放課後の教室で……
夕焼けに染まった教室で、俺は彼女と向かい合っていた。
時刻は既に五時を過ぎており、この高校の授業はとっくに終わっている。
そのため教室には、俺と彼女の二人の姿しかない。
「……」
彼女の顔は前髪に隠れて、ほとんど見えない。
唯一見える場所と言えば口元だけだろう。
長すぎる髪の毛が、夕焼けの光によって輝く。
美容院に行く事がないのか、彼女の髪の毛は伸び放題。
それは、他人から見れば不潔と言われるだろう。
伸び放題の髪の毛は、自然と汚らしいと思ってしまうものだ。
しかし俺の目には、それが彼女の美しさを表しているように見えた。
「……ぁ」
何か言おうと口を開くが、すぐに口を閉じてしまった。
引っ込み思案というわけでもないのだが、友達どころか喋る相手もいない。
喋る事に躊躇いがあるのだろう。
もしも彼女の姿を俺ではない別の誰かが見たら、必ず驚き距離を取ろうとする。
彼女の評価は、それ程悪い。
「落ち着け……」
だけど俺は違う。
「深呼吸して落ち着いて……、な」
今の言葉では彼女を嫌っているようにも取れるだろう。
彼女との会話を、早く切り上げたいように感じられるはずだ。
しかし、俺は彼女のことを嫌ってはいない。
その逆で、むしろ好意を持っている。
彼女は俺の言うことに頷き、ゆっくりと息を吸った。
「すぅ……」
「……」
手を大きく広げ、ラジオ体操のように深呼吸をし始める。
そのとき彼女の前髪が少しだけ動き、空のように澄んだ青い瞳が一瞬だけ前髪の隙間から現れた。
深呼吸する為か、すぐに瞳は閉じられたが、俺の目は確かに彼女の目を見た。
「はぁ……」
彼女の髪の毛が横に大きく広げられた手と共に、元の位置に戻る。
「すぅ……」
そしてまた、その手が大きく横に広げられた。
再度、彼女の長い髪の毛が動く。
しかし前髪はあまり動かず、彼女の瞳を見ることはできなかった。
「……はぁ」
ゆっくり息を吐き、彼女は俺を見た。
髪の毛で目が何処を見ているのかわからないが、顔の向きから俺の顔を見ているのは確実だ。
遠くから運動部と思われる、元気な掛け声が聞こえる。
しかし、聞こえるだけだ。
その声に意味があるわけでも、俺や彼女を呼んでいるわけでもない。
「あ、あのっ」
彼女が大きな声を出す。
初めて彼女の大きな声を聞いた俺は、驚き一瞬呆然としてしまった。
その事に彼女は、しまったという感じに口を開いて静かになる。
しかし彼女はすぐに口を閉じ、小さく何かに頷く。
「あの……」
そして、また同じ言葉を言う。
彼女の初めて見る姿に、俺の心臓は普段とは違うリズムを刻む。
胸が高鳴るとはこの事を言うのかと、塵のように小さい俺の冷静な部分は思っていた。
「……」
「……」
夕焼けで染まった教室に、男女が二人だけ。
俺はこの状況を知っている。
いや、この状況を知っているのは俺だけじゃないはずだ。
「……お話した事もない、一夜君に言って良いのか不安ですけど……。 ……聞いてくれます、か?」
その彼女の言葉に、俺はゆっくり頷いた。
心臓の鼓動が大きく聞こえる。
彼女の顔を前髪が覆っているが、不安がっているのが分かる。
固く閉じた口が、そう物語っていた。
「……」
頷いたのを見ていなかったのか、彼女は未だ不安がっている。
「……うん、聞くよ」
だから俺は行動ではなく口にし、再度肯定。
ぶっきらぼうな喋りも彼女の不安を煽るだけと思い、自信の中で最大に優しい言葉に変えてみた。
少し微笑み、彼女を安心させる。
「ありがとうございますっ」
スカートの裾を強く握り締め、彼女はそう言った。
髪の毛で表情は読み取りにくいが、嬉しそうに微笑んでいる。
「……じ、実はですね……」
心臓が生まれて初めて、運動以外で大きく鼓動する。
そして、彼女は口を開いた。
「私に、小説の書き方を教えてください!!」
その言葉が、俺と彼女の始まりを告げる合図だった。