隊長就任
「ロザリー・ディノワール。そなたを我がアストラス王国近衛連隊、隊長に任命する」
荘厳な宮殿の大広間に響いた王の声に、誰もが耳を疑った。
玉座のすぐ前に跪くのは、王家の護衛を使命とする格式高い近衛連隊の新たな指揮官である。だが、赤い軍服に身を包むその人物のあまりに華奢で小柄な姿に、式典に参加した官職の貴族や騎士たちは一斉にざわめいた。
「ロザリーよ。偉大な父に習い、任務に励んでくれ」
「御意。国王陛下の御身、この命に代えてもお守りいたします」
明瞭なその声は一切の迷いも物怖じもなく、だからこそ一層、その体の線の細さが憐れになる。
毅然と王を見上げるエメラルドグリーンの瞳は、まるで宝石のように美しく。束ねて帽子の中に隠されたブロンドの髪は、眩いほどの輝きを放つ。きめ細かな白い肌。人形のように愛らしい顔立ち。そこそこの年齢ではあるものの、生まれつきの幼い顔立ちはあどけなさや危うささえ感じさせる。
“少女”――正直、この場にいる誰もがそう感じずにはいられなかった。
まさかこんな可愛らしい少女が、軍の屈強な男たちを統べるのか?――この場のざわつきが、いつの間にか呆れ果てたような嘲笑に変わっていた。
しかしこれが、アストラス王国の歴史上初めてとなる女隊長の誕生であった。
「ロザリー、隊長就任おめでとう。幼馴染として本当に誇らしいよ」
「……アーロン。本気でそう思ってるのか?」
「えっ?当たり前じゃないか。何言ってるんだよ?」
あっけらかんと首をかしげる幼馴染の無邪気さに、ロザリーはガクリと頭を垂れた。
アーロンは昔から、どこか空気が読めない所があった。純粋なのはいいが、名家であるグランツ伯爵家の次期当主としては少し心配だ…。
「名誉なことじゃないか。だって、実力が認められたんだよ?昔からロザリーの剣には叶わなかったもんなぁ」
実力…?馬鹿な。少しくらい剣術が優れてたって、それでやっと男と同等。人を超越した何かがあるわけでも、確かな実力があるわけでもない。
「アーロン。私が隊長に任命されたのは実力があるからじゃない。皆が父に、そしてディノワール家に配慮した結果だよ」
ロザリーは下唇を噛みしめながら、言った。
ロザリー・ディノワール。
アストラス王国の軍を率いる将軍を代々務めてきた伯爵家の、7人兄弟の長女として生を受けた。
父は現将軍であり、次期当主となる兄はその補佐官を務めている。そんな名家の令嬢でありながら軍に志願したいと言い出したのは、まだ彼女が10代の頃だった。
――5年前――
「何だと!?ロザリー、本気で言っているのか?」
ロザリーの思わぬ告白に、父であるディノワール将軍は思わず声を荒げた。
まさか、本来ならそろそろ嫁ぐ年齢であるはずの娘が、あろうことが軍に志願するなど前代未聞。ましてや、愛くるしい美貌に恵まれた自慢の娘だ。良い嫁ぎ先を見つけてやらねばと、日々考えていたというのに。
「な…何を血迷っているのだ、ロザリー!」
「血迷ってなどいません。私は幼い頃からずっと、兄上のようにこの国の役に立つ人間になりたいと思っておりました」
「国の役に立ちたいのなら、何も軍人になどならなくてもよい。女は…」
「女は結婚し、子供を産むことが義務であり、幸せだと?そのセリフは、もう耳にたこができるほど聞き飽きました」
「ロザリー!父も母も、どれほど可愛がっておまえを育ててきたと思っている?要らぬ苦労をさせるために育ててきたわけではない!」
「好いてもない男のもとに嫁ぐことに、何ひとつ苦労などないとおっしゃるのですか?私は、軍人として生きていくことに、どんな苦労も厭わない覚悟です。父上、将軍であるあなたなら私の意志を理解いただけるでしょう?どうかお許しを」
毅然と言い放った娘の頑なな態度に、父は返す言葉さえ失った。
何ということだ。まさか、愛しい娘が軍人になりたいなどと言い出すとは…。
しかし、全く予想していないことでもなかった。
小さな頃からおてんばで、裁縫にも読書にも音楽にも興味を持たない。お洒落になど目もくれず、ドレスを着ることさえ嫌がり、男さながらの服装で剣を手に兄と競っていた変わり者の娘。おしとやかさの欠片もない男勝りな性格に、父は昔から頭を抱えていた。
言い出したら聞かない。自分の意志を曲げることはない。頑固さはこの父親譲りなのだ。
もう、諦めるしかないのか…。
ディノワール将軍はしぶしぶ、ロザリーの志願を受け入れた。
――そうして5年の歳月が過ぎ、ロザリーは幼少の頃から磨いてきた剣術を武器に数々の訓練を積みながら、順風満帆に出世コースを歩んできた。
長い間、戦争のない平和な国だ。王族の子弟や貴族などの特権階級の出身者は、実戦経験などほとんどないまま幹部へと昇進する。ロザリーの場合は、さらに将軍の娘という肩書がある。近衛連隊長への就任は、代々この国を支えてきたディノワール家への敬意と配慮の象徴だった。
名ばかりの女隊長――そのことは十分、ロザリー自身もわかっていた。
『お飾りの女隊長』
式典が終わり、宮殿の回廊をアーロンと並んで歩くロザリーの耳に、誰かの笑い声と共にそんな言葉が聞こえてきた。女とはいえ、将軍家の令嬢だ。気に入らないと面と向かって言う者はいなくても、陰口や冷めた視線を式典の最中でさえ感じずにはいられなかった。誰が言ったのかもわからない言葉にいちいち反応などする気はないロザリーだったが、アーロンは我慢ならず、立ち止まって声がした方を睨みつけた。
「アーロン、大丈夫だ。私は気にしてない」
「でも、ロザリー。こんな中傷…!」
「言いたい奴には言わせておけばいい」
お飾りの女隊長だと、そう言われても仕方ない。平和で安全な王都での王家の護衛など、お飾りに他ならない。でも、女だからと馬鹿にした奴は必ず見返してみせる。どんなに陰で笑われようとも、国王陛下に与えられたこの職を必ず全うしてみせる。
「ロザリーは本当に強いなぁ。僕には敵わないよ…」
昔から負けん気の強さだけは人一倍だった。そんなロザリーの芯の強さを一番近くで見てきたアーロンは、彼女を心の底から尊敬していた。だからこそ、そのぶん心配もするのだが…。
あんな男ばかりのむさくるしい組織だ。いくら強い女性だとはいえ、きっと苦労するだろう。傷つくこともあるだろう。同じ軍とはいえ別の部隊に所属するアーロンは、彼女のすぐそばにはいられないからこそ、一層心配だった。
「そうだ、ロザリー。君の部下として新たに副官も任命されるらしいね」
「副官?」
「地方からの異例の抜粋だって聞いたよ?ほら、数年前に北方の盗賊を征伐した、特殊部隊で活躍したっていう、あの伝説の騎士だよ」
「ああ…この国では右に出る者のいない剣豪だっていう?」
「そうそう。そんな凄い騎士が部下になるなんて、心強いね?」
「うん、まぁ…」
噂では聞いたことがあったけれど、本当に存在してたのか…。
「安心だ」とアーロンは息をつくが、副官についてなどロザリーにとってはさほど興味もないことだった。
正直、どうでもいい。部下が誰であっても、自分自身がしっかりしていればいいことだ。人を頼ることなどしたくない。
ロザリーはこの時、まだ知らなかった。
その伝説の騎士たる副官こそが、これからの日常で彼女を大きく悩ませる種となる男であることも。
そして、その出会いが彼女の運命を大きく左右することになることさえも……。