コーヒーブレイク
「彼と二日目に話したのは、ここまでです」
そして、片平は大きく息を吐いた。
何か飲むかと尋ねると、はい、と小さな声で答えた。
私は同席している後輩に、小銭を渡した。
「コーヒー、私の分も」
慌ただしく出ていくのを見送り、片平に向き直る。
疲れた顔をしていた。無理もない。長く沈黙を続けていたかと思えば、今日は話しどおしだったのだ。どちらも、神経を使う。無理をさせるつもりはない。話してくれる分には続けるが、強制するつもりはなかった。
コーヒーを待ちながら、私は片平が語ったことを整理しようと試みた。
名取は、片平の家の庭に身を潜めていた不審者だった。しかも刃物を所持しており、片平に対して危害を加えようとした。
普通なら、まともに相手をしようとは思わない。
警察を呼ぼうとするか、大声を出して人を呼ぶか、全力で逃げるか。
なぜか?
恐怖心だ。
何に対する?
(それは―――命を奪われる恐怖だ)
だとしたら、片平は―――。
唐突に降ってきたその思考に、私は思わず彼の顔を見た。
その静謐さに、身震いさえした。
片平には、何か人を惹きつけるものがあった。
初めて対面したときから感じていたことだ。
それは、華やかさや明るさが人を魅了するのとは違う。そういった健康的な魅力とは、対極にあるものだった。
彼を見ていると、これまでに見てきた数々の殺人現場が頭に浮かんできた。そこで行われた様々な殺し方を想像した。そこで交わされた殺意と恐怖が、自分自身の感情のように、喉の奥からこみ上げてきた。殺したいという激しい感情と、殺さないで欲しいという懇願が、同時に、吐き気のように沸き上がってくる。そして、それは決して、不快ではなかった。
ある種の、カタルシスかもしれない。
片平という男が持つ静けさの中に、暴力的な狂気を感じずにはいられなかった。
彼が語ろうとしているのは、名取の遺言だ。単に、その身に起こったことを時系列に沿って話しているわけではない。それを、不意に意識した。
重苦しいドアが開いて、先ほどの後輩が入ってきた。紙コップに入ったコーヒーを二つ持っている。自分の分は諦めたらしい。
カップを差し出すと、片平はわずかに腰を浮かし、手を伸ばした。
いただきます、と小さく呟き、コーヒーに口をつける。
彼がここまで話した内容には、いくつか、重要なことが含まれている。コーヒーを飲みながら、それを頭の中で整理しようと試みた。
一番大きいのは、被害者の男が、現在捜査中の殺人事件の犯人だということと、もう一件、発覚していない殺人があるということ。これは報告する必要があるが、今ここで追求することではない。あくあまで、第三者の証言ということになる。真実かどうかも、今の段階では何とも言えない。それを検証するのは、私の仕事ではない。
だから、これについては一旦、置いておく。
この場で重要なのは、片平に掛けられている嫌疑が、監禁致死であることだった。
私が捜査当初に困惑していたとおり、これでは監禁とは言えない。
二日目の朝には縄を切り、逃がそうとしている。
そして、名取というこの被害者の男は、自らその場に留まり、食事の提供を断っている。
すべてが片平の自宅という閉じた空間で行なわれたため、彼の言葉を裏付けるものはない。だがもともと、監禁致死で逮捕するには、状況が不自然すぎたのだ。
先ほどコーヒーを買ってきてくれた部下は、私のノートパソコンを覗き込み、片平が話した内容を読み返していた。不可解だと、顔に書いてある。
同感だ。
片平はあの晩、結果的に名取と揉み合いになり、そして唐突に、互いに身を引いている。
奇妙だと思った。
普通ではない、と。
なぜ、名取は片平を殺さなかったのか?
(それは……)
片平が、逃げることも助けを呼ぶこともしなかったからだ。
そういった、死の恐怖に駆られて取るであろう行動を、片平は冷静な判断で切り捨てた。
(彼らは、同類だ)
名取が大人しく両腕を縛られたのは、恐らく、彼にもそれが分かったからだ。
ことんと、乾いた音がした。
片平が、カップを置いた。まだ半分ほど残っているが、もういい、ということらしい。
半分。
彼は弁当も飲み物も、出されるものはすべて、半分残す。
「話しても、いいですか」
私もカップを置き、部下が見ていたノートパソコンを、自分の前に引き寄せた。
「ここから先は、少し、長い話になるかもしれません。それから、この事件とは、あまり関係のない話になるかもしれない」
それでも構わないか、と。
構わないと、私は頷いた。