序
ひとりの男が、監禁致死の疑いで逮捕された。
片平という物静かな青年で、県内の大学で助手をしていた。
彼の住まいは、都心から離れた海沿いの小さな町にあった。高齢者の多い、漁業の町だ。夏に海水浴客で賑わうほかは、これといって見るもののない、静かなところだった。
彼は、小さな平屋の家に、ひとりで暮らしていた。トタンは潮風で傷み、嵐になれば戸が鳴るような、古い家だった。もとの家主は、取り壊すにも費用がかかると、頭を抱えていた。それを、数年前に片平が格安で譲り受けた。
その、廃屋の一歩手前のような家で、秋の終わりに男の遺体が発見された。
年齢は片平と同じくらいの、二十代半ばの男だった。すぐに身元は判明し、都心に近いアパートでひとり暮らしをしていたことが分かった。二週間ほど帰っておらず、捜索願が出されていた。発見時、男は両腕をネクタイで縛られた状態で椅子に座り、餓死していた。
警察に通報したのは、片平自身だった。
この事件の捜査を担当することになって、私ははじめ、途方に暮れた。
どういった経緯でこのような結末になったのか、想像ができなかった。
容疑は監禁致死ということになっているが、逃げ出せない状況ではない。腕は拘束されていたが、椅子に縛り付けられていたわけではない。片平は、昼間は大学にいる。その間に、外に出ればいい。
何か弱みでも握られていたのかと、関係者に聞き込みも行った。だが、結果として何も出てこなかった。この二人を繋ぐ要素は、何も。交友関係が重なることはなく、仕事上の繋がりも皆無だった。
二人の間に何があったのか、知っているのはもう、片平自身だけだ。
片平は、一週間、沈黙を守り通した。
取り調べのために用意された部屋で、まるで男が死に至った過程をトレースするように、椅子に座り続けた。骨張った細い手を、膝の上で重ねていた。その手の甲には、剃刀を走らせたような、無数の傷があった。どうしたのかと尋ねたが、答えはなかった。表情はなく、わずかに目を伏せて少し下を見ていた。色の無い、乾いた目をしていた。まだ若いのに、頭にはやけに白髪が目立った。痩せた頬に、睫毛が淡く影を落としていた。
昼には弁当が運ばれてきたが、片平は決まって半分ほどで箸を置いた。ほかに食べたいものはあるかと問うたが、首をわずかに横に振るだけだった。
あとは影のように、薄暗い部屋で微動だにしなかった。
片平が口を開いたのは、八日目の午後だった。
私は彼に、被害者について、話せる範囲で話していた。そうすれば、何か話してくれるかもしれないと思ったのだ。
私は、彼らがどこで知り合ったのか、どういう繋がりがあったのか、あの手この手で聞き出そうとした。そういうことが、八日目まで続いた。
八日目の午後、確か、被害者の恋人の話をしているときだった。捜索願を出すよう、家族に強く勧めたのが、彼女だった。私はその女性と直接は対面していなかったが、ひどく取り乱していたという。
そんな話をしていたときだった。
何が彼の心を動かしたのかは、このときはまだ分からなかった。
片平は俯いたまま、静かに言った。
「これから話すことを、彼女に、すべて伝えてくれますか」
想像していたよりも少し低い、掠れた声だった。
「ひとつ残らず、すべて」
そうして、彼は語り始めた。
被害者と出会い、そして彼が死亡するまでのことを。