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ANDERSON  作者: 八田部壱乃介
Chapter4
52/70

第52話 深淵への片道切符 同日十二時十分

 フローディアに連れられて、ウィリアムは聖グラッシア孤児院に身を隠した。アンジェリアという名に聞き覚えがないか確かめたところ、彼女のことは知らないという。

 ウィリアムは部屋で落ち着いたが、アンジェリアがいつ襲撃してくるかわからない。そう思うと、指輪を外すことは出来なかった。


 それ以上に、ウィリアムはギンティ神父から聞いた話が衝撃的で、感情が追いついていない。一番の驚きは、ギンティの悪役としての始まりが、赤ん坊の頃からであったこと。

 アイリスの記憶を思い出す。ジェイムスに襲われて、教会に逃げ込んだ後のことだ。女王陛下が現れ、彼女はモートン神父と契約を交わしていた。その時に陛下の口から飛び出た言葉が問題だった。

「ギンティは悪名を背負うことになる」

 確か、そういった内容だったはずだ。モートン神父は、恐らくこれ以上の悲劇を回避するために、女王陛下との協力関係を結んでいる。つまり彼が悪人になることは、まだマシな結果だったということだ。


 しかしどうだろう。実際には、モートン神父との契約以前から、ギンティは悪の道を歩まされているではないか。契約時点でギンティは七歳。一方、罪の記憶を追体験したのが赤ん坊の頃。これでは契約する前から彼の処遇が決まっていたみたいではないか。

 女王陛下は、それと知っていて、話を持ちかけたのか? もっと言えば、ギンティ神父の未来がこうなると知っていて、モートン神父をも利用するために、二枚舌で契約を持ちかけたのではないだろうか。

 そういった疑念が生まれている。ウィリアムは、この女王陛下に対する疑いを持ったことに強く恥の意識を持った。

 まさか、敬愛する女王陛下がそんなことをするだろうはずはない。つまり、もう一つの可能性がある。


 女王陛下は未来を予測し、地獄や試練と評すべき出来事を見て、これを回避しようと暗躍しているのだ。ひょっとすると、モートン神父に協力を持ちかけなければ、ギンティは今よりも更に悪行に手を染めていたのかもしれない。もっと酷い未来が待っていた可能性もある。

 全て憶測だ。事実など何もわからない。単なる願いでしかなかった。だが、これの他に説明できる仮説が思いつかない。

 ウィリアムは混乱していた。頭を抱えて、長いこと考えていた。フローディアが淹れてくれた紅茶も、既に冷め切っている。指先で触れると、湯気が立ち上った。


「アンダーソンさん」と今まで静かにしていたフローディアが口を開く。「貴方は、トーマス・アンダーソンという名をご存知ですか」

「トーマス……いいえ」ウィリアムは首を振った。

「恐らく、貴方の祖父くらいの年齢になると思うのですけれど」

「僕の祖父は、マーシーと言います。えっと……どうしてそんなことを訊ねるのでしょう?」

「では、パーシヴァル・ゴーシュという名前はどうでしょう?」続けてフローディアは訊く。

「いいえ。知りませんね」と首を振って否定した。

「そうですか……」

 理由を教えてくれるものだと思い、ウィリアムは黙っていたが、フローディアはそれきり口を噤んでしまった。待っても何もないので、取り敢えず紅茶に手を伸ばす。華やかな香りだった。ストレスが幾分か和らいだような気がする。

「あ、そうだ……ジェイクとアズを待たせていたんでした」思い出して、ウィリアムは立ち上がった。「こうしている場合ではないんです」

「でも、まだ危険ですよ」

「ええ、まあ……」ウィリアムは下唇を噛んだ。

「お座りください、アンダーソンさん」


 フローディアは柔らかく微笑む。その姿はとても女王陛下に重なって見えた。酷く顔が似ている。

 ウィリアムは悩んだが、一度休憩することにした。何より、カップにはまだ紅茶が残っている。ティータイムの途中で抜け出すなど言語道断だ。

 肘掛け椅子に座り直す。対面するフローディアに努めて微笑んでみせた。

「貴方も指輪をお持ちなのですね」ウィリアムは言う。「いえ、指輪についてレクチャーを受けたのですから、当然と言えば当然ですが」

 フローディアは既に、指輪は外していた。今はポケットにでも入れているのだろう。どこにあるのかは知らない。

「ええ……この指輪は、孤児院でも知る者は多くありません。秘匿されています」

「誰が知っているのでしょう?」

「私と、女王陛下」

 ウィリアムは目を見開いた。何故今、陛下の名前が出てくるのだろう。

「えっと、どういうことですか。つまり僕がお訊きしたいのはですね、女王陛下の名前が出る理由なのですけど──」

「アンダーソンさんは、切り裂きジャックのことを知っていますね?」

「え」またもや、無関係だと思われる名前が飛び出した。「ええ、知っています。でもどうしてそれを?」

「陛下から直接お聞きしたからです」

 つまり、ウィリアムが指輪から記憶を追体験したことを、水晶髑髏で知った。それをフローディアにも報告した、ということか。


「では、かつて教会が女王候補となる者を狙い定めて殺害していた、ということも知っていますね」とフローディア。

「はい」

「ここは、元々、その備えをする施設でした」フローディアはじっとウィリアムの目を見据えて、「女王候補となる者を保護する場所だったのです」

「保護、施設ですか」ウィリアムは瞬きした。「あの、もしかして貴方も、女王候補だったり……?」

「いいえ。王家の血筋を引いてはいますが、候補者ではありません」

 ウィリアムは鼻息を漏らす。背もたれに寄りかかり、心の中で成る程な、と呟いた。血が繋がっているから、非常に顔立ちが似ている。これは、他人の空似ではなかったということだ。


「貴方の持つ指輪を秘匿するのは、どうしてですか? 女王陛下の命令ですか?」

「ええ。もっと言えば、記憶が残されているからです」

「秘匿したいと思うほどのものが、ですか?」

「そうです。まさに、この指輪には秘匿しなければならない記憶が眠っているのです。それを、今から貴方に見て頂きたいと思っています」

「え……」

 フローディアは心なしか緊張した面持ちで、手のひらの指輪をこちらに見せた。ウィリアムは取って良いものか迷いあぐねて、彼女の顔を窺い見る。フローディアは頷いた。


「何故、古代文明は崩壊したと思いますか。誰が、この指輪を作ったと思いますか。陛下は、何を恐れていると思いますか」

 フローディアは、ゆっくりとだが、はっきりとした口調で話す。恐らく、これは記憶を読み取るための手掛かりなのかもしれない。

 ウィリアムは唾を飲み込むと、恐る恐る指輪を取り上げる。

「さあ、指に嵌めてください」

 頷いて、言われた通りにした。


 視界に別の景色が浮かぶ。二つの異なる景色が重なり合って、輪郭が朧気になった。二日酔いのような、揺れて歪んだ世界に眩暈がする。

 また、昔の記憶だ。ウィリアムは目を瞑った。

 ヴィクトリカ女王陛下が秘匿するほどの過去が、今始まろうとしている。

新たな登場人物


ギンティ・ギルバート──神父

アンジェリア・ハーティン──修道女

マーシー・アンダーソン──ウィリアムの祖父

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