プロローグ
「すまない。流石にこれ以上はもう慰労手当を出すことはできない」
朝っぱらから急に呼び出されて、はるばる郊外から旧友に会いに来たというのに開口一番、この台詞をもらうとはツイていない。なんとなく嫌な予感はしていたが、これはピンチである。おかげで眠気も吹っ飛んじまった。
そんな俺の内心を悟ったのか、旧友のリック・オーヴァンは書類の積み重なった執務机から立ち上がり、応接用に用意されたソファーに座っていた俺の真向いに腰を下ろした。顔を見れば眼鏡の奥にある双眸には疲れがたまっているように見える。
「急な通達ですまない。何分革命の日から二年も経って、ここに住む市民たちも平和のためか革命の慰労者たちへの生活保護を中止しろって声が日に日に大きくなってな。」
「そうか……。まあ仕方ないよな、平和になったんだから特に職にも就いていない暇な革命の参加者にいつまでも税金を払う必要なんかないさ。」
そう言いつつ、俺の視線は自然に大理石で覆われた高い天井へと昇っていった。思えば二年前の革命で王権やその他利益を貪っていた貴族たちを一掃した後、他の奴らは自分たちの理想とする国のために邁進していったが、なんも取り柄のない俺は寝て、食って、起きての半ば動物に近い生活をしていた。慰労手当をアテにして幸せな老後を送ろうなんてそう世間は許してくれない。
ーー参ったなこりゃ。
「一応、聞いてみるが俺以外に革命に加わった奴らの手当も打ち切りだよな?」
「もちろん。だがほかの奴らは全員何かしらの職に就いていたからな、打ち切りを通達しても反対意見は出なかったよ。」
リックの声音はいつも通りであったが先ほどの一言には俺への皮肉が若干混じっているように聞こえた。しかし、皮肉を言われるのも当然であるし、俺一人が手当の打ち切りに異論を唱えようとも無意味なのは理解できる。素直に認めるしか選択肢はない。
ーーさよならニート生活。明日から一体何をして生きていけばいいのだろうか……。
「なあ、一つ聞いていいか?この国で俺がやっていけるような職業って何だ?」
当然だ。この二年間、手当だけで生活し、毎日ぶらぶら歩き回って生活していたので働くにしても何から手を付ければいいのか不明である。予想通り。というか案の上リックは俺の一言を聞くや否や、膝の上に組んでいた手を解き、今度は額に当て眉間に皺が寄るくらいに考え込んだ。
「そ、そうか、そうだったな。お前さんに会うような職業か……うーーーーむ。」
ーーこれはまずい。沈黙が長くなるこの旧友は長い空白の後には突拍子もないことを言い出す奴であったことを忘れていた。二年前にも誰もが思いつかないような戦法を案じて、とんでもない目にあったことを今でも忘れられない。兎に角だ、ここはひとつ適当なことを言ってその思考を別の方向に向かわせないと。
「あのさ、商売なんてどう?この国も賑わってきたし、町で一発儲かったり……」
「お前に商才があるんだったら、こんな風には呼び出したりなんてしなくて済む。」
--出た。ぐうの音すら出ない応酬。これは胸が痛い。
これ以上俺の話を出しても俺の胸に穴が開いてしまうかもしれない。今度は俺の話ではなくリックへの質問へと切り替えよう。
この国の公共政策の指揮者のリックの執務室を見回したが、大理石の壁や革命後に持ち込まれたと思われる棚の中には俺の興味をそそられるような題名の本は全くなく、床に敷かれている絨毯までも地味で話題に関しちゃ八方塞がりだった。せめて話題にできるような絵の一枚くらいは壁に飾っておいてもいいじゃないかと思った。だが実際、王族たちが我が物顔で闊歩していたこの元王城内にはたくさんの醜悪な自画像やら大層な値段のする絵が至る所に並べられていたようだが、革命後は焼かれたり、他国に売られてしまったそうだ。今思えば売られた絵の一枚を頂いておくべきだったと後悔してみるが今においては意味をなさない思考である。
「あーなんだ、その……お前が悩むようなことでもないさ。剣を使った仕事はないのか?護衛とか、用心棒とかの?」
俯きながら頭を抱え、一点を凝視しながら職のない友人に必死で悩んでくれる男がふと驚いた顔でこちらを見上げた。(顔を上げた勢いがあったせいか、眼鏡が若干右にずれているのは気にしないでおこう。)
「剣を使うような仕事がいいのか?でもそうだよな、俺と出会った時も、お前はどこにも居つかないただの旅人だったかな。」
「懐かしいことを言うなよ。俺はただ、楽な暮らしを求めて奔放と彷徨っていただけだよ。で、仕事のほうはありそうか?」
「そうだな。護衛、というよりはこの議事堂の警備や警察に近いものしかもうこの国には残されていないよ。この革命のおかげでこの国は平和になったからな。言いたいことを堂々と言え、法を犯さない限り、自由な生き方を歩むことができる。それは俺たちが戦いを続けてきた理由でもあり、支えだった。」
言い終えたリックは眼鏡を上げ、俺の前のソファーから腰を上げると再び、自分の執務机に戻っていった。そして書類で乱雑した机の上を整理し始めた。
「どうだ?このところは。なかなか大変そうじゃないか。さっきから疲れが見えるんだけどな。そんなに大変か?」
--こんな風に言っている俺は正直、政治には興味がない。国や人々を導いていく自信もないし、人を引き付ける能力ってやつも持ち合わせているとは思えない。そして何より、俺はひとつの国に定着したことがなかった。いろいろな国を歩き渡り、その国の政治や文化を見てきたが何が答えというものかのかが全く見いだせなかった。気に入らなければ別のところへ移り、また新しい生活を送ってきた。そうしてきた中でこの国の革命に参加し、人びとの自由を取り戻し、居心地がよくなってきた中でこの出来事ってわけだが。
「そうかな?いやでも最近はなかなか人々の要望や意見が重なってしまってね。もちろん大変だが。なあに、嬉しい苦労ってやつだ。安心して人々が声を出せるのが当たり前になったんだ。それだけでまだ音をあげるわけにはいかないよ。」
ある程度、書類整理が終わったリックは窓の外を眺めながら穏やかに笑っていた。陽だまりにリックの顔が照らされたが、その表情には強い信念を感じさせられた。リックの俺も二十歳を少し過ぎた年だが、おそらくこのままいけばリックのほうが先に顔に皺ができるだろうなと軽く思ってみたりもした。
「あまりお前には言いたくないんだが、この慰労手当の打ち切りにはお前を快く思っていない連中の思惑もあってな。お前が革命の最後の日、王城攻めの最終段階に遅れたことを根に持っている奴らが自分の身分の安定を利用してこの打ち切りを提案してきた。もちろん最初は反対したが、周りの奴らもいつまでも税金を使って過去の出来事の報酬を払い続けるのはおかしいという意見に押されてしまった。すまない。」
ーーなるほど。そういう訳か。話が唐突なあたり違和感を感じていたがそれなりに納得がいくように感じられた。それにしても革命最後の日か、あの日はあの日でいろいろあったな。
「なんだよ。そういう理由があったのか。それでも仕方ないさ。二年前のあの大事な革命の最中、寝坊してその場にいない奴のことをよく思わないのは当然さ。二年間も何もせず、今となっちゃ剣を錆びさせた元剣士なんかに貴重な税金はもったいない話さ。で、打ち切りはいつなんだ?」
「来月だ。それでちょうど革命から三年が経つことになるからさ。」
リックはこちらを向かず窓の外を眺めながら言い放った。
(一ヶ月か……。短いな。あと一ヶ月で自分の身の振り方を考えなければならないのか。)
「ところで、少し古い昔話をしてもいいか?」
窓の外を眺めていたリックが突如、振り返って話を切り出してきた。それは先ほどまでの穏やかで物腰が柔らかそうな表情から一転、言うなれば革命勢力を駆使していたころの厳粛な表情に似ていた。ああ、いいぞ。と俺は特に考えることもなく言葉を返した。
「王威十八騎。という部隊を知っているか?この国で有数の強者が揃った旧王直属の十八人の部隊さ。革命軍も王城攻略の最大の障壁として覚悟して挑んだ。ところが連中が立ちはだかることはなく王城の攻略は終わり、民の治の世が始まったわけだが、お前はどう思う?」
「その話は俺でも知ってるさ。確か、攻略前夜に国外に逃亡したってオチだっただろ?そりゃあ王様もろとも沈みゆく船に乗っかるなんて誰だって逃げ出しちまうさ。で、その王威十八騎がどうしたんだよ?」
「墓が見つかった。それも十八。新しく町に引く運河建設の視察中に見つかった。俺も直接見たが誰が眠っているなんて書かれてはいなかった。だが問題はその場所だ。王城攻略の際、北東と南西にある城門のうち俺たちは北東から攻めたが、墓があったのは当時俺らが布陣していた場所から北側にそう遠くない場所の雑木林の中だった。」
「近くに住んでいる村人たちの共同墓地だったんだろ。数とかもただの偶然さ。」
「もちろん近くの村や町に聞きまわったが誰もその墓の存在を知らなかった。なあ、こんな風に考えられないか?あの日、王威十八騎は国外逃亡なんてせず、俺らの陣の後ろから急襲しようとして……」
「仮にそうだったとしても今となっちゃ何の意味をなさない推察さ。そうだろ?王威十八騎は俺たちの前には現れることはなかった、それでいいじゃないか。もう戦いなんて血なまぐさい考えは捨てて明日のことを考えろ。」
--王威十八騎、懐かしいな。俺も連中のことはよく知っているつもりだ。ただ、連中一人ひとりの名前や顔、どんな立場については一切知らないが。
「お前の言うとおりだよ。過去の出来事を追求するのであればもう少し先でも遅くなることはないだろう。久々に会えたのにすまないな。この後にも会議が入っていてな、積もる話はまた今度にしようか。お前もこの先大変だろうが、見合った生き方を見つけられることを祈っているよ。」
そう言うとリックはまたいつもの穏やかな表情に戻り、机の上の書類の一部、おそらくはこの後の会議に使われるものに目を通し始めた。俺も特に話題にすることもないし、リックも忙しそうにしていることだし、その場を後にすることとした。それじゃあ、俺も失礼すると言って絢爛な彫刻が施された執務室の金色のドアノブに手をかけた。
「……最後に一つだけ聞きたい。革命のあの日、お前は寝坊して来られなかったのか?」
突然の一言に思わず体が反応しそうになった。リックに背を向けていたのは幸いだった。体を止めることはできたが、俺の表情は完全に狼狽していただろう。なんとか呼吸を整えた。
「ああ、本当さ。前日に景気づけで飲みすぎたんだよ。俺そんなに酒が強くなくてな。今だってそうだよ。酒を飲んだら何したって起きないぜ。それじゃ、また今度な。」
そう言って振り向きリックに笑顔を返した。笑顔というよりはぎこちない作り笑いだったが。
ドアノブに手をかけ、捻って執務室を出た。
ーー確かにあの日寝坊はした。だが、それは皆が酒に酔って寝静まった後、ぶっ通しで五時間もの間十八人も戦い続け、尚且つ、ひとりずつ埋葬した疲労によるものだった。剣も革命から三日で錆が浮いて使い物にならなくなっていた。王威十八騎、一人ひとりの実力はそこまでたいしたことはなかった。十八人も同時に戦ったことは流石になかったから苦戦はしたんだがな。
朝方は空は曇って少し肌寒かったがリックの部屋を出るころには雲は切れ切れになり太陽の光をその隙間から覗かしていた。おかげで幾分か暖かく、こんな日は外で昼寝をするのに最適だ。空を見上げつつ呑気な考えに身をゆだね、石畳の敷かれた道を進んでいたところで、ふと単純な考えが頭に浮かんだ。
--そうだ、また旅をすればいい。一国に留まることはなく、また自分に合っている場所を見つければよいのだ。今までもそんな風にしてきた。それに、何かをひとつし続けるのは自分の性分には合わない。実際、故郷を離れ放浪生活をしていたのは三年だけだし、その間滞在した国はわずか四。世界には十何か国もあるというのにその内の四というのはもったいない。それに大陸東部だけでなく、それこそ西端まで行ってやろう。確か、大陸西部のシュベリオン王国には世界一高い建物があるらしいし、ヘストラ帝国においては強者たちが集う武道大会なんてのもあったな。
あれやこれや考えているうちにすでに周りの景色は変わり、石畳の道もいつの間にか舗装もされていない小石が転がっている砂利道へと変わっていた。そして道から外れ、周囲には特に何もない林が茂る中に俺の家は建っている。壁には若干のひびが入っているがこれからのことを考えれば補修の必要もないだろう。立てつけが悪く、何の装飾の施されていないドアを開ければ部屋の中にはぼろい家にはふさわしくない格式の高い調度品で満たされていた。全部、革命前の貴族たちが使用していた物である。ベッドや机、椅子、箪笥に至るまですべてがしっかりと作りこまれ、おかげでこの二年間雑な扱いをしてもよくもってくれた。
俺は、革張りの一人掛け椅子に腰を下ろすと、机の上(朝食のパンくずが転がっていたが)、に地図を広げ、想像を膨らませ始めた。その様子は他人から見たら子供じみているといわれるかもしれないが、とにかく夢中であった。
その日、俺は日が沈み、更に日が昇るまで地図を眺めながらまだ見ぬ世界に想像を膨らませていた。妄想といってもあながち間違いでないくらいに。