愛する覚悟
「近衛連隊の隊長ともあろう方が、何と恥知らずな行いを…!」
「これだから女は軍や政に関わるべきでないのだ。風紀を乱し、この国の安全をも脅かしかねない」
「ディノワール将軍家も地に堕ちたものだ。全く人騒がせな…」
口々に非難の言葉を浴びせられながら、しかし、ロザリーは歯を食いしばったまま動じはしなかった。何を言われても覚悟の上だ。だが、そんなロザリーの言動に憤慨し、握りしめた拳で机を叩いたのは父であるディノワール将軍だった。
「ロザリー!何を馬鹿なことを言っておるのだ!そなたはあの副官に攫われたのではなかったのか!」
「ですから、何度も誤解だと申し上げたでしょう。父上、今ご説明した通りです。私はバシュレーと共に逃げたのです」
「何と愚かなことを…!気でも触れたか!」
「…そうかもしれません。何もかも投げ出してしまいたいと考えたのは事実。けれど、一時の気の迷いではございません。全部放り出して共に逃げてもいいと思えるほど、私はバシュレーを大切に思っております」
「お…おまえは、自分が何を言っているかわかっているのか!?ディノワール家の娘ともあろう者が、何と恥知らずな…!許さん!絶対に許さんぞ!」
あの得体の知れない副官が、愛しい娘を思うあまりに攫ったのだと思っていた。いや、そう思いたかった。そうでなければ困るのだ。ディノワール家の人間が、ましてや近衛連隊を任される隊長ともあろう者が、これほどまで愚かなことをしでかすなど信じられない。歴代の当主が保ってきた将軍家の威厳は丸つぶれだ。それに、ロザリーはエミール家に嫁がせようと考えていたというのに。まさかどこの馬の骨とも知れない子爵家の人間などにそそのかされるなんて。そのような者の所へ嫁ぐなど、ディノワール家の人間として決して認められることではない――将軍はあまりの怒りに我を忘れそうになった。
「父上、申し訳ございません。ただ……」
ロザリーとて、父を悲しませるようなことはしたくなかった。けれど、この心だけは譲れない。それに、どうしても納得がいかなかった。物心付いた頃には、何かをすれば“女だから”と諌められ、“ディノワール将軍家の娘”としての振舞いを強要されてきた。大人になってさえ、こうして自らの気持ちに正直になれば“身分違い”と責められる。この世はなんて理不尽で、そして不自由なのだろうかと思う。色んなしがらみや誰かの目を気にして、がんじがらめにされて生きることが正しいと言えるのだろうか。せめて自分が愛する人は自分の目で選びたい。誰を好きになろうとも、それは自分の自由のはずだ。この人が好きなのだと、声を大にして言えないこの世が、本当に正しいと言えるのだろうか。
「愚かな行為をしたことは事実。どのような罰も受けます。父上には縁を切られても仕方がないと覚悟もしております。けれど、この思いだけは変わりません。あの男は私にとって唯一無二の存在。誰に非難されようとも、決して私はバシュレーを手放したりしない」
そう。自分の保身のためにジルダを見捨てることなどありえない。決してあの男を罪人になどしない。ジルダを守るためならば、恥でも何でもかいてやる。たとえ近衛連隊の隊長としての地位を剥奪されても構わない――ロザリーはそれほどまでの覚悟を抱いていた。
堂々と言ってのけたロザリーを、誰もが呆れた目で見ていた。将軍は茫然と立ち尽くし、返す言葉さえ失っていた。しかし、国王だけは動揺を見せず、静かにロザリーを見つめていた。この国において最高位に君臨する国王だ。生まれながらに最高の権力を与えられ、けれど、同時に抗うことのできない運命を背負って生きてきた。そんな国王からすれば、ロザリーの自由奔放な言動は少々羨ましくさえ思えた。身分違いの恋はいつか、現実を思い知り終わるだろう。けれど、なぜだろうか。ロザリーの真っすぐな眼差しを見ていたら、愚かな世迷い言だと一蹴することが不思議とできなかった。どうにか助けてやりたいとさえ思えるのだ。毅然とした態度を保ちながらも、国王は少し笑みを浮かべ、ロザリーに言った。
「人生において、唯一無二の存在に出会えるのは幸せな事だ。ロザリーよ、バシュレー副官が冤罪であるとわかった今、下された刑罰は無効だ。バシュレーを釈放する」
「陛下…!ありがとうございます!」
「とはいえ、そなたは隊長としての任務を怠った。バシュレーも同様。それについては言い逃れはできまい」
「……はい、覚悟できております。しかし、陛下。バシュレーが盗賊のアジトへ潜り込み、長を討った功績だけはどうかご考慮下さい。バシュレーがいたからこそ、私も救われ、奴らを一掃できた。それだけは紛れもない事実でございます。どのような処罰も、上官である私が受ける覚悟でございます」
「よかろう。ひとまずそなたとバシュレー副官には、しばらく謹慎を命ずる。正式な処分は議会と軍において決定し、追って知らせることとする」
ロザリーはようやく胸を撫で下ろし、深く頭を下げた。王の命令は絶対だ。これには宰相であっても将軍であっても、逆らうことはできない。これでジルダは救われる。ロザリーは心から安堵し、緊張の糸が切れたように体の力が抜けていく感覚がした。
これからどうなるかはわからない。任務を投げ出したことは責任を取る必要がある。どんな処分が下されるかはわからないが、隊長としての責任は大きいだろう。それでも、ジルダが無事で釈放されるのであれば、全部引き受ける覚悟だった。自分がどうなろうとも、彼が自由になれたらそれでいい――ロザリーは張り裂けんばかりの胸に、そっと手を当ててジルダを思っていた。
ジルダは王命によりその日のうちに釈放された。これにはイリオスもディノワール将軍も、口を出すことはできなかった。しかし、無論それで全てが終わるわけではなかった。空振りに終わったはずのイリオスの策略だが、これで危機が免れたわけではないことを、ロザリーは未だ知る由もなかったのだ。
「予想外のことをしてくれますね、あなた様の想い人は」
主と顔を突き合わせながら、声を潜めてシオンは苦笑した。あのままジルダには消えてもらう手筈だったのに、とんだ誤算だ。まさかあのロザリーが自らの恥を暴露してまで、ジルダの冤罪を訴えようとするとは思わなかった。しかも、王命とあればイリオスでさえ口は出せない。シオンは思わず唇を噛んだ。
「困ったものだよ。これでは彼女も立場が危うくなるというのにね。全く、思い通りにならないものだな」
「イリオス様。もう致し方ありません。あの男の息の根は、私がこの手で止めるしか」
シオンは覚悟を決め、イリオスに言った。しかし、イリオスはまだ迷っていた。果たしてシオンがあの男を討てるのかどうか。失敗すれば大きな腕力を失うこととなる。エミール家の秘めたる力が失われることになるのだ。しかし、このままあの男を野放しにしていいはずもない。危険な人間だ。秘密を知ったまま、生かしておくことはできない。
それに、イリオスにはそれとは別の並々ならぬ感情があった。愛するロザリーの心を奪うあの男を、どうにか消し去りたいという自らの邪心を抑えきれずにいたのだ。それでロザリーが手に入るかどうか確証はない。それでも、あの男が存在する限り、彼女は永遠に振り向いてはくれないだろう。沸々と煮えたぎる嫉妬心に、イリオスは自分でも驚いていた。自分がこれほど歪んだ感情を抱く人間だったとは思いもしなかった。
「シオン。あの男を討てるか?」
「お任せください。あなた様の命とあらば、必ずやバシュレーを亡き者にしてみせます」
「私はおまえを失いたくない。必ず私の元に戻ってきてくれ」
「承知致しました。イリオス様」
無機質な仮面の下で、不気味な笑みを浮かべた死神。手にした斧は来るべき時を今か今かと待ち侘びている。その手はもう幾多の命を奪ってきたのだ。今さら一人くらい、大したことない――イリオスは胸に残る僅かな罪悪感さえ打ち消し、自らの宿命を粛々と受け入れようとしていた。
そう、自分はもうこの国を動かす力を手にしている。ほんの僅かな胸の痛みなど、じきに慣れて消え失せるだろう。手にした力をどう使うか、それは自分の自由だ。恐れることなど何もない――深く頷いたイリオスの瞳の中には、果てのない闇が広がっていた。




