生きるために必要なのは、愛か?お金か?
個人的な考えですから、ゆる~く読んでください。
どちらが正しいという話ではなく、今後、何かを考えるための新しい視点として見てください。
「生きるために必要なのは、愛か、お金か?」
よく聞く質問だ。
私は生きるために「愛」が必要だと思う。もちろん、お金がなければ、生きていけないのは知っている。
けど私は、お金よりもまずは「愛」が必要だと感じる。自身のやや不幸な経験と、「バッファロークリークの洪水」という話を考えると、やはり、生きるためには愛が必要だと思う。
私には、(当たり前かもしれないが)両親と実家が在る。けどそこは、私の「家」ではない。
私の両親はW不倫の末に結婚した。そして2人は、新婚生活になぜか付いてきた私を「敵」として虐待することで、真摯に絆を深め、愛し合い、新しい子供を作った。
私が生き延びるために、その家を逃げ出したことで、彼らはやっと「本物の家族」になれたのだ。
私の人生には、『両親からの愛』という当たり前に貰えるはずのものが欠けていた。多くの人々が当たり前に持っているはずの、安全な実家も、自分を心配してくれる親も、私には無い。
「愛」という地盤を持たない私は、常に宙に浮いたような感覚で生きてきた。生きている実感が持てず、世界にヴェールがかかったかのように、全ての実感が薄い。そんな状態で頭をよぎるのは、「自殺」の2文字だ。
ここで、「バッファロークリークの洪水と集団的トラウマ」という話が関係してくる。
アメリカのバッファロークリークという渓谷でダムが決壊し、多くの町が洪水で消え去ったとき、生き残った住民たちは「自分が何者で、どこから来たのかがわからない」という、深刻な感覚の麻痺に襲われた。
住み慣れた家や地域、そして繋がり。そのような、帰るべき『家』を失うことは、単純に場所を失うということではない。
自分の存在を形作る「地盤」を失い、
精神の崩壊を招く、深刻な出来事だ。
私には帰る場所がない。この世界のどこにも。
心から安心できる場所がない。
この浮遊感。――根無し草のような感覚は、おそらく一生消えることはないだろう。
だからこそ、私は生きるためには「愛」が必要だと思う。
ここで言う『愛』は、「好き」といった愛の言葉ではない。自分がこの世界に存在していいのだという、絶対的な肯定感のことだ。
その愛という名の「地面」がなければ、根無し草になり、世界に立つことすらままならない。
心を壊してまで、
お金を稼ぐことは私にはできない。
だから私は、『愛』という地面にまずは足をつけたい。
お金を稼ぐのはその後の話だ。
土のない場所に花は咲かないと思う。
ハッ!?
なんだか暗い!!?
とりあえず、可愛い顔文字だ!
(「・ω・)「ガオー
よ、よし!なんとかなったな!(?)
【あとがき】
バッファロークリークの話は、災害現場で被災した人の心を想像するのに役に立つ。深堀りしたい人は、バッファロークリーク以外にも、『安全基地』と調べると困った人の言動の背後にあるものがより想像しやすくなると思います。




