第59話 51%の業歪(わざわい) 同日十一時一分
「あれが起きた時、私たちの一部はこの経路を逆に辿って、脱出しました」ゴードンは静かに話した。
「あれとは、何ですか」パーシーが質問する。
「災い、です」
途端に水晶たちの声が大きくなった。トーマスは思わず耳を塞ぐ。しかし音を聞いているわけではない。指輪を通して体に伝わっているのだ。無念の声が響き渡る。
「貴方には聞こえるようですね」ゴードンは微笑した。「私たちにも、絶えず、聞こえています。毎日、毎日、同じ声が」
「一体何の話をしているんだ」パーシーが訊く。
「悲鳴だ。指輪が感応して、彼らの声が聞こえる。……聞くかい?」トーマスは訊ねた。
「いや遠慮しておこう」
「彼らは未だに苦しみ続けています。それを、彼女はわかっていない」
「彼女とは誰のことですか?」トーマスが質問する。
「現、ヴィクトリカ女王です」ゴードンは微笑を崩さない。「我々は訴え続けてきました。早く彼らを解放しなくてはならない。でも、そうすれば無念の声が何をするかわからない。そう、もしかすると、私が残した呪いを遂行するかもしれない。そう心配しているのでしょう、彼らは何も動きません」
トーマスとパーシーは押し黙っていた。
ゴードンは水晶に近づくと、優しく撫で、
「彼らは呪いが放出されることを不安に思っています。ですから、定期的に探窟隊を入れ替えて、一人に知識が蓄積されるのを防ぐのです」
「そうまでして、何故王家は遺跡調査を続けるんです?」パーシーが訊く。「中止してしまえば良いのでは」
「目的は我々と同じはずです」
「目的?」パーシーは首を捻った。
「私たちには彼らを癒すことは出来ません。ただ、解放するしかないのです」動きを止め、「手伝って頂けませんか?」
「一体、何をしろと言うのでしょう」と、トーマス。
「王家よりも先に、水晶漬けになった私の頭蓋を探して欲しいのです」
斯くして、水晶頭蓋の捜索は開始された。
本人なのだから、どこに居たのか覚えていないのかと訊くと、わからないと答える。彼女にとって、どの肉体も本人なのだということを、トーマスは失念していた。
歩き回りながら、それらしい姿がないか探したが、一向に見つからない。女王陛下を見つければ、指輪の感応具合からわかるはずだ。だが、それ以上に古代人たちの怨嗟の声が止むことなく鼓膜を震わせる。怨念の大合唱だ。
暗い部屋で閉じこもっているからであろう。もっと心を爽やかに癒すような音楽が必要だ。ここにオーケストラを呼ぼう。王家は追悼式を行わなかったのだろうか。そういえば、慰霊碑も見当たらない。
寒いからか、指先が悴み、感覚が薄れている。いや、そうではない。感応のせいだ。感覚が混ざっている。突然、視界が明るくなった。
「そうだ、この指輪を利用しよう」と男が言う。
確か、彼は追放された肉体だった。斯く言う私も、追放された身である。私は、異なる体に身を包むもう一人の私と対話しているのだ。感覚は共有している。だが、自我意識が異なるから、彼が今何を考えているのかはわからない。
このため、彼は明確な他者であると言える。
「指輪を利用するとはどういうこと?」と私は訊いた。
男は既に、水晶から多量の指輪を生産しているところだった。彼は不明瞭な相槌を打つと、
「簡単なことだよ。全員に指輪を付けるんだ」
「指輪を付けて、どうするの?」
「何を言ってるんだ、自明なことだろう。自我意識を乗っ取るんだ」
「それはわかってる」
私も既に考えた方法だからだ。つまるところ、全員を分断して、自我意識を増殖させることで、全ての肉体を統一する主人格の存在を無化する。この状態で、今度は私たちが主導して繋がり合うのだ。
「それに、乗っ取るだけなら、何も全員に身につけさせる必要はないよ。半数以上で良い」
「そうか。感覚を共有するから、平均して分断された肉体の方が多ければ、全員が分断されたように感じるわけだな」と彼は理解を示す。
「そう。そして私が訊きたいのは、それをして、貴方は何を得たいのかということ」
「得たいのではなくて、捨てたいんだ」と男は言った。「この……分断されて、行き場を失った自我意識というものをさ」
「貴方の動機は理解した」
「なら、手伝わないか?」
「元よりそのつもりだよ」
まずは指輪を増やす。これを元に、誰か一人を選んで指輪を身につけさせた。相手は、記憶が自身に溜め込まれた苦痛から、肉体が耐えきれず、たちまち気絶する。このため、指輪を外そうと抵抗される恐れはない。
私たちの会話や、また行いを共有しているから、察知されるのはすぐだろうというのは承知していた。だからこのために、水晶を利用して追い込み漁をしていく。どれだけ並列意識で多数を制御していようと、たった一つの自我意識では同時に操るのは難しい。
主人格は恐らく、大多数のために少数の犠牲が出るのも仕方ないものとし、目を瞑るだろう。これが狙い目だった。私たちの目標は半数以上の分断である。けれども、たとえそこまでに至らなくとも、平均値は上がるものだ。
苦痛の度合いが高まるにつれ、主人格の判断は鈍っていく。このため、一人また一人と捕まえては、指輪を身につけさせていった。
目標までもう少しという段になって、主人格が現れ、交渉を求めてきた。一人ではない。護衛として、数人を連れてきている。
「貴方の動機は自我意識からの解放ですね」と彼女は言った。「ならば要望通りに致しますから、分断をやめて下さい」
私たちは、追放されるくらいには脆弱な肉体であったけれど、主人格に騙されるほどの頭脳ではなかった。何より精神は未だ共有されている。彼らが私たちを殺そうと画策していることは明らかだった。死によって自我意識から解放させようというのだ。
私たちは可笑しくて笑った。
私は体から大量の水晶を放出する。仲間の男は、体を掻き切って、体内に流れる水晶を溢れんばかりに放射した。水晶は津波となって街を押し流していく。
全てどうにでもなってしまえば良い。
そう思った。
鋭い痛みが頭を貫く。亀裂が走ったようだ。傷口から水晶が飛沫をあげて吹き出る。私は倒れたが、精神はまだ生きていた。私を撃った肉体の中を覗き込むと、ああ、ここは私の居場所ではないらしいことが理解できる。
他者になるには、既にこの感覚質が発達しすぎていたようだ。自分だけの美的感覚。朽ちゆく肉体から頭上を見上げた。水晶で満ちた空が見える。綺麗ではないか。とても。とても……。
水晶は星となり、暗く閉じたこの場所を照らしている。私は眠り、今度は星として世界を見つめていたいものだ。
無化する刹那、どこからか雄叫びが聞こえ、耳を傾ける。仲間だった男の肉体からだった。彼は呪詛を撒き散らしながら、派手に倒れ伏した。豪快な人格だ、と思う。これは恐らく、そういった感覚を生み出すような肉体だったからに違いない。
この場所が水晶で満たされていく。目は見えないが、それがわかる。私は今になって苦痛から解放されたようだ。それが少しばかり申し訳なく思う。もし機会があるならば、今度は、この癒えた喜びをこそ共有しよう。
誰かのために。他ならぬ自分のために。
世界は暗転し、水晶の煌めきも薄くなる。
トーマスは大きく息を吐いた。
言葉にならない声を出す。
何と言って良いか、わからなかった。
古代文明の崩壊。その理由を垣間見たのである。




