第二話 エストレンダ経済特区
ーー騒々しい。それがこの町で俺の抱いた最初の感想である。首都に入ってから土色をした建物が所狭しと建っているが、建物の隙間にある路を更に狭めるように両端には各国から集った商人たちが風呂敷を広げ、商いをしている。どこを見渡しても人で溢れ、尚且つ夜店の掲げる松明が煌々と輝いている。対して、三日月の今夜は月の明かりも弱く、天上に散らばる星は一段と輝いていた。通りを進めば、行き来する人の肩と肩がぶつかりそうになるほどの盛況ぶりで、八時を過ぎているのにこれでは昼と大差ない。ルミナスでこの時間に外出している奴はほとんどいない。大抵は家に帰って家族と過ごすというのに、ここにいる連中は全員独り身の連中かと疑ってみたりもした。しかし、どうやらここでは当たり前の光景らしい。(独り身であることを疑うと言ったが俺自身も独り身である……。)
ここ、エストレンダ経済特区の特徴はなんといっても商人たちによって動かされていることだろう。もともとは一人の領主の所有する地であったが、四方を国に囲まれた内陸国であり、かつ当の領主が無能だったせいか人の少ない寂しい所だったそうだ。そこに有力な商人が何人も集い、東大陸のやや中央部にあることを生かし、各々の商売を始めた。様々な交易品が取引され、物珍しさに惹かれて人びとが集まるようになった。それが彼らの力をさらに強め、結果的にはこの地の領主を追い出してしまった。以来、自由な商売が行われるようになり、商人達にとってはまさに天国と呼べる場所であるだろう。そして、ここに来れば東大陸にある主な物や人の往来もたくさんあるため朝真暮偽だが情報も手に入る。
……とにかく、ここでただ突っ立っている訳にもいかない。あまりの人の多さに圧倒されてしまったが、ふと我にかえった。この後は適当な店にでも入って、今晩の夕食をとろう。もし、運が良ければ店の中で同じ旅人から貴重な話でも聞けるかもしれない。それに、今晩は野宿ではなく旅宿に泊まることができるかもしれない。というよりはこんな石畳の敷かれた街中でテント張って寝るわけにもいかないだろう。兎に角、街の中心部へと進み、よさそうな場所でも探そう。
夜であること全く思わせないバザールには至る所に明かりが灯され、道の両端には様々な出店が立ち並ぶ。出店を覗けば各国の特産品であろう様々な野菜や果物、更には魚まで並べられていた。熱心に眺めていたからであろう。
「お兄さんどうだい?こいつはユークリッド特産の『天使の実』。こいつは中に沢山の蜜が詰まっている。一口食えばもう他の果物なんか口に入れるなんてできねえよ。」
と言って、商売を始めてまだ日が浅そうなユークリッド地方独特の着物をきた浅黒い肌の男が近づいてきた。そして表面が皺だらけでうす茶色をしたおよそ天使とは似ても似つかない果物を勧めてきたり、
「そこの旅の方、こちらはアンドレナ原産の『竜の鉤爪』と呼ばれる珍しい香木が使われたお香ですの。これを焚けば、体中の血流が良くなり、精力絶倫・無尽蔵の回復力が得られますよ。是非、この後の夜のお供にいかがですか?」
などと怪しい丸薬を差し出してきた口元をスカーフで覆った中年の女商売人。果ては
「旦那、一服吸ってみてくだせぇ。こいつはルリナスで採れた『夢幻草』っていう薬草が巻かれた煙草ですだぁ。旦那もちょっと吸えば、天にも昇る気分になること間違いなし!」
と言う焦点も定まらない虚ろな目をしてきた浮浪者まがいの男に怪しげな煙草まで誘われる始末だ。ほうそうか、昨日までルミナスに三年間住んでいた者だがそんな草があったなんて知らなかった、と返事を返してやれば男はばつの悪い顔をしながら去っていき、また他の旅行者に同じ売り文句で近づいていった。
……とまあ世紀末を感じさせる怪しい物・人で溢れた市場だった。後から知ったが、このエストルギアの町は東西南北を大通りが貫いており、その中心部、すなわち大通りの交差点には広場がある。広場には有力な商人が集う健全な市が開かれており、それ以外は小遣い稼ぎに集まった偽物ばかりを扱う非正規な商売ばかりである。俺が街に入ってきたのは西側であるが西は特にゲテモノが集まるまさに無法地帯だそうだ。町の北側は娼館建ち並ぶ遊郭街、東は飲食店街そして南側は豪商たちの住宅街となっていてエストルギアは方角によって全く別の顔をしている。
とにかく、俺はこの後もさまざまな胡散臭い連中に絡まれ、商人を見るのが嫌になりかけたところで、やっと大通りの中央の広場へやってきたのである。中央の広場では先ほどの乱痴気具合と打って変わってさっぱりとしていた。流石に夜の八時を過ぎているため店じまいなのだろう。散臭い商人もどきはどこにも見当たらず、様々な色や形でできた石畳は姿を消し、代わりに白い長方形のタイルが規則正しく敷き詰められている。そして、広場の中心部にはこんこんと湧き出る泉が場を和ませていた。商人の姿は見えないが所どころには道化師たちが各々自慢とする芸を行い、道行く人の興味をひいていた。そんな光景に目を奪われていたなかだった。
「お兄さんっ!このエストルギアは初めてかい?」
先ほどの私利私欲にまみれた商人もどきたちの切羽詰まった声ではない、かわいらしげな声が俺の後ろから聞こえた。振り向けば、今まで全く見たことのない変わった格好をした十五そこらの金色の髪の少女が立っていた。
まず、頭の上に白のレースカチューシャをつけ、金色の髪を頭の後ろで束ねている。次に胸元に大きな青いリボンのついた黒一色の膝より少し高い丈の長袖ワンピースを着ている。そのワンピースの袖口と裾には白いフリルレースがあしらわれている。そして、黒のワンピースの上にはこれまたフリルレースがついた白いエプロンを着用している。最後に黒のタイツと、胸元と同じ青のリボンが装飾された黒い革靴を履いていた。
――なんだこの白と黒のフリルレースだらけの珍妙な格好は。どこかの民族衣装か?そうだとしても実用性が皆無過ぎるだろ。頭の中での自問自答はさておいて、……何だろうこの感触は。まるで男としての本能が反応しているのか、この格好にはどこか神聖さと心に安らぎを感じてしまう。嗚呼、世の中にはこんな素晴らしい服装があるなんて……。そんな風にしばしのカルチャーショックを感じている俺をよそに少女は続ける。
「ねえねえ、聞いてる?お兄さんお腹へってない?もしよかったら私の店まで案内するよ!」
「え?あーーそうだな。確かに、昼から何も食べていないな。そんならとりあえず案内頼むよ。」
ちょうど夕食をとろうと店を探していたので都合がいい。それに、こんな格好をした女の子がいる店なんて俄然興味が尽きない。いったいどんな料理が出されるのか考えるだけでわくわくと胸が高揚してきた。
「ほんとっ!?わーーい。それじゃあ、お兄さんにはとっておきの料理をだしてあげるよ!料理は店長が作るんだけどね。」
俺の返事を聞いた少女はその場から飛び上がり、笑顔を振りまいた。飛び上がる度に頭の後ろで結わいている髪の束が上下左右に跳ね回っている。実に無邪気なものだ。それにしても見ず知らずの旅人にいきなり声を掛けてくるとは度胸のある子である。
「なあ、ちょっと聞いていいかな?その格好はどうしたの?」
出会った当初から気になっていた疑問を彼女にぶつけてみた。嬉しさで鼻歌まで歌いそうな彼女はそのまま一回転しそうな勢いで振り返ってきた。
「あたしのことはルディーって呼んで!この格好?これはね、うちの店の制服だよっ、マスターは『メイド服』って呼んでるんだ。メイドってのはどこだったか忘れたけど西大陸にいる王様に仕えてる召使いたちのことだって。」
ーー何ともまあ贅沢、いや、この服を考案した貴族には恐れ入ったものである。男が自然に惹きつけられてしまうこのデザインには目を見張るものがある。いつか全世界にこの服が流行ることを祈るばかりである。そしてこの衣装を制服に選んだマスター、恐らく店長だろうが是非、お話を伺いたい。
ルディーという少女はお客を呼べたことがよほどうれしいのか、先ほどから両足を弾ませながら進んでいく。そして未知との遭遇によってまだ見ぬ明日への活力が漲った俺は、広場のおおよそ東側に面した店の前にたどり着いた。一見すると周りの建造物は石やレンガ造りが多い中、この店は木造で尚且つ、母屋から張り出たテラスが特徴であった。店の看板に目を向けるとそこには『オオカミの衣』と赤い塗料で書いてある。オオカミ?確かオオカミとは数百年前に絶滅した動物だったはずである。それにしても店がオオカミでそこで働いている給仕がこうもかわいいとは対照的である。だいたい、なぜ店の名前にオオカミなどとつけたのだろう。はたまた謎な店である。
「はい到着ぅー。どう?お兄さん、なかなか洒落た店じゃない?ささっ、どうぞ中に入って。」
店の外観を眺めていた俺をルディーは店内へぐいぐいと押し込んだ。茶色い板張りの床の店内に入るとまず初めに、何とも言えない香ばしい香りが俺の鼻をくすぐった。肉の焼ける匂いである。続いて先ほど鼻をくすぐった匂いは俺の腹の虫を鳴かせることに成功した。店内は長いカウンターとアンティーク調の彫刻が彫られた椅子とテーブルが何脚か用意されている。何組かの客がテーブルに座り、各自の話に花を咲かせていた。大盛況、とは言えないが、かといって閑古鳥も鳴いていない。ルディーは、そのまま入口から真っ直ぐ入った先のカウンターへ俺を招いた。
「さあ、お掛けになって。今、水とメニューを持ってくるから待っててね。マスター!お客様を一人連れてきたよー。」
ルディーが威勢のよい声を店の奥の厨房に投げかけると、一人の男、おそらくは店長であろう男が出てきた。ルディーと同じ色使いで白のシャツに黒のベストを羽織り、黒のズボンといった格好だ。ルディーのフリルレースだらけの派手さとは違い、シンプルである。当の男は顔の皺の具合を見る限り、中年を過ぎるか過ぎていないくらい。尚且つ、頭は沢山あるべきはずの毛髪が不毛地帯、とどのつまり、はげていた。そして手にしていたグラスの水気を布で拭きながらの登場であった。
「こらルディー、店の掃除サボってどこ行ってたと思ったら客引きか。それだったらキッチンで洗い物を手伝ってもらったほうがまだ、助かったものを。」
「えー、だってあたし、こんな狭い店にマスターとふたりっきりなんてイヤ。店名のオオカミのようにマスターが私にいつ襲いかってくるんじゃないか心配になっちゃうんだもん。」
「仕方ないだろう、今日はお前以外、早引きでみんな帰っちまったんだから。この店に雇ってもらっている身分で何を言うと思えば……。さてお客様、よくぞいらっしゃいました。ご注文はいかがなさいましょうか?」
出てきた途端、いきなり店員をどやすとは不安になりかけたが、接客時には別の顔があるようで一安心した。店長がこちらに屈託のない笑顔をこちらに差し向けていると、ルディーが水とメニューを持ってきた。とりあえずメニューを確認。……大丈夫そうだ、時折こういう客引きの店は法外な値段で客から金をむしり取る場合がある。今回もその類でないかと疑っていた。(疑っておきながらほいほいとついてくる俺もなんなんだか……。)
メニューの中から特に迷うことはせず、カタストロ牛のステーキと麦酒を注文することにした。マスターが調理をしようと厨房に入ろうとすると「肉はあたしが焼く!」とルディーも中に入っていった。数回の大声の応酬の後、言い負かされたマスターが麦酒だけを持って再び現れた。
「すいませんねぇ、うちのルディーがご迷惑をかけて。あの子は店の娘のなかで一番人懐っこい性格をしていますから。もし失敗したらお代は半額にしますのでお許しください。ところで、お客様のその格好を見る限りだと、旅をなさっているのですか?」
作り直す選択肢はないのだろうかと思ったが、とりあえず焼きあがった物を見てから判断しよう。そして俺はかねてから思っていたマスターへの疑問を聞くことにした。
「ええ、実は一昨日まではルリナスに三年間滞在していたんですが、訳あってまた旅を再開することにしたんです。それよりマスター、ルディー来ている制服、メイド服っていうやつですが、あれはどこで見たんですか?」
「ほほう、やはり気になりますか。いやぁ、恥ずかしながら私も若い頃にはあなたと同じように旅をしていたんです。その中で、西大陸のヘストラ帝国の帝城に仕えてる給仕たちがあのような格好をしておりました。私もあの服の魅力に取りつかれてしまいましてね、本家とは少し違うのですが同じものを作りました。それがこの店の名物でもあり給仕たち全員が看板娘というわけですよ。」
ーーなるほどヘストラ帝国か。武道大会に本物のメイドたち、絶対に行ってみよう。やはり西大陸には俺の知らないものが満ち溢れている。そうだ、西大陸で聞くことと言えば他にもあった。
「マスター、もう一つ聞きたいことがあるんだ。西大陸では、まほ……。」
「お兄さん、お待たせっ!私が焼いたカタストロ牛のステーキ。あたしが焼いたんだから絶っ対、美味しいはずだよっ!」
満面の笑みをしたルディーがその手にジュージューと景気の良い音をさせた鉄板を持って駆け寄ってきた。話の腰を折られたが、ルディーが持ってきた肉は魔法への興味よりも先に、俺の頭を支配してしまった。目の前に置かれた肉の塊にナイフで切れ目を入れると、その裂け目から染み出してくる肉汁に生唾を飲み込む。一切れ口に放り込んでみると、柔らかな歯ごたえと共に肉の旨みが口いっぱいに広がった。こんな幸せな食事をしたのはいつ以来だろう。ルリナスでは隠居生活のためかあまり贅沢をしなかったが、久々に食への有難みを感じた瞬間だった。
焼いてくれたルディーに感謝の言葉を言うと本人は嬉しさからかその場で跳ねた。束ねた金髪が激しく宙に舞っていたがお構いなしだった。マスターも俺の反応を見ると和やかな表情を浮かべ、自分の作業に戻っていった。まさに愉悦に浸る食事で、俺自身は黙々と食事を続けた。
「ごちそうさまでした、マスター。いい食事をとることができたよ。俺はもう今日からこの店のファンになるよ。」
「それは大変うれしゅうございます。これからも是非、この店をご贔屓になさって下さい。」
マスターに感謝の念を述べると同時に、先程聞こうとした話題を思い出した。
「マスター、さっき聞こうと思ったんだけど、西大陸に行ったことがあるんだよな?それなら〈魔法〉っていう奇跡とやらは見たことがあるかい?」
「〈魔法〉……でございますか?それなら私、見たことありますよ。」
「あたし見たことあるよっ!」
マスターは忙しなく動かしていた手を止め、床にモップがけをしていたルディーと同時に答えた。
「はいいっ!?」
昨日、あれだけ出会えることを夢見ていたが、まさかこんな簡単に返事がくるとは思っていなかった。西大陸に行ったことのあるマスターはともかく、ルディーも見たことがあるとはどういうこっちゃ。ひょっとしたらルディーは西大陸の出身なのかもしれない。
「まっ、魔法を……どこっ、どこで見たんですかっ!?」
あまりにも単純な返事にカウンターから身を乗り出してマスターに迫った。マスターは多少は驚いた様子であったが、またいつも通りの落ち着いた雰囲気に戻った。
「ええ、見たことありますよ。ひょっとしたらあなたも見れるかもしれませんよ。時間からして、もうそろそろでしょうか。」
それはどこだ?と聞くと、マスターは皺が少々入った右手を上げると、出口の方角を指さした。振り向いて指の方向を確認すると、広場の泉の前に人だかりが集まり始めていた。