第55話 無我夢中 ?年?月?日?時
記憶や経験が蓄積されている。
全てはこの肉体に残り、沈殿した。また他の肉体からのフィードバックによって、更に多くの情報が蓄積される。これは問題だ。流れてゆくべき物事が淀み、結果として情報量が過剰になる。
何が起きた?
周囲を見回すが、異変は目視できない。表面上に変化は無さそうだ。否、原因はこの肉体にある。強いて言うならばこの指輪があった。指輪は水晶から出来ている。円環だ。この形状は、始まりもなく終わりもない。循環する。
肉体が感覚器官より得た外界の情報は、全て一つの自我によって統合され、整理されていた。だが、全ての肉体に情報が共有されていながら、指輪のせいで、留め置かれている。感覚器官が摩耗しているようだ。麻痺している。
切り離すしかない。この肉体を追放するのだ。でなければ、いずれこちらが飲み込まれてしまう。
「そうか、飲み込まれてしまうのか」と、トーマスは呟いた。自分の声で気がつくと、「あれ」と首を捻る。
「あれ、じゃないが」パーシーが心配そうな顔を浮かべた。「さっきから危ない感じだが……大丈夫か? まるで痴れ者みたいだ」
「酷い言い草だな」トーマスは口を歪ませて、「インスピレーションがあったんだよ。天啓とでも言えるだろうな。つまり、彼らはそもそもコミュニケーションなどしていなかった」
「何を言っているんだ。コミュニケーションしなけれは、どうやって情報を共有する」
「精神感応仮説を取り上げてみよう。心が繋がっているなら、そもそも、対話をする必要がない。そうだったな?」
ああ、とパーシーは相槌を打つ。トーマスも指輪を懐に仕舞いながら頷くと、続けて、
「感応しているならば、その自我は複数ある必要があるか?」
「は?」パーシーは三秒ほど固まった後、「いや待て、突然何を言い出すんだ。肉体があるのなら、精神もその数だけあるはずだ」
「しかしその精神は繋がっている。溶け合わされないとも言い切れない。つまりだ、私が言いたいのは、もしかすると彼らの自我意識が一つだったかもしれないということだ」
パーシーは押し黙り、考え込む様子。
「確かに……成る程、それは面白い考えだ」
「アンダーソン博士」と、横から男が口を挟んだ。「宜しいですか?」
トーマスは相手の顔を見る。彼は、この遺跡調査の責任者と言われていた男だった。名前はミッドランという。
「今の話について、ぜひ、詳しく教えて頂きたく──」
突然、誰かの叫び声があがった。獣が吠えたような、恐ろしい声だった。次いで、悲鳴があがる。三人は互いに顔を見合わせた。
「何があったのでしょう」パーシーがミッドランを見て言う。
「少し見てきます」ミッドランは言うなり、早足で離れていった。
「我々も見に行こう」トーマスが提案する。
パーシーも首肯した。
見に行くと、そう遠くないところで騒ぎが起きている。四人の男たちが、何やら喚き立てていた。見ている分には、まるで酔っ払いにも見える。痴れ者とは彼らのことじゃないか、とパーシーに言いたくなったが、トーマスは黙ることにした。
「気持ちが悪い!」と男が叫ぶ。
「呪われた」
「頭がおかしくなりそうだ」
「感覚が変だ」
他にも、ぐったりと倒れている者が数名居た。彼らもまた、二日酔いに苦しんでいるような、そんなふうにトーマスには見える。
パーシーが、彼らの近くに立っていた一人に何があったのか、と声をかけた。彼は居た堪れない表情で、
「規則を破って水晶に触れたんだよ。そうしたら、いきなりあんなふうになって」と語る。
騒ぐ彼らをもう一度観察してみれば、確かに彼らの手には水晶の欠片が掴まれていた。
「まさか、砕いたのか」ミッドランが男に詰問する。
男は、慌てたようにそうだと認め、自分はやっていないとも言い訳しだした。パーシーは意味が理解できなかったようで、トーマスの方に顔を向ける。
「水晶を吸ったのかもしれない」とトーマスは言った。
ミッドランは目を見開き、しかし真顔になって、「かもしれません。とにかく、彼らを地上へ」
軍人を呼び付け、担架に乗せて、運ばせる。トーマスには、彼らが中毒者のようにも見えた。
調査は中止となり、トーマスたちも地上へ上がるよう命じられた。メンバーから体調不良者が出た以上、安全を考慮しなければならない。
螺旋階段を上り切った時点で、ミッドランに声をかけられた。
「ご慧眼でした」
「え、何がですか?」惚けたわけではなく、トーマスには実際にわからなかった。
「水晶を吸ったのかも、という話です」
「ああ、それですか」
「どうして水晶が人体に悪影響だと思われたのですか?」
「え、えっと、それは……」トーマスは返答に窮した。
「少しお話を伺えますか?」
ミッドランは睨むようにトーマスを見据える。
馬車に乗せられ、トーマスは簡素な建物に案内された。看板の類はない。中で何をしているのか、外観からは全く予想がつかなかった。馬車を降りると、トーマスはミッドランに付いて行く形で館内を移動する。背後からも、逃亡を阻止するためにか、二人の軍人が付いてきた。
通されたのは、二脚の椅子とテーブルのみが置かれた、殺風景な部屋だった。壁には窓もない。座らされると、簡単な聞き取りが行われた。つまり、水晶に触ったかどうかについて問われた。
「触りました」トーマスは非を認めて頭を下げる。「申し訳ない」
「その時、何か幻覚を見たはずです」とミッドランが言った。
「幻覚? あれは麻薬みたいなものなのですか?」
「そうです。何を見ましたか?」
トーマスは簡単に答える。そこから、自我は一つだった可能性を導き出したということも。
ミッドランは頷き、もう出ても良いと言った。本当に良いのかと訊きたくなったが、それで解放されなくなるのは嫌なので、我慢する。
自宅へ帰り、資料を漁っていると、外に人の気配を感じた。通行人ではない。カーテン越しに窓を見ると、人影が二つ、両端に立っている。
玄関を開けて、確認した。軍人が立っている。彼らはこちらに気付くと、睨みつけてきた。
「何の用です?」トーマスは質問する。
「何でもありません」
「そこに居られると不快なんだが」
「任務ですから」と相手は簡単に言う。
「任務? 一体、何の?」
「貴方をここから出さない、ということです」
「は? ……つまり、軟禁すると?」言葉の意味を理解するのに数秒かかった。「誰からの指示ですか?」
「言えません」
「もしかしてミッドランか?」
「言えません」
答えは同じものの繰り返しだった。
「明日も遺跡調査があるんだが……」
「それは中止して頂くことになります」
言いながら、軍人は肩から提げた銃を持ち上げて、アピールする。つまり、武力を行使してでも止めると言いたいのだ。トーマスは肩を竦めて、そうかと返事する。
「買い物はどうすれば良い? これはどれだけ続くんだ」
「それには及びません。必要なものはお持ちします」
「至れり尽くせりというわけか」
トーマスは軽く笑った。別に、面白いと思ったわけではない。




