第53話 水晶の世界 十二月七日十一時
「これは……」
指輪を手に取ると、トーマス・アンダーソンはまじまじと見つめた。
「おい、何をやってる」
突撃銃を携えている軍人に声を掛けられ、トーマスは咄嗟に指輪を隠す。振り返って笑顔を作ると、
「いえ、何も」と返答。
「水晶に触れてないだろうな」軍人の男が睨んだ。
「もちろんですとも」トーマスは大きく頷いてみせる。
「なら良い」
軍人が離れていくのを見届けると、トーマスは気取られぬよう小さく息を吐いた。布製のマスクを着用しているため、呼吸は温かく、白いもやとなって霧散する。
せっかくの遺跡調査だというのに、水晶に触れてはいけない。また、水晶を吸ってはならない。そんなお触れが回っていた。監視のためと言うには厳重過ぎるきらいがあるが、常に探窟隊の周囲では軍人が目を光らせている。
探窟隊は皆、マスクで口元を覆い、誤って触れても大丈夫なようにと分厚い手袋を着用させられていた。万が一水晶に触れたい場合には、軍人を呼び、許可を得てから、トング等の道具を使うことになる。
これでは調査にならない。トーマスはため息が止まらなかった。
トーマスは今、大規模な探窟調査に参加していた。主催者及び出資源は王家である。今回の探窟の主目的は、文明消失の手掛かりとなるものを探し出すこと。探窟隊には大学の教授など、名の知れた錚々たる面々が集まっていた。この中に混じって仕事が出来るのは幸運だと思う反面、苦手な男の姿もある。
パーシヴァル・ゴーシュ。皆は愛称のパーシーという名で呼んでいる。彼とは、いつも古代文明にまつわる仮説で対立していた。さっぱりとした性格であるから、嫌いではないが、反りが合わない。しかしこれは人付き合いにおいては重要な問題だと言えよう。
パーシーは早速近づいてきて、
「また問題を起こしたようだな、トーマス。お前はいつも、そそっかしくて見てられん。また空想にでも浸っていたか」
「空想など浸るまでもない。見たまえよパーシー、目の前にあの古代文明がある。私が浮き足立つと思うか?」
「思う。強く思う」
「まあ、その通りだ」トーマスは否定する気にならず、首肯した。
「今回ばかりは私も同じだ。あまりにこの景色は美しい」珍しくパーシーも同意する。「夜空のような街だ」
地下の奥深くということもあり、空からの光は届かない。しかし、ランタンという僅かな光源を反射して、この水晶の遺跡は青白く輝いていた。
人も街も、全てが水晶で出来ている。いや、これは適切な表現とは言えない。あらゆるものが水晶で包まれている。人も建築物も、雑多な小物や家具類さえも、全て。何もかもが水晶という繭の中に身を埋めていた。
一体この街で何が起きたのだろうかと想像せずにはいられない。普通、水晶が街一帯を覆うことなどないのだ。まるで水没したようにも見えるこの状況は、異常だと言える。
ここへ来るまで、トーマスは知識として古代文明と遺跡について理解していた。遠い昔に生きていたらしい我らが祖先と思しき人々。そうした薄ぼんやりとした空想も、目の当たりにすれば明瞭な現実となる。水晶という殻により顔はぼんやりとしていたが、容貌は現代人ととても似通っている。いや、変わらない。
彼らは眠っているように見えた。本当に死んでいるのだろうか、今にも水晶を突き破って目覚めそうにも思える。例えば動物のように冬眠しているだけなのではないのか。となれば、水晶を利用した冬眠技術がこの場では通用していた可能性が浮上する。
これまでの知識から、彼らはどうやら特殊なコミュニケーションをしていたらしいことが判明していた。彼らには文字がない。言葉がない。何も記録を残していないのだという。唯一あるのは、街の最奥にある壁画だった。
岩壁に白い線で描かれている。絵は複数あった。一つは、一部が欠けた円である。それ以上でもそれ以外でもない。
「視力検査か」トーマスが言うと、
「馬鹿め」とパーシーは一蹴した。
二つ目は、複数の四角形の上に掌が描かれているもの。この四角群は、街の地図らしいことがわかっている。つまり、この街に大きな手が伸びているわけだ。しかし手が意味するものが何なのか、それもわからない。
「この手は何だと思う?」パーシーが訊く。
「信仰対象じゃないか。神様みたいな存在なんだ。手が街というか世界を作った、この文明を構築した、みたいな意味だと解釈できる」
「ほう」パーシーは顎先に手をやると、「わざわざ壁画にするくらいだからな。信仰対象というのは、まあありそうだ」
「もう一つ、考えがあるんだが、つまりこれは魔の手を示しているんじゃないかと思う」
「魔の手? つまり、災いか?」
「そう……彼らはどうして、壁画を残したのか? 他には一つも壁画はない。文書の類も見つからない」
「まだ見つかっていないだけの可能性もある」とパーシーは指摘した。
「そうだな。だが、もし仮に記録がこれだけだとしたら? 彼らは何のために壁画を残した? 自分たちのためか?」
「誰か他者に見つけてもらいたかったと言いたいのか?」
「私はそう考える」トーマスは言うだけ言うと、すっきりした表情になる。「君は? 何か考えがあるか」
「さあ……しかし何も答えないのはフェアじゃないな。そうだな、これは作者のサインなんだ」
「この手形が、か?」トーマスはじっくりと掌を見た。
「そうとも。これに手を合わせれば、誰が書いたのかがわかるようになっている」パーシーは姿勢を正すと、「不適当なつもりだったが、意外にこれが答えである気がしてきた」
「少し手を合わせてみよう」
トーマスが片手を出して、壁画に付けようとする。
「馬鹿者、それに触るな」パーシーが止めた。「これも水晶だ」
「爪が伸びていたら、サイズが合わないな。それに、同じぐらいの大きさの手を持つ者は結構居そうだ」
「それに──自説に反論するなら、自分で書いた地図を崩してまでサインを描く理由にはならない」とパーシー。
パーシーの指摘に、確かになとトーマスは思った。何故壁画の作者は、地図を書いた上で掌を残したのか。トーマスを空を見上げる。隣では、釣られてパーシーも顔を上げていた。
「何かあるのか?」と彼は訊く。
「いや……何かあったら良いなと思ったんだ」
トーマスは微笑み、壁画へと目を戻した。




