死とは最大の安寧であるととある男は囁いた
「そう言えば、どうして奴隷紋は廃れたの?」
主の命令は絶対で反抗も許さない。そんな強力な紋は、この世界では廃れていた。
遥か昔の技術として言葉が伝わる程度で、その紋はすべて廃棄されているが、そうなった経緯は、あまり声高に語られてはいない。
「あー」
寝物語に語られる。そんなおとぎ話程度のお話だ。
口伝で細々と理由は語られているし、知らない家庭はほぼないくらいには浸透している。
奴隷紋を復活させようなんて考えないように。
「まあ、もう少ししたら教えるつもりだったし良いか」
ちっと長くなるぞと前置きされて、語られたのは、一人の奴隷の話だった。
その奴隷は賢すぎた。
誰よりも何よりも賢く、そして狡猾だった。
奴隷は主人に逆らえないが、逆を言えば、主人が望むならどんなことでも出来るのだ。
その奴隷は、従順だった。従順で賢く主人の望みを叶え続けた。
「だからね。主人は少しずつ、その奴隷の言葉を信じていったんだ」
「それの何処がいけないの?」
信頼関係を築けたのは良いことなのではないかと、幼子はいう。確かに表面の言葉だけとらえれば、それは悪くない。
「それは信頼関係ではないからだよ」
それは狡猾な罠。まるで張り巡らされた蜘蛛の糸のように、もがくほどに絡め取られる。
周りが気が付いたときには、主人は死んでいた。奴隷の手によって。
しかし、それは先駆けでしかなかった。
男はとても賢かった。
一人でなすことなど意味がないと知っていた。だから男は自分以外の奴隷にもその方法を教えたのだ。
奴隷たちは半信半疑で男の言葉通りにやってみた。主人に害なす言葉ではないため、するするとその言葉は口をついてでる。
甘やかし肯定し、労い。そして自分がなにも考えずにいられる奴隷であることが嬉しいとことあるごとに囁いた。
そうして主人を哀れむのだ。
「ご主人様はこんなに頑張っていらっしゃるのに決して報われることがないのですね。我らはそんな思い煩うことなどないのに」
主人より奴隷の方が幸せだと穏やかに告げる。
そして主人は、とうとう奴隷に問うのだ。
「どうしたらこの苦しみから逃れられるのか」
そうして奴隷たちは言うのだ。
「死すればなにに思い煩わされることはありません。ご主人様は私に御命じになればよろしいのです。この世から解き放って欲しいと」
殺せとは言わない。奴隷にそれを命じれば、それは自殺だ。奴隷は道具。道具を使って死ぬのは自殺で、それは教義が許さない。
ゆえに、直裁な言葉ではなく、思い煩うことからときはなって欲しいと望めと囁いたのだ。
死という、直裁な言葉に初めこそ恐れおののくが、奴隷の甘言は止まらない。ご主人様の奴隷として、思い煩わされることのない日々は幸せでたまらないと、幸せそうに言うのだ。
しかも、この世から解き放てと命令しろとは二度と言わず。
お可哀想な主人様と、ただただ、哀れむのだ。
奴隷にすら哀れまれる己の生き方は、果たして正しいのか。
そして、そんな思いに捕らわれ続けた主人はとうとう、奴隷に言うのだ。
「おまえの手で、私をこの世界のしがらみから解放ってくれ」
と。
「ああ。おかわいそうなご主人様。私があなた様をお救いいたします。なににも思い煩わされない場所へと私が誘いましょう」
そうして、あまたの奴隷達が、現世で思い煩わされる主人達を苦痛から解き放った。
異変に気が付いたときには、有力な家の人間がだいぶ害された後だった。
主殺しなど奴隷が出来るはずがない。その思い込みが被害を拡大させた。
主を殺した奴隷を捕まえたところで主殺しは止まらない。奴隷は一人ではないし、奴隷同士の交流を妨げることなど考えたこともなかったため、奴隷同士が繋がって同じ思想をまき散らしているのだと気が付かなかった。
奴隷が主を殺していると分かってから、かの男の奴隷にたどり着くまでにも、少なくない人間が死んだ。
捕まった男はさしたる抵抗もせず、にこやかにそれこそ友好的とも思える微笑みながら、正しく質問に答えていった。
「主を害したことなどない。奴隷がいかに幸せかを説いただけだ。主が勝手に現世に望みを失ない死を望んだのだ。
それが俺の言葉のせいだったとして、どうして俺が悪い。俺は主の奴隷で主の望まないことは出来ないようになっているんだろう、なら、俺の言葉は主の望んだことではないのか」
男の言葉はただの屁理屈だ。しかし、男の言葉通り、奴隷は主を害することは出来ない。奴隷紋の制約は確かにそうなっている。
その制約の隙をついて、男は奴隷でありながら、主を害することに成功したのだ。
今のままでは、また隙を突いて主を害する者が現れるだろう。
「奴隷としてこんなたかだか主を害さない程度の行動を縛るだけに何の意味がある。それとももっと強力な隷属を強いるのか? 一から十まで全て命令しなければならないような奴隷を作るか? それとも決まった行動をさせるか? はたまた、奴隷としての人格でも植え付けるのか? たかだか奴隷のために、そんな労力を割くのか? それはそれは、なんともご苦労なことだ」
奴隷紋の改良は出来るだろう。ただ、男の言うようにたかだか奴隷のためにそこまでしなければならないのか。したところで、本当にそこまでの必要があるのか。
また、それが成功するのかも未知の話。
結局、その答えが出ず、さりとて奴隷紋を入れた奴隷を信用できなくなった。誰が大丈夫で、誰がダメかなど、顔を見ただけで分かるはずもない。
なんとか奴隷紋による奴隷制度を維持しようとした者もいたが、信用できない奴隷紋による奴隷制度の維持をする事に意味を見いだせる者はおらず、奴隷制度が様変わりしていくことを止めることはできなかった。
最終的に信用に足らない奴隷紋による奴隷制度は廃止となり、制度としての奴隷だけが残った。
何か重大な罪を犯した者は奴隷ではなく、危険な場所への労働力や、戦場に送られる。借金返済のためには、軽微な労働をさせるなど、罪の重さによって就労場所が変わることになった。
奴隷紋はなくなり、逃げ出すことが出来ないような、そういう制約がかけられるようになり、現在ではそれが通常になっていった。
それでも、奴隷紋を隠しているわけではなく、そういうものがあったことは子供でも調べることが出来る。そうして、何故それが廃れたのかをこうして口伝のように大人が伝えるのだ。
「でも、その奴隷は本当に言葉だけでたくさんの人を殺したの?」
「そうだとも。身分の高い者ほどプライドも高く、奴隷に哀れまれるなど許せなかった。何故奴隷に哀れまれるような人生なのか。そう思ってしまえば、もう、奴隷の思惑通りだ。奴隷はただ存在するだけで幸せになれるのに、身分の高い者は存在そのものが苦痛だ。それから逃れるには死ぬしかない。そういう選択肢しか与えないのだから、後はもう死ぬだけなんだ」
「分かんないな。結局は奴隷なんでしょう?」
「そうだな。たとえばだ。おまえは今、犬を飼っているな。しつけをしておまえの命令はきちんと聞く賢い犬だ。だが、その犬が言葉をしゃべり、自分は命令を唯々諾々と聞いているだけで何者にも思い煩わされない。犬とはとてもすばらしい生き方だ。けれどもご主人様はなんとも哀れだ。些事に煩わされ、日毎苦悩に満ちている。私はこんなに幸せなのに、私を幸せにしてくれているご主人様はなんとも哀れなことだろう。そんなことを毎日のように告げられるんだ。自分の下にいると思っている犬がそんなことを言い続け主人を哀れむ言葉を紡ぎ続けるんだ。お前は自分が幸せだと言い続ける自信はあるか?」
子供はその言葉を聞いて、想像してみる。うまく思い浮かびはしなかったが、言葉にしがたい不快感はとらえることができた。
「なんかいやかも」
「そう言うことだよ。些細な言葉でも、続けられれば澱が貯まる。自分を否定されることは、思っている以上にきついものなんだ」
「よく分からなかったけど、奴隷紋がなくなったことは良かったのかもね」
「ああ。そう言うことだ。おまえも大人になったら、子供に教えて上げられるように、時折考えてごらん」
そう締めくくると、その話はおしまいと、いつものようにその日の話を聞き出す。
今日は川に釣りに行ったのだと言っていた。なにが釣れたかなど楽しかった一日の話を聞き終わる頃には、すっかりと子供は夢の中。
熟睡する子供の上掛けを掛け直してやると、男はそっと扉を開けて外にでる。
世界はまだ、あの男に呪縛されている。
奴隷紋がなければあの男のようなことが出来ない訳ではない。ただ、思いこみが外されるだけ。
あの男は言葉巧みに人を殺す術を示してしまったのだ。
だからこそ、奴隷紋と男の話は問うた者にだけ答える。下手な好奇心が新たな男を作らぬ為に。そして、新たな男が現れないことをただただ祈る。
昔、下級労働者として奴隷があった頃を思い出す。あの頃はこんな混沌とした世の中になるとは思っていなかった。
奴隷とはただ従うだけの物で、道具の一つだった。
今、奴隷は労働者だ。意志を持って働くため、管理が必要となり、少なくなった貴族階級者や商人などが差配しなければならなくなったが、あの男のもたらした結果、減り続けた貴族階級などいわゆる支配階級層の人手不足で喘ぐこととなった。
あの男がいなくなっても、世界はまだ、あの男の影にあえぎ続けていた。
きっとこれすらも、あの男の手のひらの上なのだろう。
手直ししようかと寝かせていたが寝かせすぎたので投稿。
書き上がったのをこねくり回せないので、こねるなら書き上がる前だったなと反省。
でも、この長さで、結構締めるまで時間要したので、これが己の限界かなとも思ってる。




