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ANDERSON  作者: 八田部壱乃介
Chapter5
54/70

第54話 意見の相違 同日十一時十九分

 それにしてもわからないことばかりだ、とトーマスは思う。何も記録が残されていない。このため、どのような文化があったのかは想像するしかなかった。例えばどのような生活様式だったのかは、住居や道具類などからある程度は察せられる。鑑みるに、かなり高度な技術力を誇っていたようだ。

 ただし、発展は暮らしに必要最低限のものに抑えられている。楽器や書物などはどこにも見当たらず、そもそもこれらを保管するための部屋やケース、棚といったものもなかった。酒場もない。ここから、彼らにはそもそも娯楽が必要ではなかったように思われる。

 ならば、文化は相当に低かったのだろうか。そもそも興味が薄いのかもしれない。だからこそ、残らなかった。残すものが最初からなかった可能性もある。


 文明として栄えていた痕跡はあるのに、文化らしきものがないのは何故か。これに関して、多くの学者はとある仮説を唱えている。曰く、彼らには自我に相当するものがなかったのではないか、と。

 古代人たちはストレスを抱えることがなかった。悩まない。だから、娯楽は必要ないのだ。側から見れば無駄がないように見える。しかし今の価値観では、驚くほどいびつに感じられた。人類は昔、虫のように機能的だったのだろうか。

 しかし、人々の間で対話をすることもあるだろう。彼らは記号など視覚的な方法ではなく、聴覚に頼る手法でコミュニケーションしていたのではないか、というのが通説だった。音は記録しておけない。残らなかったのはこのような理由からではないか、という。


 だが壁画だけが、唯一の例外だった。街並みや手を描写している。彼らには持ち得なかったやり方だ。もっと言えば、古代人たちに記録という概念がなかったかもしれない。そんな彼らが壁画を残した理由とは何だろうか。

 トーマスは非常に気になった。

 壁画の手を良く観察する。細身で、女性的だ。或いは子どものものかもしれない。自分の掌をかざしてみて比較すると、違いは一目瞭然だった。この手は男性のものではない。

 手袋を外して触れてみる。水晶に触れたところで、大丈夫だろうと思ってのことだった。

 触れた瞬間──静電気のような衝撃。指先から痺れが伝わり、頭がぼうっとしてくる。


 イメージが湧き起こった。

 真っ黒な宙空に星々が点描されている。これらはぶつかり合い、引き寄せ合い、一つにまとまった。その星は水晶からできている。自らが核となり、更に星を集め、巨大化した。

 自転するだけで大きな歪みが生まれる。偏りができ、惑星の表面に転がる大小の欠片たちに、様々な化学反応があった。形を変えては崩れ、また新たな形へと生まれ変わる。水晶はこれらの形を記憶し、崩壊する様を観察し、模倣した。

 同じ回転の繰り返しの中に波が生まれ、ガスが生じ、空気が層ごとに分かたれる。

 水晶はそれぞれに散った地点から記憶し、それらを統合した。やがて差異を認め、水晶たちはそれぞれ自らの形とその変化を観察し、精神を感応させることで情報を伝達する。

 記憶から形を設計し、どうなるかを確認した。その作業は数億年にも渡って続き、やがて彼らは自立駆動する生物へと変化していく。数多の形に枝分かれしていき、やがて一つの形に辿り着いた。人類である。


 ぱっ、と壁画から指を離した。

 トーマスは今し方想像した内容を思い出して、その意味不明さに戸惑った。白昼夢だろう。疲れているのかもしれない。自覚していないストレスが原因だろうか、などと自己診断する。

 水晶は生命である、という荒唐無稽な妄想だった。しかし、そうであれば面白いことになる。彼らは非言語的な意思疎通が可能だ。これが古代人たちにも適用して考えてみてはどうだろう。

「なあパーシー」と、トーマスは近くに居た考古学者を呼び止めて、「もしも、彼らが思考や感情などを心の内だけで伝えることが出来たとしたら、どう思う」

精神感応テレパシーか。ふん、馬鹿げてる」パーシーは鼻を鳴らして、「確かに記録に残らない理由にはなる。だが、現実的に、科学的に、どうやると言うんだ。彼らに出来て、我々に出来ない理由は何だ」

「水晶だよ。彼らは水晶を利用していたんだ」

「何?」パーシーは訝しげにトーマスを見つめた。

「水晶は生きている。声ではなく、水晶が人と人の間をやり取りしていたとしたら……」

「酷い説だ。根拠も何もない。妄言はやめてくれ」パーシーは手で振り払う仕草をする。


「だが、理にかなっていないか?」

「非現実の間違いだろう」と溜め息を吐くと、「良いかトーマス。まず、彼らはどうやってコミュニケーションしていたのかというと、歌によるものだったとするのが通説だ」

「だが曲の調べもないだろう」

「そうじゃない。アカペラみたいなものだ。彼らは目が見えていなかったのでは、という説もある。文字記号がないのも、楽器がないのも、そうだ」

「ならばどうやってこんな立派な街を作り上げたんだ? 目が見えなくては、道具を使うこともそれ自体を作ることも難しいだろう」

「しかし不可能でもない。そうだろう。たとえ暗闇の中でも、何もできないことはないんだ」

「では壁画は? あれも見ずに書いたのか。君の言う話も全て仮定に次ぐ仮定でしかないじゃないか」とトーマスは反論する。

「だが水晶が生命だというよりは現実的じゃないか! ふざけたことをぬかしやがって」パーシーが興奮した。「いつもお前はそうだ。突拍子もないことばかり言いやがって」

「そこまでキレることはないじゃないか」


 ここまで感情的になられると、かえって冷静になる。トーマスは真面目な顔でパーシーに訴えた。それが尚更癪に触ったらしい。顔が紅潮していく。が、パーシーの激昂した声を聞いてか、軍人の一人がこちらへ近づいた。パーシーはぐっ、と喉の奥で言葉を飲み込むと、はあ、と息を吐く。

「君にはもう少し良心というものを持ち合わせてもらいたいね」

 言われて、トーマスは唇を尖らせた。ポケットに手を突っ込むと、指先に何かが触れる。リング状のそれは──そうだ、水晶製の指輪だ。

 瞬間、文明開花の音がした。これは、無駄の少ない古代文明においてかなり珍しい、装飾品ではないか。


 ポケットから取り出すと、誰にも見られないよう、手の内に隠して確認する。どう見ても指輪だ。しかし宝石は嵌め込まれていない。リングそのものが水晶で出来ている。これが指輪ではない可能性はあるだろうか。例えば、偶然の産物でない可能性はあるだろうか?

 水晶の中に埋め込まれた人々を、トーマスは食い入るように見つめる。指輪を身に付けた者は居ないか、探すためだ。

「どうしたんだ」

 突然のトーマスの挙動に戸惑ったのか、パーシーが訊ねる。トーマスはじっと黙っていたが、何も見つからなかったことから、

「いや、何でもない」と答えた。

 考えてみれば当たり前のことだが、指輪が水晶で出来ているなら、水晶に覆われた今、目視出来るはずもない。これといった理由もなく、握りしめた指輪を指に嵌める。

 ぐっ、と頭脳が掴まれたような感覚があった。瞬きする。目蓋の裏に景色を見た。

 鮮やかな世界を。

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