見下された女隊長
「まぁ、なんて素敵なんでしょう。これこそまさに男装の麗人ですわ」
鏡に映るロザリーの真新しい軍服姿に、使用人のリリーはうっとりと感嘆の声を上げた。真っ白な肌に映える深紅の軍服に、隊長の証を示す金色の肩章。格式高い伝統の軍服に袖を通した瞬間から、まだ年若い少女の表情が途端に凛々しくなるから不思議だ。
美人はドレスでなくても、たとえ軍服姿でも美しいものなのね。
そんなことを思いながリリーは脱ぎ捨てられた主人の寝着を畳んでいたが、そんなリリーの満足気な様子にわざとらしく咳払いをしたのは、ディノワール家の執事、ハリスだった。
「何が男装の麗人ですか、リリー。本来であれば豪華なドレスに身を包んで、社交界に出るのが伯爵家の令嬢のあるべき姿だというのに」
「も、申し訳ありません。ハリス様っ…」
「全く。どれほど旦那様が心配なされることか…」
初老の眉間にさらに深く刻まれる皺を目にして、ロザリーは苦笑しながらも強く言い放った。
「じいや、これはもう終わった話だよ。どうかわかっておくれ」
誰よりも私を心配してくれているからこそ、小言も多くなる。ちゃんとわかっているよ、じいや。
ロザリーは心の中でそう呟き、城の外へ出た。
近衛連隊の隊長として宮殿へ向かう、初めての朝。ロザリーの名誉ある昇進に、ディノワール家の使用人たちは皆、整列して彼女の門出を見送った。白馬に跨り駆けていく背中に、皆の期待と心配の入り混じった視線が向けられる。改めて自分が背負ってしまったものの重さに、ロザリーは気を引き締めるようにキュッと唇を噛みしめた。
宮殿前の広場には、すでに多くの近衛連隊の騎士たちが整列をしていた。揃いも揃って、皆屈強な男たちばかりだ。家柄の良い貴族の子息以外は、傭兵や騎士として実践を積み、その力量をかわれて王都に呼び寄せられた精鋭ばかり。そんな中、彼らの前に立つひどく小柄な新しい指揮官の姿は、その頼りなさを隠しきれないでいた。
新隊長を迎えるために招集された騎士たちの目が、容赦なくロザリーに注がれている。それは明らかに冷え切った視線だった。
「おいおい、あんなお嬢さんが隊長だって?」「女に務まるわけがない」そんな声があちこちから聞こえてくる。ロザリーの側に立つ幹部の分隊長たちでさえも、落ち着きない騎士たちの様子に目を伏せるしかなかった。
女だというだけで、どうしてここまで馬鹿にされるんだろう。まだ誰も、何も私のことを知らないくせに。
悔しさにギュッと拳を握りしめる。それでも、ロザリーはそんな素振りを一切見せようとはしなかった。弱さを見せることだけはしたくなかった。負けたくない。誰にも屈しはしない。ただその一心だった。
新たな指揮官としての就任の挨拶を一通り終えた後、ロザリーは執務室へ向かおうとしていた。その時だった。事が起きたのは。
「全く、羨ましい限りですね。将軍の娘として生まれただけで、ほんの数年で隊長になれるんですから。たとえ、女でも」
ロザリーの前に堂々と歩み出て、口火を切ったのはとある伯爵家の子息だった。
皆、ディノワール将軍の娘であるということに気が引けて直接は何も言えなかったものの、彼だけはどうしても我慢ならなかったのだ。ロザリーよりもずっと前から軍に入り、厳しい訓練を積んできた。それなのに、自分よりも後から入ってきた年下の小娘に、あっという間に憧れのポストさえも奪われた。こんな理不尽なことがあるだろうか。あまりの屈辱に、男はどうしてもロザリーを隊長として認めたくなかった。
「何だ?何が言いたい?私に対する不満なら、遠慮なく言えばいい」
「でしたら言わせていただきますよ。私はあなたを近衛連隊の隊長として認めません」
「おまえが認めようが認めまいが、関係ない。私を隊長に任命されたのは国王陛下だ。私はそのご決断に従うまでだ」
売り言葉に買い言葉。一歩も引かないロザリーに、男はさらに挑発するように言い放った。
「ならば、あなたが隊長としてふさわしいという証拠を見せていただきたい」
「証拠?」
「ええ。我々の上官に値する強さをお持ちかどうか。そのご自慢の剣の腕を拝見したい」
そう言って剣を抜いた男に、周りにいた騎士たちは一斉にざわついた。気持ちはわかるが、いくら何でもやりすぎではないか。上官に対して剣を向けるなど。このことがディノワール将軍の耳に入れば、ただでは済まない。だが、そんな周りの心配をよそに、ロザリーまでもが腰にさげた剣をスルリと引きぬいたのだ。
「いいだろう。遠慮は要らない。ただし、後悔してもしらないぞ」
予想はしていた。部下からの反発が少なからずあることを。だからこそ努力もしてきた。女であることを言い訳にはしたくないから。幼い頃から兄を相手に磨いてきた剣の腕。男たちの中で耐え抜いてきた厳しい訓練。大丈夫だ。私は負けない。その自信があるからこそ、私はここにいるんだ。
一歩、前へ歩み出るロザリーの気迫の強さに、男は少しだけ気圧された。
女とはいえ、漲るような負けん気の強さが表情にも姿勢にも滲み出ている。簡単な脅しじゃ通用しない。甘く見ていたら痛い目に合うかもしれない。動じることないロザリーの凛とした態度に、しかし、男は歯を食いしばって駆けだした。
カン――!と、剣と剣がぶつかり合う激しい音が、耳を襲った。降り下ろされた剣を止め、身軽な動きでかわしたロザリー。衝撃の激しさに距離を開けた二人は、再び向かい合って対峙した。
やはり、重い――……
かろうじて止められたものの、自分よりも体格も大きく力もある男の振りかざした剣はズシリと重い。侮れる相手ではない。ロザリーは冷静にそう考えながらも、額を流れる汗の冷たさを感じていた。
一度受けて立ったら、もう後には引けない。ここで、皆が見てる前で自分の力を証明しなければ。でも、もしこちらが負ければ笑い物になるのは確かだ。きっと、さらに風当たりはきつくなるんだろう…。
心の中に少しずつ広がっていく不安と恐怖。戦うべきは目の前の相手なのに、ロザリーは自分自身の中に巣食う弱さと戦っていた。剣を握る手が小刻みに震えるのが、自分でもわかる。負けられないからこそ、圧し掛かる重圧はさらに自分の心を押し潰していく……。
剣を持つ手を握り直し、再び男へと一歩踏み出したその瞬間だった。
「そこまでです」
よく響く低い声と共に、剣を振りかざさんとするロザリーの腕に伸びてきた手。強い力で手首を掴まれ、ロザリーは大きく目を見開いた。
「私が代わりにあなたのお相手を務めましょう。ディノワール隊長」
凍てつくような冷たい瞳が、ロザリーを見下ろしていた。