第8話 摩擦熱 同日 十五時四十一分
辺りの静けさや空の暗さが夜を思わせる。
目の前ではイダルタが、諦めたように雪の積もった地面を見据え、はあ、と白い息を吐いた。もはや殺し合いは避けられない。ウィリアムは腹を括った。
「酷く寒いな」
イダルタは言い、手を揉み始める。皮膚が伸縮し、肌が赤みを帯びていった。ウィリアムはそれを見て、成る程熱を生み出しているのか、と悟る。特性は本当にゴムに近しいようだ。
「用意は良いか? なんて……訊くもんでもないよな」
ホルスターに手を掛けて、イダルタはリボルバーを手に、こちらへと銃口を向ける。ウィリアムはその最中、外套を脱いで、相手に向けて被せた。撃鉄が打ち鳴らされ、ウィリアムの鎖骨が砕かれる。
悲鳴を奥歯で噛み殺すと、ウィリアムは外套を凍らせて、捕縛を試みた。が、イダルタは二歩後退りしてこれを躱わす。もう一度、引き金に指を掛けた。ウィリアムは雪を蹴り、瞬時に凍らせる。地面から氷柱が生え、イダルタのふくらはぎを貫いた。痛みのために弾丸は逸れて、明後日の方向へと飛んでいく。
二発目、と頭の中でカウント。
痛みは、興奮のためかそれとも指輪のお陰なのか、薄れている。
ウィリアムは雪を掻き集めて球を作り、リボルバーに向けて投擲した。イダルタは手の甲から皮膚を伸ばして受け止めると、弾力を利用して跳ね返す。氷の球はあらぬ方向へ飛び、屋敷の窓ガラスを割った。
尚もウィリアムは投擲を続ける。その都度イダルタは皮膚を伸ばして反射し、この一部はウィリアムの腕を折った。
唇を噛んで痛みを耐える。
更に、ウィリアムは雪玉を投げた。イダルタは冷静に皮膚を伸ばして受け止めようとしたが、それは空中で拡散──煙幕のように彼の皮膚を濡らす。氷の球に見えるよう、ウィリアムは薄い氷膜で覆ったのだ。たとえ皮膚で受け止められても、割れるような塩梅を心掛けて。
皮膚は冷たくなり、ひび割れていく。イダルタは舌打ちすると、手袋を外すように、これを剥がした。脱皮すると、下からは傷のない、滑らかな肌が現れる。
ウィリアムは手の内に付着した雪から、薄い刃を作成すると、イダルタに向けて投げていく。イダルタは身を屈めながら銃撃して返す。三、四、五、六、と発砲されたところで空になった薬莢を落とした。
ウィリアムは呻く。一発だけ、足首に風穴を開けた。思わずしゃがみ込み、足を押さえてしまう。と、池が目に入った。
イダルタは弾を装填し直すべく、ポケットから取り出しては、薬室に一発ずつ込めている。
やるならば今だ。決死の覚悟でイダルタに向かって体当たりする。しかし肩を掴まれ、腹部に蹴りを入れられた。呼吸ができなくなり、その場に返された。仰向けになり、曇天とイダルタを見上げる。
「終わりだ」
イダルタは足でウィリアムの脇から肩にかけて踏み、もう一方を反対側の腹に置いて身動きの取れないよう、挟み込んだ。そうした上で、銃をウィリアムの顔に突きつける。
「……その前に一つだけ知りたいことがあります」ウィリアムは荒い息の中、何とか声を絞り出し、「貴方を追い詰めたのは誰ですか?」
彼は無言になり、深く目を瞑った。
「メルヴィル神父だ。……覚えているか? 葬儀にも来ていた、あいつだ」
「じゃあ、彼が母を──」
「いや。それは違うだろう。奴にはアリバイがあった。それに──」何かを言いかけて、イダルタは頭を振る。「もう良いだろう。終わったんだ」
ウィリアムは首を横に振った。「いいえ」
「あ?」
イダルタの足首にナイフが突き立てられる。それは、ニーナが持っていた医療用メスだ。これは足首を撃たれ、しゃがみ込んだ時──悟られぬように拾ったもの。
「十秒の半身失調」と唱えて、ウィリアムは雪を掴んで即席のメリケンサックにし、思い切りイダルタの膝を殴った。
痛みに耐えかね、刑事はウィリアムから離れていく。急いで立ち上がり、ウィリアムは彼を池に向かって突進。二人は共に水中へと沈んだ。
全身を凍らされて、イダルタの皮膚は酷く傷み出している。亀裂が入り、縮み、ぼろぼろに砕けていった。熱を作ろうにも肌は既に弾力性を失っている。
二人は掴み合い、もつれ合い、お互いを窒息させ合おうとしていたが、同時に限界を迎えた。
池から顔を出した時、ウィリアムは鬼のような形相を浮かべるイダルタを見た。家族のために人を殺そうとする者の顔。もしかすると、ウィリアム自身もまた同じ顔をしていたかもしれなかった。
「ウィリアム! 頼むからここで死んでくれ!」
イダルタが叫んだ刹那、彼の鼻先に長い爪が伸ばされた。あまりのことに驚き、躊躇したイダルタは動きを止める。爪の先に視線を持っていき、やがてジェイクの顔を認めると、顔から覇気が消え失せたのをウィリアムは感じた。
「バルパは、どうした?」イダルタは訊ねる。
「気絶してるよ。一応、寒くないように新聞紙は掛けておいたが」
「そうか……ここまでか」
イダルタは脱力して、俯いた。額に張り付いた髪から、水滴が溢れていく。
「マリア……アンナ……」
ウィリアムは彼を見つめることしか出来なかった。疲労感と倦怠感が肉体を支配している。ジェイクを見つめると、不思議なことに、ウィリアムは我に帰った。
ジェイクはまだ諦めていない。表情から、それが読み取れた。不敵な笑みを浮かべてこちらを見つめ返すと、真剣な顔つきに変わり、イダルタに目を移す。
「なあアンタ。事情なら聞いたぜ。で、だ──メルヴィルのクソ野郎が今何処にいるか、知ってるか?」
「聞いて、どうする?」イダルタは聞き返した。
「ぶん殴ってやるのさ! 腹が立つだろう……? 自分の手を汚さずに人を使って俺たちの命を奪おうとするなんざ、許してはおけないね!」
「だが、それじゃあ俺の家族は……」
「知らないぜ、そんなのものは!」ジェイクはしかし、笑顔を作った。「俺たちゃ無関係だからよお。メルヴィルにはなす術がねえなあ──俺たちの怒りを縛るものは何もないから、甘んじて殴られるしかないってわけだ!」
ジェイクの言う意図が、徐々にウィリアムにも浸透していった。彼は部外者だ、だから思い付いたのだろう。イダルタ達の家族がどうなろうと知ったことではないというスタンスを見せつけること。人質としての価値がなくなった途端、メルヴィル神父は自分を守るものが何も無くなるのだ。
何より、彼の持つ指輪は恐らく耳──聴覚を巡らしてこの会話も聞いているに違いない。そして、恐れているはずだ。いや、そうでなくてはいけない。恐怖していれば身を守るために人質を解放し、許しを乞うか、或いはどこかへ避難してくれるのがベストだからだ。
そうなれば、人質は無事なまま。あらゆる問題は解決に向かう。
ジェイクの思い描いたヴィジョンが希望となり、ウィリアムの口許が綻びそうになった。
「確かに、僕らは部外者だ」と、ジェイクに同意してみせる。
「ああ……そんな、まさか」
イダルタは微かな期待の眼差しを、ジェイクとウィリアムに向けた。ジェイクは頷くと、イダルタの襟を掴み、
「さあ、吐け。メルヴィルはどこだ!」
「中央……大聖堂だ」
ジェイクは襟を離し、「行こうぜ、ウィリアム。狩りの時間だ」
ウィリアムは口角を持ち上げて応じる。
「行こう」
イダルタは膝立ちになり、目を伏せた。
「アンナを……俺の娘を頼む」
「それは出来ねえ相談だな」
ジェイクは笑いながら、親指を立てて見せた。




