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チャプター:1 飛んで火に入る夏の虫

 大切なものを無くしてしまうようでいて、それぞれが踏みしめる大地がいつ自分のものになったかを思い出させる冒険。その冒険のきっかけはとても些細なことであり、日常の一部であり、これから起こる事とは全く関係ないように見え、実際関係ないはずだった。

「あー、もう」

 そのとき白波瀬(しらはせ)楓は、電子レンジ(御十一歳)と格闘している真っ最中だった。

 中学最後の夏休みが先日、校長の話しが終わった瞬間に始まったはずなのだが、楓は喜びを噛み締める前に、昼食を待ち侘びている腹の虫を黙らせたかった。

 楓がげんなりした気分を払拭しようとふと、強く白い光を斜めにして吐き出している窓に、視線をやった。

 向こう側に見えるのは、まるで別世界。雲ひとつない艶のある空から透き通った太陽光線が注ぎ、通りに植えられた並木の銀杏は、鮮やかな緑色の腕をめ一杯に伸ばしてそれを浴びていた。はらはらと、気持ち良さそうに風に揺られている。その風が窓から舞い込むとカーテンが緩やかに波打ち、風鈴がどこか遠くで鳴り響いた。

 真夏は、特別な季節だ。

 この静かで穏やかな風景に身に火を宿した炭のような、何かが始まりそうでうずうずするモノが湧き出してくる気がしていた。そんなカラッとした世界が窓の向こうに見えるのだ。

 楓は今すぐにでもその世界に飛び出したかった。だが電子レンジは動かない。扉はしっかりと閉まるが、なにが悪いのか安全装置が作動したままで全く微動だにしないのだ。これは(今目の前のテーブルで楓を待ち切れずに昼食を先に食べている)弟の俊の出産祝いに死んだ父が買ったらしいが、ずいぶん使ったのだからもう買い替えてもいいのではないか、と楓は思っている。いや、思うだけでなく以前楓は母親にそう相談したのだが、父の遺品だしとか、俊の記念品だしだとか、まだ使えるんだからお金もないしもうちょっと頑張ってよ、などとのたまうので、楓は半ば諦めている。たしかに、母が言うように使えなくはない。が、繊細なコツがいる。

 心なしかレンジの扉を持ち上げ、そのまま指でねじり込むようにして速すぎず、遅すぎずの絶妙な速度で閉める!

 というものだ。今は楓の指が調子悪いのか現在十二回失敗している。

――ギャン

 と、その時。十三回目に扉を閉めた途端、ぎゃああというようにレンジが叫び声をあげだした。

「よっしゃあ!」

 ようやくの成功に楓は思わずガッツポーズを決めた。これで昼食が食べられる。冷蔵庫に入っていた今日のメニュー(今は仕事中のはずの母の作り置き)は麻婆豆腐だった。辛党な楓には大好物である。

 二分十五秒間、憎きレンジの前で突っ立っているのも癪に思い、楓はダイニングテーブルで既に成功させていた麻婆豆腐を、黙々と食べている俊の前に座った。

「ねえ、遠慮とかないわけ? お姉ちゃんを待っててあげようとか」

「……」

 俊は黙々と食べたまま、楓の声には反応しない。

 楓は眉を上げた。そして、一秒ごとにその眉が寄せられていく。

 もし、俊が姉の額に大きな縦の皺があるのに気付いて慌てて妙な話題を提供しなければ、楓はレンジのイライラも相まって、顔に浮かぶ怒りマークだけでは済まなかったかもしれない。だが、そんなことにはならなかった。《特別》を待ちわびていた楓には、妙な話題もそれなりに興味深かったからだ。

「姉ちゃん、あの噂知ってる?」

 楓はその噂を知らなかった。あの、と言われても全くわからない。

 恋愛の話しだろうか、でも十一歳でそこまでませてるとも思えない。ならばオカルト、いや、そんな趣味うちの弟は持っていない。

 そこまで考えてじゃあなんだろうとかと楓が頭をひねると、すぐにひらめいた。

「駅のハイパーナチュラルプリンに千分の一個の割合であんこが入ってるって噂のこと?」

「なにそれ、初耳だよ。しかも絶対ガセでしょ」

 呆れたように半目で見られてしまった楓である。降参だった。

「じゃあなに」

「ほら、すぐそこの御影山」

 俊は右手をすくっと横に上げると、トイレのドアを指差した。実際にはトイレと壁を通り抜けたその先、標高六十七メートルの山というより高い丘のような場所を指差していた。

 御影山緑地はこの地域の桜の隠れ名所だ。現在はシーズンも終わり、花火祭りの主役を隠す邪魔者にしかなっていないが。

 実はね、と俊は少しもったいぶって言葉を紡いだ。

「UFOか人魂がでるんだって!」

「うさんくさい」

 まさかのオカルトにはさすがに楓も驚いた。それこそプリンより断然ガセらしい。今度は楓が俊にうろんな目を向ける番だったが、俊はその視線を気にすることもなく上の空な様子で話を続ける。

「それを確かめに御影山に行くんだ、同じクラスの女の子と一緒に!」

 嬉々として言われた最後の言葉は、上の空も超えて明後日の方に飛んでいくほどの衝撃を楓に与えた。オカルトじゃなく、この話しは、恋愛だと気づいたわけだ。

 この時ばかりは後方でリーンと鳴ったレンジの音にも、楓は気づかなかった。

「ませ過ぎよ! 誰と行くの!?」

 いきなり立ち上がって身を乗り出してきた楓にびっくりしながらも、俊はなんとか答えた。

「ま、ませ……恵梨奈ちゃんだよ」

「…恵梨奈? 友達じゃないわよね」

 楓はゆっくりと椅子に戻りながら、探偵のようにおとがいに指を当てて記憶のバケツをひっくり返した。

「たしか、隣の席の子だったっけ。運動会の時に見たかも……」

 あ! と声をだして、楓は片方の口角だけ吊り上げると人の悪そうな笑みをつくった。俊は楓を警戒してとっさに目を逸らし、代わりに麻婆豆腐の皿を見つめた。

 楓はうつむいた俊の顔をテーブルに寝そべるようにして覗き見る。

「可愛いよね」

「え!? あ、えと…まぁ、そ、その…すごく可愛いよ」

 面白いほど動揺してから急いで取り繕えば、『すごく』がついてくる。これには楓も笑みが深くなった。ニタニタしている。

「茶色がかったツインテールの髪型がすごく似合っててー」

「うん。…それに優しくって、おしとやかで、でもちょっとお茶目なところもあるんだ」

 かかった。

 それでそれでと、楓は調子に乗ってはやし立てる。

「昨日頼みごとされたんだよ。断れなくて……目がビー玉みたいにキラキラしててさ。ホント、かえ姉ちゃんとは大違っ……!」

「なんか言った?」

 華麗な俊のカウンターが決まった。

 楓の笑みは瞬時に引き攣ったものに変わり、思わず低い声が漏れる。俊はといえば失言に気が付いたのか、さっきまで紅潮していた頬を蒼くさせると手で口を覆い、勢い良く首を左右に振った。

 俊の過剰な反応に自分はそんなに怖いのだろうかと、少々落胆する。が、楓はしっかりと俊を睨んでおいた。

「で、どんなの? 頼みごとって」

 気を取り戻した楓は、頬杖をつきながら話を促した。

「えーっと。さっきUFOか人魂がでるって言ったでしょ、それを一緒に調査しようって頼まれたの。恵梨奈ちゃんのお父さんって御影山の地主だから」

 恵梨奈の父親がどこかの社長だという話を、楓は近所のおば様方から聞いたことがあった。たしかに、所有している山がホラースポットやらオカルトスポットやらになるのは気分が悪いものだろう。

「でも普通自分の子供にそんなこと調べさせる?」

「内緒なんだって。……いつも忙しいお父さんに代わって噂を調査して、少しでも助けてあげたいって恵梨奈ちゃんが」

 僅かに、複雑な表情をして俊は押し黙った。

 楓もなんとなく俊の気持ちが分かって、同じような顔になる。俊は父親というものを知らないから、恵梨奈のことを少し羨ましく感じたのだろうと、楓は思った。

 だが、これでどういう状況か分かった。恐らく恵梨奈はまず自分の友達に声をかけたのだろう。けれど、話を聞くうちに内容が肝試しとほぼ同じだと気づいた友達は、誰一人も協力するとは言わなかった。そして切羽詰まった恵梨奈は隣の席の俊に気づいた、という訳だ。それはもう必死に頼んだに違いない、断られてしまえばたった一人で肝試しなのだから。そして、俊はそのキラキラの瞳に逆らえる筈もなく頷いてしまったと。

 楓は一人納得したが、今度は噂の内容に疑問が湧いた。

「ていうかさ、UFOか人魂かどっちかにはならないの?」

 純粋な疑問だ。いくら酔っぱらいでも、まさかその二つを見間違うとは思えない。

「それが本物のなのかよく分からないんだよ」

 しかし、切り替えの早い俊が先ほどの表情を欠片も残さず明るくそう言うが、多少的が外れている。

「だろうね」

「事の始まりは恵梨奈ちゃんの友達のおじいさん。いつも学校に行く時に挨拶してくれるあのおじいさんだよ。その人がね、夜中に自販機で煙草を買おうと外に出たんだ」

「ああ、やっぱりヘビースモーカーか。ヤニ臭いと思ってたのよ」

「姉ちゃん……」

「はいはい」

 俊はため息を小さくついたが、続きをすぐに話してくれた。

「ところが、友達が言うには何十秒もせずに帰ってきたんだ。ものすごく慌てていた様子で、訳の分からないことを口走っていたらしい」

「訳の分からないこと……?」

「光が出てくる。そう何度もわめいて、最終的にぎっくり腰になったって」

 ぎっくり腰の下りで思わず、笑いの衝動が喉に上、楓は寸前の所で飲み込んだ。

 どうも胡散臭い。

 そんな気持ちまでは隠せなかったのか、表情に出てしまったらしい。俊は苦笑した。

「そりゃ、僕だってそれだけじゃ信じないよ。でもね、そのあとも目撃者がいっぱい出てきたんだ」

 楓は眉をひそめた。

「どんくらい?」

「全部の把握はしてないけど。向かいのおばさん、六年生のたつみさんとみよさんとけんたさん、そして恵梨奈ちゃんも。恵梨奈ちゃんが言うには、山のてっぺんに純白の未熟な光が見えたんだって」

「未熟?」

 俊は頷いた。

「未熟っていうのは、えーと、なんて言ってたかな。まだ完全じゃないというか、あ、そうだ。割れ目から覗いているような、そんな光だったらしいよ」

「ふーん」

 光を見た人しかいないのなら、UFOか人魂という噂になるのだろう。

 だが、目撃者が多いというのは、意外な事実だった。

 このたぐいは目撃者など増えずに、尾ひれやらがついた噂だけが広がっていくものだと、楓は思っていたからだ。御影山の頂上で何かが起こったことは確かだろう。

「で、今から調査しにいくの?」

「うん。まあね」

 また心ここにあらずといった様子で、曖昧にうなづいた。

 今の俊の服は青のTシャツに、ベージュ色の半ズボンだ。御影山に遊びに行くのならこのくらいでいいだろう。だが、よくよく観察してみると、Tシャツは今週デパートで買った新品だ。半ズボンだって俊のお気に入りで、カジュアルさを重視したデザインのいい物である。

 つまり、デートするのでお洒落しているわけだ。

 対する楓はといえば、下は青のジャージ、上は着古してよれよれの薄ピンクのTシャツ(get hotと、でかでかと描いてある)だ。うなじまで届くポニーテールも毛先がひどかった。意識して、今更に楓は自分の服装が恥ずかしくなった。

「あー、だからさっき無視してまで麻婆豆腐をぱくぱく食べてたわけだ、遅れないように」

「そゆこと」

 見ると、器の中は見事に空っぽだった。

 その時。

――ピンポーン。

 インターホンが鳴り響いた。

「ごめんくださーい。俊くんいますかー?」

 ドアの向こうのせいでくぐもってはいるが、それでも十分可愛らしい声を聞いて、楓は開きかけていた口を閉ざした。どうやらこの家で合流の予定だったらしい。

 俊は最初驚いた顔をしたが、その後は赤くなったり青くなったりと大忙しだった。

(どんだけ緊張してるのよ)

 楓は椅子から立ち上がった。弟が惚れた子がどんなものか改めて確かめたかったからだ。

「ちょ、かえ姉ちゃん……」

 俊の慌てた声が聞こえたが楓は構わなかった。

「はーい、今出ますね」

 玄関に駆け寄ると、楓はドアを押し開けた。

「あ、俊さんのお姉さんですか? 初めまして、恵梨奈といいます」

 そこには、可憐な少女が立っていた。照りつく日差しの中でもより輝いているようにみえる微笑みを浮かべて、ぺこりと、でも子供が出している雰囲気ではない優雅さで、お辞儀した。濃い茶色のツインテールがふわりと揺れる。毛先は美しくまとまっていた。

 楓も流石に驚いて、しばし、ぽかんとしてしまった。思ったことといえば、俊のハードルは高いな、というぐらいだった。

「あ……。俊はいるわよ。話は聞いたんだけど、小学生二人だけで山に行くなんて御影山といえど少し危ないんじゃない? お母さんだけにでもどこに行くか話してきた?」

 やっと喋った言葉に、恵梨奈は意外にも好戦的な表情を整った顔に作った。

「いえ、母は父には隠し事をしないので話してきていません」

 それは、と思い、楓は恵梨奈を論そうとしたが、その前に恵梨奈が不敵に笑った。

「大丈夫です。私たちが怪我をして父に迷惑をかけるのは本末転倒なので、山登りの注意事項も一通り図書館で調べました。それに」

 恵梨奈は背負っている赤いリュックを指差した。

「サバイバルグッズも持ってきました」

「……」

 楓は頷いた。この子可愛いところある。

 お茶目だなー、と内心考えたが、とりあえずそこまで用意周到なら危ないところには近づかないだろう。楓はほっとした。

「じゃあ、姉ちゃん行ってくるね」

 後ろから声が聞こえたかと思えば、楓の横をすり抜けて俊が外に出た。真っ赤な顔をキャップで隠している。耳は見えているが。

「ああ、うん、気を付けてね」

 行こ、と俊が恵梨奈に言うと、恵梨奈はまたぺこりと頭を下げて、二人は一定の距離を空けて並んで歩いていった。付き合わせちゃってごめんねとか、いや、別に大丈夫だよ、とかの声がジリジリとした日差しの中、遠ざかっていく。

 何が大丈夫なんだか、と楓は思いながらドアを閉め、日当たりの良いリビングに入るとテレビの前のソファにどかっと座り込んだ。クーラーが効いているというのに、窓からの太陽のせいでソファにしぶとく溜まっていた暖かさが身体に染みてきたが、嫌な感じはしなかった。楓は欠伸をした。

 やることはある。何しろ楓は中学三年生で、高校受験が控えているのだ。夏休みといえど机に向かうのが普通だろう。だが、今はどうもやる気がしなかった。

 成績はなんとか中の上を保っている。興味のある授業には人一倍集中力を発揮するし、そういう意味で勉強は好きだった。だが、逆に言えば、興味のない授業には全く手が付かなかったし居眠りもするのだ。

 もしかしたらさっきのドタバタでやる気がしないのかもしれないと、楓は思った。思い出して楓はまたニタニタする。

 興味があることには一直線な楓だからこそ、さっきの事件に気持ちが向いて、勉強する気が起きないのだと。

(もうそんなに、大きくなっちゃたかー)

 顔の笑みが深くなるのと反対に、背中が頼りなくなるような寂しさが心に落ちた。まるで、子離れできない親のような気持ちになって、楓の笑みは苦笑に変わった。

(まあ、そんなもんかもなー)

 ふと、突然まぶたが重くなって楓は気付いた。勉強のやる気が起きなかったのは、ただ単純にソファに抱かれて、眠くなっただけだと。何かを忘れている気がしたが、楓は睡魔に抗えず目を閉じた。

 だが、楓は気付くはずもなかった。もうすぐ、日常が終わり、《特別》がやってくることに。



 音がした。ざわざわと騒がしい。だが、まだ意識が覚醒していないのか、楓には全てが霞の向こうで聞こえるような気がした。ソファで寝たことを思い出して、僅かに目を開け、のっそりと身を起こすと腹が鳴った。

「あー……」

 麻婆豆腐がまだ電子レンジの中だ。どうりで、と楓は思った。

 外の通りで騒がしい、人の声がする。何だろう。

 日が暮れているのかと想像したが、そんなことはなく、部屋の中にはさっきと同じようにさんさんと日が射している。掛け時計をみても寝てからそんなに経っていないことが分かった。

 早く昼食を食べようとソファから立った、瞬間。

 サイレンが鳴った。

 消防車だ。耳鳴りがするほど大きな音が近づいて、遠くなる。――近くで火事があったんだ!

 激しい胸騒ぎがした。いつもなら他人ごとのように聞いているサイレンが、今だけは深刻に響いた。

――コンコンココンコン!

 だから慌ただしいノックでドアが叩かれたとき、楓は心が落ち着くのが自分でも分かった。俊かもしれない。

「楓ちゃん、いるかい! 御影山が燃えてるよ!」

 いかがでしたでしょうか。

 初めまして、はなだです。どうぞ楓の冒険をよろしくお願いいたします。


2013/5/23 大幅改稿

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