トゥルースケールの胎動
一週間が過ぎ、ナーコも現実世界について多くの事を覚えゲームキャラクターから一人の人間へと成長していた。だが、自由に外に出る事は許されず外出時には相変わらず帽子と眼鏡をかけさせられた。ずっと秀人の服を着ているナーコはクローゼットの中を物色し自分の気に入りそうな服を探していた。すると、秀人が白い袋を抱えて入って来た。ナーコは一着の学生服のブレザーを取り出し、
「これが秀人のテンプレ学園の制服ね。着てみたいなー女の子バージョン買ってよ。また外に出たい」
「学園に通うわけじゃないのに必要ないだろ。だいたいナーコが外にいたら街中がパニックになるぞ。用が無い時は家でこの世界の勉強をするのが第一だ」
「じゃあ学園に通う用意で買ってね」
「考えておこう。それよりも通販で買ったこの服に着替えろ。俺の服じゃもう嫌だろ」
「え? やっと届いたの? わーい! 服、服~♪」
渡された袋を開け中に入っている様々な服を取り出した。無邪気にはしゃぐナーコを見つめる秀人は、
(ただワンピース、ジャケット、パンツなどの外行きの服を買ったわけではない。スーツにナースにスク水……いざという時のお楽しみは買ってある。男女が同じ部屋で寝泊りし、相手は肉体があるゲームキャラ。俺も雨宮のようなリア充になれる日が来たようだな……そして童貞を……)
ふと、ニヤー……と鼻の下を伸ばし変な想像に酔いしれていると、鏡の前に立つナーコがこちらを見ている。
「どうした?」
「着替えるんだから出て行きなさいよーーーっ!」
バコッ! と蹴りをくらい部屋の外へはじき出された。そしてドアが閉められる。
「……くそっ、恥じらいは教育するんじゃなかった」
そう思いながら階段を下り玄関を出て裏庭の武具工房に向かった。
今日は魔王ミューコル戦で得た魔王の小槌から魔剣が完成する日なのである。
武具工房に入り熱い釜の中から一本の刀を取り出し冷水の桶につける大工朗の姿を見た。額からは油汗が流れ、顔は無精髭が伸びている。ここ一週間はこの魔剣の打ち込みに終始していた為、他の依頼は断っていた。自分の孫の腰におさまり世界を断ち切る剣は大工朗にとって最高のプレゼントなのだろう。
そして、冷水に浸けられ発生した水蒸気が晴れると一本の黒い刀がその鋭利な刀身を露にする。大きめの刃紋は金色でそれ以外は全て黒という魔剣に相応しい装いである。それを宙にかざす大工朗は言う。
「……これが魔剣、黒百合。聖剣エクスカリバーと唯一対抗できる剣だ」
「黒百合……それが俺が世界を断つ剣」
その黒々とした悪意を放つ魔剣に息を呑みながら黒百合の完成を見る。
完成といっても最後にもう一度釜に通す仕上げと鍔などの装飾品がついていない為、すぐに使えるわけでは無い。
「秀人。あのナーコという少女と出会ってお前は変わったな。これなら学園にも通えるだろう」
「今更学園なんて行っても仕方ないさ。俺は世界で最強部類の一人であるキラー7。学業なんて普通の連中がすればいい事さ。あいつ等は俺のような才能のある奴を受け入れようとしないからな」
「ろくに人とぶつかった事も無い癖に自惚れるなよ。いい機会だ。ナーコと共に学園へ通い成長してこい」
「学園には行けない。ゲームキャラのナーコがもし存在すれば大事になるからな。いけるはずがないさ」
「ただ自分を否定されるのが怖いだけだろう? ナーコを言い訳にするのはやめろ」
「うるせぇ! ジジイだってこの世界になってまた仕事が出来ていい事だらけじゃねぇか!」
秀人は武具工房を後にしナーコが着替え終わっているであろう自室へ戻ろうとした。
この喧嘩は秀人が学園に通わなくなった頃からよく勃発していた。
ゲームと現実が融合した事によりゲーム内での力を自分の力と勘違いし、もしこのゲーム世界がまた離れたら何も残らないという事を何度も大工朗は言い続けていたが、秀人はゲームキラーとして成績を収めている為に聞き入れる事は無かった。最近は久しく喧嘩をしていなかったが、ナーコが家に来てから大工朗の小言がまた増えだしていた。
久しぶりの口論で気持ちが悪くなる途中――一本のナイフが秀人の肩に刺さった。
「うっ! ……のおおっ!」
突然の激痛に驚きを隠せないままダンジョンにいるかのように地面を転がり次々に飛んで来るナイフの群れをかわす。そして玄関前の扉にたどり着きノブを回そうとした瞬間、背後に刺客が現れた。振り返る秀人は相手の姿に驚き意識が硬直する。
「……」
ドスッ……と柄の上にTRUEの文字が描かれたナイフを回覧板で受け止めた。そのナイフを引き抜き、右肩に刺さるナイフを抜く。
「回覧板がノブにかけられていて助かったな。ニートは自宅のインターホンには自分の通販しか出ないからご近所はいい迷惑だ」
「お前……あの時の」
その少女はナーコが現実世界に現れた時、モンスターに襲われているという勘違いからペットのスライムを殺されてしまった少女だった。少女は精神的ショックで意識を失い入院しているというのを秀人は自分で搬送したので知っていた。
明らかに殺意のある瞳で自分を見据えている事に驚愕する。そして、その少女が着ている衣装は黄色い忍者のような忍び装束の出で立ち。最強盗賊団・ゲッコー盗賊団のメンバーの衣装である。
「やけに大人びた言動になったな。この行為は俺とナーコに対する復讐か? お前は元々ゲッコーの人間だったのか? 答えろ」
両手にナイフを持つ秀人は異常な身体能力を持つ少女に対し死の危険を感じながら対峙する。今までの人生で自分を殺しに来る訪問客などいない為、焦りと不安で汗が止まらずナイフを持つ手に力が入らない。
「ククッ、私はゲッコーの副団長キエサ。ナーコには恨みがあるの……この世界の全てを狂わせた恨みがねぇ……」
真っ暗な奈落の闇に染まるキエサの瞳は少女の面影はどこにも無い。ただペットのスライムを殺されただけではなく、もっと深い個人的な何かで恨んでいるような激情を滲ませながら仕掛けて来る。その素早い動きに防戦一方になる。
「くっ、あっ、うっ!」
「現実では動きが緩慢だなキラー7。ユナイトブレイカーの最初のクリア者が聞いてあきれる」
ガスッ! とその小さな身体に見合わない身体から蹴りをくらいドアに激突した。そのまま家の中に入りナーコに助けを求めようとするがドアの目の前には悪鬼のようなキエサが立ちふさがり行く手をさえぎる。そのゲーム内のような圧倒的な力に打ちのめされ、意識を失いそうな秀人は漠然とつぶやいた。
「ユナイトチェンジ……」
「ククッ、当然ながら君はここでユナイトチェンジは出来ない」
背中を踏み潰され傷口の右肩を幾度と無く踏まれる。キエサの奇声と秀人の絶叫が重なりあうが、丁度天草家の真上をヘリコプターが通過しその声は宙に拡散する。そしてナイフを持つキエサはその切っ先を喉元に突きつけ、
「これ以上シナリオを壊されては困る。死ね」
「死ぬのはアンタよ」
瞬間――ドアが勢いよく開かれキエサの身体がドアに弾かれ吹き飛んだ。
そこには紺色のスクール水着に着替えたナーコが姿を現した。
「ナ、ナーコ……」
「アンタがナースやら貝殻やら色々と隠してあるのを発見したと思ったら外で物音がウルサイから一番着替えやすいこれで来たわよ。ほら」
ポイッと玄関にあったほうきを受け取り構える。ナーコはロング靴べらを突き出す。両者の間に緩やかな緊張が走る静寂が流れ、キエサが口を開いた。
「ここでは君達には勝てん。君達の死刑台はこの後のイベントで用意してある。さらばだ」
ふと、裏庭の武具工場を振り返ったキエサは塀を飛び越えどこかへ消えて行った。
これからが本番だと意気込んでいた二人は呆気にとられたまま立ち尽くす。
その影からは大工朗が憮然とした表情で眺めていたが新たなる人物達の来訪により工房へと消える。シュンッ! と閃光のように黒い影が二つ秀人とナーコの前に現れる。
「異常に不快な感じは呪われているお前だったか? 玲奈のレーダーにはお前以外の反応があったはずなんだが」
「げ、幻覚……」
目の前に現れたのは高杉家に会いに行ったが応対しなかった幻武幻影流を扱う古武術流派高杉家の十代目・高杉幻覚だった。その幻覚は相棒の冬月玲奈とキエサの邪気を感じ追跡している所を天草家で発見し、見失ったのであった。かつての剣術のライバルである男を見据える瞳は異様に冷たく、明らかに秀人を見下しているのが見えた。
それは隣にいる相棒であり彼女でもある玲奈の存在がそうさせているのだろうと秀人は察し、気持ちが後退する。薄い紫のカスミソウが描かれた着物を纏う玲奈の瞳に自分と同じブルーリーアイのような能力があると感じたナーコは油断のならぬ目で玲奈が余計な動きをしないように見据える。
(アタシと同じようにダンジョン外でも能力を使える? この二人何か他の人間と違う……)
しかし、相棒の秀人は一年ぶりの再会に動揺を隠せないままいる。
「……あの代々木の森で自分の羽織を残しのは何故だ?」
「わかるだろう? お前がその羽織を受け継ぐ者に相応しいからだ」
「――!? 何を言ってる? あの幻武幻影流の本質に気が付き扱える者はそれを他者に見せないのが高杉家の約束のはずだ。あれは現実世界の技じゃない」
「そう、幻武幻影流は現実世界では魔術とも呼ばれる類のもので他者に口外はもちろん見せるのも許されない。それを見せたら相手は自分を人間と見なくなるのと同時に、死ななくてはならないからな」
「俺は口外も何もしていない……そしてこれからも剣を扱う事など……」
「もう十分にゲームキラーとして剣を使ってるだろう。まやかしの世界の技などを使っているからそのような姿になるのだ」
「なっ、何っ!」
「スキルゲージとゲームアシストにばかり頼るから自身の身体で対抗できんのだ。昔のお前ならあの程度の小物などたやすく倒せていたものを」
「俺はゲームキラーだぞ。俺は強い」
「ゲームはあくまで設定された技の強弱でしかない。もし、ゲームアシストが使えなくなったならば全てのゲームキラーはただのプレイヤーと化すだろう」
「……聖子は、お前の妹の聖子は死んだんだぞ。少しは悲しんだのか?」
「悲しむ時間があるなら俺は自分のすべき事をするのみ」
「高杉家とはたいそうなものだな……まるで冴木のように傲慢だ」
「女とて高杉家の人間だ。戦士ならば戦場で死んでこそ華。俺はそうある」
「……」
「お前は何故自分が望んだゲーム世界が現実になりゲームマスターとして君臨するはずの冴木が半年も現れない事がおかしいと思わないのか? お前だけではない。ゲームキラーと呼ばれるシステムアシスト無しでは何も出来ない攻略組ともてはやされる冴木の犬全てに言っている」
「い、犬だと? お前は一体何を見て何を知ってる……」
「この世界の本質を見極めろ」
その言葉に秀人は言葉を失う。自分は、全てのプレイヤーはゲーム内のアシストがあるからこそ強くあり、現実世界ではゲームが上手いだけのただの人である。それを認めたくないからこそ日々ダンジョンで自分の強さを誇示し、世界に自分の存在の強さを証明する。だが、幻覚の言葉はユナイトブレイカーの本質を破壊する言葉で反論をする余地が無い。それは今のキエサの戦いで現実世界の戦いというのを嫌というほど知ってしまったからである。
「……あのキエサの強さは何だ? あれじゃまるでここがダンジョンと同じくユナイトチェンジしてるのと同じじゃないか」
「気がつかなかったの? あの衣装はゲーム内専用のアバター。現実じゃ目立って仕方ないから真のゲッコーの連中は現実ではいたって普通の格好。つまり――」
「冬月、奴を甘やかすな」
スッと鋭利な一重まぶたを玲奈に向ける幻覚に秀人は笑いを浮かべ、
「何だ? お前まだ玲奈を苗字で呼んでるのか? まさかまだキスもしてないんじゃ――」
サッと玲奈を抱き寄せる幻覚は唇を重ねた。
それは秀人の内面を激しく傷付け、どうにもならなかった。
ただ時間を過ぎるのを待ち、今はナーコが好きなんだ! という一念でその屈辱に耐えた。身体が震え、この男を殺してやりたいという感情が爆発しそうである。
「こんな事など毎日している」
やや上擦った声の幻覚は玲奈の手を引き去っていった。
その後姿を秀人は熱が収まらない頭と身体を抑え付け複雑な思いで見つめていた。
夕日が、秀人とナーコの影を伸ばし小さいほうの影が大きい方の影に重なった。