第56話 軟禁生活 十二月七日二十一時五分
家の入り口から、こちらを見張るように軍人が立っている。二人体制で、時間交代らしい。トーマスは、彼らが入れ替わるところを目撃した。たった一人のために、ここまでするものか、と違和感に思う。
もしも水晶に触れたことが問題ならば、もっと別の対処があったのではないか。例えば隔離施設に閉じ込める。場所は病院や牢獄のようなものがイメージされた。水晶には何かしら、感染するようなものでもあったのだろうか。想像してみたが、よく分からない。
ミッドランから取り調べを受けて、その答えによっては、もっと直接的な暴力──口封じを受けていたかもしれないと感じた。ならば、この状況はそれほど最悪ではない。
書斎に入ると、明かりを灯して、肘掛け椅子に腰掛けた。遺跡を調査することは叶わなくなったものの、ここに一つ遺物がある。ポケットから指輪を取り出すと、トーマスはじっくりと観察した。
ルーペで見ると、表面は滑らかで、一切の加工の痕が残っていないように見える。水晶からくり抜いたのだろうか。見事な仕事ぶりである。
誰が、何のために、指輪を作ったのだろうか。その意図がわからない。
試しにと指に嵌めてみると、脳裏に宇宙が広がった。無数の星々が語りかけてくる。
体が水晶に吸い付いた。掌から多量の真水が溢れ出る。トーマスは慌ててこれを止めた。タオルを持ってくると、その上に手をかざし、再度放水を試みる。手の内側から水は出た。また、指先からの放出を試みると、これも成功。
タオルはぐっしょりと濡れたので、物干し竿に干した。トーマスは自分自身、信じられない思いで指輪を見つめる。少なからず興奮していた。自由に水を制御できる。しかも無尽蔵に出てくるのだ。
高揚感も束の間、
「幻覚を見ているのか?」トーマスは気になって、目を瞬かせる。「もしこれが幻覚だったとして、そうであると証明するにはどうすれば良い?」
考えたが、何も思い浮かばない。
考えを切り替える。
何故、自分は自宅で軟禁されているのか。
いずれ殺されるのだろうか、それともただ経過を観察されているだけなのか。想像すればするほど、理由は幾つも生まれてくる。反論する材料はどれも根拠に乏しい。疑えば疑うほど深い穴に嵌っていく。
仕方ないと呟いて、その日トーマスは眠ることにした。
翌朝から、トーマスは古代文明についての考察に着手することに決めた。見張りは依然として立っている。朝食を貰う際に簡単な会話もした。このため、彼らは幻覚ではない。そう解釈する。
幻覚といえば、ミッドランは何か知っているのではないか。取り調べの際に質問されたのを思い出す。水晶に幻覚作用があるなどという話は聞いたことがない。しかし、もしあるとしたら、探窟メンバーが突如として騒ぎ出したことの理由にもなる。
彼らは、水晶に触れたらしい。吸引もしたようだ。ということは、他者と感応してしまったかもしれない。冗談のつもりで発想し、一人で小さく笑った。だが、遅れてから、さほど間違いでもないのでは、と考えるようになった。
水晶は彼らの精神を地続きにさせる。自我は溶け合わされて一つになったわけだ。しかしどうだろう、彼らは苦痛に呻いていたのを思い出す。自我意識が一つならば、果たして苦痛を覚えるだろうか。彼らが苦しんでいることから鑑みるに、不完全な繋がり方をしたのではないか、と考えられる。
実際のところ、自我意識が一つになったのか、部分的に感応したのか、どうなのかは判別がつきそうもない。傍目には、肉体から出力されるものがその人物の心に見えるからだ。まさか同じ自我意識を共有していたところで、簡単にわかるはずもない。
トーマスはふと思案する。
古代人はロンダニアの地下で暮らしていた。我々の祖先である可能性も高い。もしそうならば、彼らは現代人へと移り行く過程で、たった一つの精神を分裂させ、それぞれの肉体に分け与えたことになる。それは何故なのか、どうやったのだろうか。
指先から溢れ出る水を見つめていると、ふと、意識が薄れる。
◯
追放しなくては、と思った。朽ちて使い物にならない肉体は、捨てなければならない。
全ての肉体を制御するのは難しい。現実世界では、並列して様々な出来事や、問題が起こる。このため、ある程度は肉体自身に判断してもらう必要があった。これら肉体には対処できない、高度な判断が必要な時にだけ、判断を仰がれ、私が考えて決める。
ただ生きるためだけに生きるならば、自我は一つで良かった。複数の肉体を維持するだけの衣食住さえ確保できれば、それ以上のものは必要ない。
私はこの形に決めた。人間という形である。
仲間たちはそれぞれ異なる環境で暮らし、その場に適した形──動植物へと成長し、繁殖していた。
私は人間を作り、人間となり、暮らしを続ける。時には異なる形を取り入れることで、この形を維持し続けた。どこまでも成長し、変わり続ける環境に適応するため、これからも進化していくだろうと予想される。
今はとにかく肉体を成長させる必要があった。次いで知識を深めることも重要だ。経験し、少しずつ理解していくのが良いだろう。
このために、無駄にエネルギーを消費することは避けなければならない。作業が滞る肉体があれば、朽ちさせる。痛みを伴う作業だ。或いは浄化とも言える。生命維持が途絶えた時、その苦痛からようやく解放された。
しかしある時、もっとより良いやり方があるのではないかと気がついた。彼らにも自我を与えて、物理的に追放する。肉体一つでは生きていくのに限界があるだろう。
私は水晶に指輪となるよう命じ、これらを捨てるべき肉体たちに与えた。彼らの中で記憶が積もり、放出されなくなることで、擬似的な精神が芽生えたらしい。指輪が代替する自我意識の役割を担ったのだ。
肉体同士の感応は続いている。ただし、相反する意思が衝突し、制御が効かないため、その自我意識は途轍もない苦痛を味わうことになるだろう。多くの肉体は、指輪を取り外すことも叶わず、それに耐えかねて身を投げた。
一方私はと言えば、多くの記憶によって苦痛に晒されることはない。そちらに意識を向けてようやく、感じ取れる程度だ。
これは良い考えだと思っていた。だが私は追放された。追放したのも私だ。
指輪が私という自我意識をこの肉体に固定した結果、分裂してしまったのだ。私というこの自我意識は、肉体を追放するためだけに複製されたのである。
◯
また幻覚だ、とトーマスは苦い顔になる。
「それにしても何て鮮明な……」
記憶だ、と言おうとして口に出すのを躊躇った。聞かれているかもしれないと思ってのことだ。
そう、記憶。指輪には古代人たちの記憶が詰まっているとしたらどうだろうか。今までに見たものは全て水晶が経験したことなのだ。ならば、先程見たものは、とても切ない真実だと言える。
自我の持ち主、または主と呼ぶべき人物は、肉体を捨てるために指輪を生み出した。指輪によって、自我意識を芽生えさせることが目的らしい。これにより、追放するのだ。不必要となった肉体本人に自ら離れてもらうことで。
それから、更に発想を広げる。
もしもこの時点で生まれた自我意識が、現在の我々の暮らしの礎になっているとしたら?
つまり、どこかの時点で全員に自我が行き渡ったということになる。現代人は皆、追放された者たちということか。
トーマスは紅茶を淹れながら、鼻歌を歌う。魅力的な仮説が現れて、とても楽しくなっていた。




