第一話 旅立ちの日
「ルイン・ウィンドルド、これがお前の身分証明書だ。しかし、革命記念日の今日に出発するんだな。」
そう言うとリックは俺に一巻きの紙、ではなくこの国では貴重な羊皮紙を渡してきた。開いてみると中には文字が消えないように艶のある加工がなされ、そこにはルリナス人民共和国の市民であることを証明する旨の金であしらわれた文と保証人としてリック・オーヴァンの直筆のサインが記されている。
「すまないな。急に旅に出るといって、こんなものまで用意させてしまってな。」
リックに呼び出され、打ち切りを通達されてから三日後、今度は俺からリックに会いに行った。まさか、こうもすぐに会うことになって多少はリックも驚いていたが、俺から切り出した話にリックは更に驚いていた。その様子はまさに目の玉が飛び出ると形容するにふさわしい。当の本人は俺の職が決まったのかとおもっていたらしいが、実際は全くの正反対の国を出て旅に出ることに最初は反対をした。しかし、出会う前の俺の生活や、多少の危険も切り抜けられる実力を持っていることも知っていたためか、俺の熱い好奇心に押されて最終的には了承してくれた。
――と聞こえはいいが、本当は説得するのに四時間半はかかった。リックは俺の言うことをお得意の反論術でことごとく潰しまくる。途中、何度か心が折れそうになったが何とか耐えて、リックの鉄壁の守りを崩す機会を伺っていたが結局、壁を崩すはおろかひびすら入れる一撃を与えることは叶わなかった。だが、あまりのしつこさに向こうの方から城門を開けて白旗を上げる形になった訳である。なぜなら俺の相手をしていた四時間半、リックの本来の職務である公共事業に関係する仕事を全て放っていたので流石にこれ以上は時間をかけられないと判断したのであろう。(俺の根気が勝利に導いたと言いたいが実際は勝負にならなかったが……)
「いいさ、これくらいは簡単に用意してやれるよ。それよりもまずはどこに向かうんだ?この国の周りにあるのは北にユークリッド、西にエストレンダ、南にパルティノスの三国だが、どれらにしても特に政情が不安なことはないから問題なく行けると思うが……。」
「そうだな、ユークリッドとパルティノスは以前行ったことがあるからまずはエストレンダに行くとするよ。商人で構成されている国なんか見たことないから、面白そうだ。それに……うまくいけば大商人の下で警護役として雇ってもらえるかもしれないしな。」
「エストレンダか。それならここから大して遠くはないから二日間歩いて行けば、夜には着くだろう。でも用心は怠るなよ、この国では特に報告はされていないが、他国に関しちゃ盗賊やらなんやらで世間をにぎわせているという噂を聞いたことがあるからな。お前も盗賊とは言わないがスリなんかには気を付けろよ。そうだ、お前、今いくら持っているんだ?」
「一万。家にあった家具を売っ放ったら以外に高くついたんでな。これなら旅先で困ることもないだろうよ。」
そう言いながら懐に忍ばせている財布を取り出し、軽く振って見せる。チャラチャラという金属音が景気よく鳴り響いた。実に心地良い。あの家具たちも貰っておいて正解だったわけだ。
「そうか。いやてっきり、旅の景気づけに金貸してくれと要求するんじゃないかと思っていたが一安心だな。」
と言いながらリックは笑顔を見せた。金貸せと要求するに関しては心外だったが、こうして友人の見送りにわざわざ来てくれたのは素直に嬉しかった。そして、この国で友人と呼べるのは彼くらいしかいないものだから、この別れ際になって心に寂寥を感じてしまうようだった。
そんな感傷に浸っていると、リックは手にしていた剣を腰から外し始めていた。見送りに来た当初から俺は気になっていたが、普段剣よりもペンや本を持っているような男がなぜこのようなときに剣を下げてきたのか疑問に思っていた。剣を外したリックはおもむろにそれを俺によこしてきた。
「こいつは俺からの餞別だ。俺が3年前の革命時に使っていたが、結局こいつで人を斬ることはなかったよ。戦った証として時折手入れをしていたが、一生持っているよりはお前さんに使ってもらった方がうれしいだろうよ。」
それはこの国では一般的な片手剣だった。鞘は木製だがちゃんとニスが塗られ、細い革が巻かれ、補強もしてあった。鞘から剣を抜くとリックが言った通り、刃にはどこにも錆びた部分はなく、欠けた部分も見当たらない。確かに、人を斬った痕跡もないようだ。これほどのものを惜しげもなく渡してきたリックには感謝せねばならない。そして剣を腰のベルトに下げた。
「こんないい物をありがとう。感謝してもしきれないよ。いつかは壊れてしまうかもしれないがそれまでは大事に持っておくよ。」
「気にするなって。お前の旅の無事を祈っているよ。もし、気が変わったらまたここに戻ってきてもいいからな。いつでも歓迎しているよ。その時はお前の土産話に期待しているからな。」
「そうだな、ここは俺の第二の故郷さ。世間が俺の思ってるほど面白くなかったら必ずここへ戻ってくるさ。そんときお前も過労とかで体を壊すんじゃないぞ。」
「はははっ、それは保障しかねるな。なんて言ったってこの国はまだまだやることがいっぱいあるからな。今日は記念日だからこの後は貴重な休日をゆっくり過ごすさ。」
そういい終わるや否や、リックは右手を俺に向かって出してきた。俺も何も言うことはなくその差し出された右手に対して自分の右手を出して固く握りしめた。そして俺はそのままリックに背を向け一歩を踏み出そうとした。
「…あっ、そうだ、お前がこれから旅立つわけだがその旅を更に面白くさせる情報があったんだ。」
ーー不意打ち。これから旅立とうとするとこでそりゃあないぜ。
でも仕方がない。ここは黙ってリックの言うことを聞くとしよう。そう思い、後ろを振り返る。
「ちょっとした噂なんだがね、大陸の西の方では〈魔法〉なんて呼ばれる奇跡を操る術があると聞いたよ。もしかしたらお前もいつかは見ることができるかもしれないね。」
ーー魔法。そりゃあ楽しみだ。本当にあるのだとしたら、是非、お目にかかりたい。変なインチキ手品でないことを祈るが。
「さあ、折角の一歩を踏みとどまらせてすまない。それではここで別れるとするか。それじゃあ、またいつかの再会の日を祈って、神のご加護があらんことを!」
「ああ、またいつかお前に会える日を楽しみにしているよ。それじゃあまたいつか!」
リックに別れを告げると、俺はこの国でたった一人の友人に背を向け、西の方角へ歩みを進ませ始めた。四月の陽気とこの国で初めて目にしたサクラという木が満開で実に心地よい出発であった。
歩き始めて四時間ぐらいたったところで、周りの景色は都会の街並みや田舎のまばらな家が点在する様子とは一線を画し、小麦畑が広がる田園風景に変化した。まだこの国の西方の境界線付近だが背負っていた背嚢からテントを取り出し、道から離れた適度な場所で休憩をとることにした。野宿をして夜を明かすつもりだが、何分野宿なんて久しぶりなもので、寝付くのに時間がかかった。しかし旅の一日目ということもあり、何もかもが新鮮だった。
ーー〈魔法〉出発してからその言葉が頭から離れない。リックはそれを具体的には説明せず、ただ奇跡と言っていたが一体どんなものであろうか。たまに娯楽小説なんかで読んだことがあるが、その時には自在に空を飛んだり、はたまた一瞬で相手を消し去るものなどいずれも空想の産物であった。
どちらにしろ、奇跡と呼べるかといったら当然呼べるものだ。見てみたい。そして、できるんだったら俺も魔法を使ってみたい。
という子供が一度は夢見ることを真剣に考える二十歳過ぎの男はいつの間にか、意識をなくし眠った。
再び、目が覚めたのは日が昇りはじめて一か二時間過ぎくらいだろうか。まず最初に懐の財布を確認する。……大丈夫だ、ちゃんと中身も減っていない。次にテント内を見回し、背嚢の有無をチェックして、しかとその存在を認めた。特に問題がないことを確認した俺はとりあえず、大あくびを一発かます。これが二日目の始まりである。
その日は大した出来事はなく、無事にルミナスーエストレンダ間の国境線を通過した。しかし、景色は大して変わることなく、俺はとりあえずは首都のエストルギアに歩を進めることにした。
エストルギアに到着したのはリックの言った通り夜になった。