくされている。ちなみに、遅刻しそうなので走って来た結果がこれだ。
「仕方ない、戻るか…」
踵を返し、道を戻る。途中、人一人通り抜けられそうな路地を見つけた。
立ち止まり、少し考える。
「方向は合ってるし…もしかしたら、近道になるかもしれない」
なぜか自信があった。
この辺りは比較的整備された住宅街で、年季の入った通りもあるが道に迷うような事はない。必ず、どこかの道にぶつかるようになっているはずだ。そして、方角は学校へと向いているのだから必然的に近付ける事になる。
「よし、行ってみるか…」
壁と壁の間を縫うように、周囲に注意しながら進む。かなりギリギリの幅で、気を付けないと制服を汚してしまいそうだ。
「ん?」
しばらく進むと、突き当たってT字形に分かれている。
学校は左の方向か…。
進路を左へ選択し、再び歩を進める。
手応えのようなモノを感じた。
なぜなら先程の工事現場の音が横の方から聞こえてくるからだ。だいぶ学校に近付いてきたはずだ。
ちょっと気を配らなければいけないが、恐らくこのルートが最速だと思われる。いつもの俺なら、蜘蛛の巣に掛かったり蚊に刺されたりする場面なのだが何事も起こらない。
たまにはいい日もあるもんだ。
またしばらく進むと、光が強く差し込んでくる。
ここを出れば、きっと学校の近くのあの辺の通りに出るはず…!
大きく一歩を踏み出す。
「うぉっ!?」
―――どっさぁ!
視界は空を見上げている。
そこにひょい、と中年男性の姿が現れた。
「兄ちゃん、大丈夫か~?」
状況が飲み込めない。
「どうしたー?」
「いや、何か人が落ちててよ」
落ちてる?
衝撃を受けた身体は痛み、簡単には動かせない。
辛うじて動く首を動かし、状況を確認する。
黄色いヘルメットをかぶった中年男性が二人、上の方から俺を見ている。
「ちょっと待ってな、今ロープを電柱に縛ってから垂らすから。身体は動かせるかい?」
「あ、どうも…」
道を抜けた先は、工事現場の脇だったらしい。工事中の穴にずり落ちたようだ…。
少し身体を動かしてみると、ケガをしている場所もなさそうで痛むような所はない。身体が驚いて強張ってしまっただけだったのだろう。
垂れてきたロープに掴まり、自力で道路まで上る。
「すみません、ありがとうございます」
引き上げてくれた中年男性に礼を言った。
「いや、無事ならいいんだが…よくまあ、あそこからずり落ちて掠り傷一つ無いモンだ。運がいいんだか悪いんだかわかんねぇな兄ちゃん!」
がははは、と大きく笑う。
確かにそうなのだが、制服は汚れ、所々ほつれが見える。
「はは…」
苦笑いしか返せなかった。
「ところで兄ちゃん」
「何ですか?」
「何であんな所から…と聞きたい所だが、学校は大丈夫かい?」
「げっ!?」
そうだ、もう時間がない。
携帯電話を開き時計を見る。うむ、これはまずい。
「すみません、俺コレで失礼します!本当に助かりました!」
「おーう、気を付けてなー」
急がば回れとよく言うが、その言葉を考えた人に伝えたい短歌を詠もう。
「急いでも 俺の場合は 変わらない 回り道でも 近い道でも」
季語はない。
よし。
「わかったから、とりあえず制服の埃落としてこい。今日は許してやる」
「はい、すみません…」
教室に着く前、担任の先生を見つけたので登校時の状況を説明したらそう言われた。
廊下で汚れを落とすのもいけないので、玄関まで戻り制服の土や埃を払う。
「ふぅ…こんなもんかな。酷い目に遭った…」
上着の土の付いた部分を拭き取るため、制服をその場に置いて手洗い場へ向かい、ハンカチを濡らす。もうホームルームも始まっている事だし、この場所には俺以外誰もいない。いくら不運続きの俺とはいえ、この状況で制服が盗まれるとか無くなるような事はないだろう。
そう思い元居た場所に戻ると、そこに俺の制服はなかった。
「…何で?」
仕方なく教室に戻るとホームルームは終わっていて、一時限目始業前のわずかな時間の喧騒が漂う。
「あれ、桐堂上着はどうしたん?」
席に座ると、友人が声を掛けてきた。
「あー、ちょっと目を放してる間に無くなってた」
「なぜ?」
「さあ?不思議なこともあるもんだ」
正直、困る。決して貧乏では無いのだが、新たに制服を手に入れようと思うと費用の負担が…。
その時の状況を説明してみると、
「お前、戻る場所間違えたんじゃないのか?」
と真面目に返された。
「いや、そんなわけないだろ。自分の下駄箱近くだったし」
「じゃあ、どこか違う空間にお前は迷い込んだ!」
「んなわけねーだろ!」
真面目に聞いてると思えばこれか。付き合いきれん。
「はぁ…耕太、お前そんなんだから彼女できねーんだよ」
友人に一発きついところをお見舞いしてやる。
「ぐはぁっ!?」
大きなリアクションを起こし、がくんとうなだれる。
「そういうことを平気で言うお前の神経を疑う…」
「うっせー」
ははは、と笑いながら答えた。
耕太がとぼとぼと自分の席へと戻っていくと同時に、一時限目開始のチャイムが鳴り響いた。
いつも通りの退屈な授業の時間が流れる。
窓際の席から外を見渡せば鬱陶しいくらいの青空が広がっているのだが、俺の心は未だ曇っているままだ。
「(なぜ、制服が消えた…?)」
授業そっちのけであの時の状況を思い出してみるものの、やはり何も分からない。ただ、そこにあったものが無くなっていたというだけだ。誰も居なかったにも関わらず。
しかし上着が無くなった後先生には怒られなかったし、友人とは楽しい掛け合いが出来た気がする。いつもの不運が去ったような感じさえしている。
いい気分のまま、肘をつき頬に手を当て、机で寝こける体勢に入る。少し身体を預けると、肩に少しの痛みを感じた。
「(ん…何かやったっけ?)」
朝の落下事故の時にでもぶつけたのだろうか。重さと痛みを感じる。
体勢を戻し、右手を左肩に当てほぐすように動かしてみる。
そのまま視線を外にやると、異様な光景が目に入った。
「(何か飛んでるな…って、あれは!?)」
黒色の物体がひらひらと翻りながら、空高くを舞っている。
それは少しずつ高度を下げていき、地へと近付いていくように見えた。
「(俺の制服、なのか…?)」
しばらく見ていると、向かう先が川の方向だと気付いた。
「せ、先生!俺ちょっとトイレっす!」
「一時限目からか?仕方のない奴だな…さっさと行って来い」
「いってらっしゃいませ、なおりん様」
耕太のボケを無視して、教室を出る。もしあれが俺の制服だとすれば、川に落ちたら何処までも流されてしまうだろう。仮に誰かが拾い上げてくれたとしても、クリーニングに出しても元の状態に戻せるかどうか…そう考えると、拾いに行かなくては後悔する。さっきまでのちょっとしたいい気分はもうどこかへ飛んでしまっていた。
制服を追いかけるため、廊下を走り階段を駆け下りる。
「うぉっ!?」
階段の最後の一段を降りた先に、大きな水たまりがあった。
廊下にある水場から漏れてきたのだろうか、思うさま滑ってしまった。
階段を下りてきた勢いそのままに、つーっと滑り正面の壁にぶつかりそうになるが、なんとか腕で身体を守りきった。
「あっぶね…転んでたら頭打って死んじまうぞ…」
幸か不幸かわからんな…心臓の冷える思いをしたせいか、汗がどっと出てきた。
「っと、早く追わないと…」
踵を返し、玄関へと向かった。
玄関に着き、急いで靴に履き替える。校庭を横切って校外へと出ようと考えたものの、授業中のため一人で校庭を横断しようものなら目立つし後で先生に怒られてしまうだろう。ここは人目に付きにくい裏門から追おう。急がば回れ。
校舎沿いにぐるっと回ると、裏門がある。通常は教師達が通勤のための車の出入りをするための場所なのだが、通学に際しては正門裏門問わず利用可能となっている。もちろんこの時間には誰かがいるわけがない。教室側とは逆のため、誰にも見つからず外に出る事に成功した。
少し開けた道から、川方面に上を見上げる。未だ我が制服は空を舞ってはいるものの、目視での感覚では数分前より大きく見える。
「高度が下がってきてるな…早いとこ近くに行かないと見失っちまう」
先程までは見えなかった雲のお陰で、上を見上げても太陽の光がまぶしくて追えない、ということが無いのが幸いだ。痛みの残る身体に鞭を打ち、飛んでいった方向へと駆け出す。
住宅街を抜け、河川敷へと出る。途中犬に追われたものの、そこは急な下り坂で犬は止まれずに先に駆けていきその場をやりすごし、目の前を猫が横切ったので驚いて止まったらそこの交差点をトラックが猛スピードで通り過ぎたり、重い荷物を持った老人がいたので荷物を持ってあげてバス停まで送ってあげたらありがとうと言ってお煎餅を戴いたりとあったのだが…。
かなり曇ってきた空を見上げると、制服は近くに見えていた。ひらひらと踊りながら、川へと向かっている。
「で、ここからどうする…」
ここまで来たはいいものの、目の前は川幅の広い一級河川だ。今のところ水量は多くないものの、中に入って制服の着地点に向かうには躊躇われる。だからといって、このまま見過ごすのもできない。制服のズボンを脱いでパンツ一丁で川に飛び込もうものなら、季節外れの水遊びを一人楽しむ変な男にしか見えない。
そうこう悩んでいるうちに、制服はどんどん低空になってくる。
「まずい、まずいぞ…」
焦燥感に駆られる。あと一年ちょっとの高校生活だというのに制服を新調しなければならないのかという、無駄な出費に対する後悔予想だけが頭を駆け巡る。
もう駄目だ、と思ったその時だった。
突風が吹き、制服は風に煽られて対岸の草むらへと着地した。
「神は俺を見捨てなかったっ…!」
急いで橋を渡り、対岸へと向かう。
膝の高さくらいの雑草をかきわけ、制服の元へと一直線に向かう。
「よしっ、もう少し…」
手を伸ばせば届く所まで近付き、最後の一歩を踏み出した瞬間。
「うわっ!?」
そこは川との境目で、ぬかるんだ地面に右足を取られてしまった。引き抜こうと左足で踏ん張ると、今度はその左足も滑り、転倒してしまった。
「…これは、まずい…」
転倒した拍子に着いた両手も泥の中にはまり、上体反らしの状態で四肢が動かせない。その上曇天は雨粒を降らせ、容赦なく俺の顔と身体を打ち付けてきた。少し動くごとに、身体はずぶずぶと沈んでいく。
「誰か、助けてくれー!」
平日、朝の散歩のピークも終わり、その上雨の土手沿いに人がいるわけがないと分かっていても、助けを求める。
「川沿いに 助け呼ぶ声 空に消え 我が制服は 雨に濡れつつ」
うむ。これはいい句が出来上がった。
「…そんな場合じゃねー!」
叫び声は空に届いて消えるどころではなく、間近の水流に掻き消える。
突然の雨は山の方角から来ているようで、既に雨の影響を受けた川は徐々に水量を増してくる。このままでは、身動きできず水没死だ。
「…ここまで運がついてない、か…」
死にそうな目には何度も遭ってきた。
だが、ここまで絶望的な状況は初めてだ。
水量は容赦なく増し、辛うじて首から上だけが浸水を免れている。
「誰か、助けてくれ…」
悲嘆に暮れた俺の呟きは、誰かに届く事は無い。
「生きたいか?」
突然、声が聞こえる。
雨音に掻き消される事もなく、ハッキリと。
「生きたいのなら私に従え。従えぬなら…そのまま沈み果てるがいい」
死にたくない。
こんな無様な死に方は嫌だ。
守っていかなきゃならないものだってある。
「誰でもいい、助けてくれ…」
最後の俺の言葉は、濁流の中へと消えていった。