優秀な副官
「おはようございます、隊長。御気分はいかがですか?」
「ああ、まぁ…」
「今日は少し暑くなりそうですね。ハーブティーを冷やしていますが、いかがですか?」
「えっ…?何で、ハーブティーを…?」
「お好きなのでしょう?昨日ディノワール家の執事殿にお会いする機会があり、伺いました。今ご用意致します」
「へ、へぇ…。それよりバシュレー副官。今日の定例会議の…」
「王室の外遊計画についての資料ですね?それならこちらに」
「そうか…。それと、午後の合同訓練だが…」
「すでに各分隊長に内容は伝達済です。気候も良いので予定通り行いましょう」
ジルダ・バシュレーが副官としてロザリーの側で任務に当たるようになって1週間。毎朝、執務室で繰り返される何気ないやりとりでさえ、ロザリーにとってはわざとらしい問答に感じて仕方がなかった。
ロザリーが毎朝執務室にやってくる頃には、すでに部屋の中は清掃を終え、整理整頓された状態で。空気も入れ換えられ、快適な温度を保っている。さらにはその日に目を通すべき書類や文書は仕事がしやすいように整えられ、必要なものは全部机の上に整然と並ぶ。1日のスケジュールも然り、副官の頭の中には上官が尋ねるであろう事柄に対する答えが全て入っていて、こちらが命じる間もなくあらゆる仕事への準備がいつの間にか常に完了した状態だ。その完璧な仕事ぶりに、本来なら上官としては感謝しかないところだが、ロザリーは正直辟易していた。
副官としての仕事だけならまだいい。いつの間にかロザリーの嗜好や習慣までも完璧に把握しているのだ。今日のハーブティーのこともそうだが、気が利くというレベルではない。何か裏があるのではないかと思えるほど、全てが嫌みなまでに完璧なのだ。
浸食されていく――ロザリーはそんな風にさえ思うようになっていた。
文書に目を通しながら、冷えたハーブティーを喉に流し込む。そんなロザリーの側に歩み寄り、完璧な副官は机にカラフルな焼き菓子をそっと置いた。
思わずゴクリと生唾を飲み込む。ロザリーは甘いものが大好物なのだ。疲れていたりイライラした時はなおさら、うんと甘い焼き菓子が食べたくなる。無意識に伸ばした手を、しかし、ロザリーははたと止めた。
「どうされました?隊長、焼き菓子がお好きなんでしょう?」
「……おまえ、何でそれを?」
「上官の好みを心得ているのは、当たり前のことです」
そう言って涼しげな顔で微笑むジルダに、ロザリーは顔を引きつらせた。
こんなことまで把握しているのか、この男は。とりあえず頬張った焼き菓子の味が、苦く思えて仕方がない。武術だけでなく、執務でさえも素早く完璧にこなしていく。そんな部下の仕事ぶりに文句の付けようもないだけに、ロザリーはますますジルダの存在が気に食わなかった。
毎月行われる軍全体の定例会議を終え、会議室を出ようとしたロザリーのもとに歩み寄ってきたのはアーロンだった。
「元気そうだね、ロザリー。近衛連隊での仕事はどうだい?」
「やっと慣れてきた所だよ。まぁ、まだわからないことだらけだけどね」
「そう。心配してたけど、うまくやってるなら良かった」
アーロンは周りを気にしながら、ロザリーの耳元で小声で言った。
「噂で聞いたけどさ、あの伝説の騎士を決闘で倒したんだって?」
アーロンの口から放たれた言葉に、ギョッとするロザリー。
噂で聞いたって…そんなに広がってるのか?
「決闘なんていうほど大したものじゃないよ。それに、倒したというよりはただ運が良かっただけで…」
「でも、それ以来誰も文句を言わなくなったんだろう?皆がロザリーをちゃんと隊長として認めたってことじゃないか。やっぱりロザリーは、実力があるんだよ」
瞳をキラキラさせながら無邪気に言ったアーロンに、ロザリーは複雑な表情を浮かべた。
確かにあの一件以来、私の前では誰も反発をすることがなくなった。あの時、私が勝ったことによって皆文句を言えなくなったのかもしれない。でも、あれは本当の勝利なんかじゃない。いかさまなんだ。それを皆が信じ切って、何も言わなくなっただけなんだから。……でも、そもそも最強と呼ばれる男に、女である私が勝てるはずないことくらいわかりきったこと。それなのになぜ誰も疑おうとしないのか、不思議なくらいだ。
「それにしても、噂に聞いてたのとは全く違うね」
「えっ?」
「ジルダ・バシュレーだよ。国中の騎士たちの憧れでありながらも、その冷酷さ故に恐れられてたって。敵には一切情けをかけず、容赦なく斬り付ける。常に冷静沈着。一匹狼の如く、誰にも心を開こうとしない人間だって聞いてたけど…。ロザリーのことは相当尊敬してるみたいだね?」
「はっ?尊敬?まさか、何でそんな…」
「噂になってるよ?ロザリーの側にいつも寄りそっていて、その尽くし方はまるで主君と僕のようだって。きっと自分を唯一負かした相手だからこそ、ロザリーに陶酔しきってるんだろうね」
……まさか。そんなことは有り得ない。だって、あの男が自ら私に勝利を譲ったんだから。尊敬も陶酔もするわけない。ロザリーは思い切り首を横に振った。
「そんなことないって!確かに仕事はできるし気は利くし、副官としては申し分ないけど。でも、何考えてるかわからないし、笑いながら本当は心の中で私のことを馬鹿にしてるはずだ!なんか鼻に付くんだよな。あの傲慢な態度が」
必死になって否定したロザリー。そんな彼女の様子をアーロンは意外に思った。ロザリーがここまで誰かのことを悪く言ったことがあっただろうか。きっと初めてだ。こんな風に感情を高ぶらせて、誰かを否定するなんて。
不機嫌になってしまったロザリーを宥めようと、アーロンが彼女の肩に手を置いたその時だった。
「傲慢だなんて心外ですねぇ、隊長」
背後から聞こえた低い声に、ハッと振り返ったアーロンとロザリー。彼らの前に現れた長身の男は、まさに噂のジルダ・バシュレー副官だった。突然の登場に驚きを隠せず、ロザリーはオロオロと目を泳がせる。そんな彼女の様子をむしろ楽しむかのように、ジルダはわざとらしくため息を吐いた。
「私は全身全霊であなたにお仕えしてるつもりだったのに。まさかそんな風に思われているとは、ショックですね」
「はあっ!?いや、別に私は何も…」
「今後は隊長の気を煩わせないよう、気を付けます」
いかにも悲しげな表情を浮かべるジルダと、ばつが悪そうに唇を噛みしめるロザリー。そんな二人の様子を前に、アーロンは呆気に取られたように立ちすくんでいた。
そんなアーロンを、チラリと横目で見たジルダ。ロザリーへの態度とは正反対に、その視線はどこか研ぎ澄まされたような鋭さがある。違和感に眉をひそめたアーロンに、ジルダは打って変わって穏やかな表情を浮かべながら、手を差し出した。
「憲兵隊のアーロン・グランツ様ですね。初めまして。近衛連隊、副官のジルダ・バシュレーと申します」
愛想良く笑みを浮かべて握手を求めてきたジルダに、アーロンは気圧されるようにそれに答える。その様は至って普通の騎士だというのに、さっきの鋭い視線といい、噂といい、全く印象が違う。いくら鈍感で無邪気なアーロンでも、違和感を抱かずにはいられなかった。
「あ、ああ…。噂は聞いているよ、バシュレー副官。ロザリーは僕が幼い頃からの親友だから、よろしく頼むよ」
「無論、承知しております。ご心配なく」
華麗な身のこなしで敬礼をするジルダ。浮かべた微笑はそのままに、颯爽と上官の側に歩み寄った。
「隊長、次は士官学校の視察です。参りましょう」
「ああ。アーロン、またゆっくり会おう」
ジルダを引き連れ、その場を後にするロザリー。後ろにピッタリと寄りそった副官は、前を行くロザリーの周辺に常に気を配っているかのように見えた。過保護にさえ思える彼の忠誠ぶりは、しかし、どこか不可解な印象を受けた。
最強の称号を持つ、冷徹な騎士。薄い笑みの裏には、確かに読み取れない何かがある。だが、アーロンはそれよりもどこか気がかりだった。妹のように接してきた大切な幼馴染みへ向けられた、あの男の視線が。本当に尊敬なのか、陶酔なのか。完璧なる主従関係に思えても、過剰なまでの執着心に気付かずにはいられなかった。そして、自分に向けられた鋭い視線が、敵意を向けられているような気がしてならなかったのだ。その真意はわからない。自分の考えすぎかもしれない。でも……。
アーロンは一抹の不安拭えず、ロザリーの側に寄りそう広い背中をただ見つめていた。




