第51話 意図おかし 同日十二時三分
沈黙が続いた。ウィリアムは言葉をなくし、ギンティは口を噤む。仮説とするにはあまりに圧倒的な脅威を有する運命の名の下に、今の態度や姿勢までもが、水晶によって定められているのかもしれない──そう疑心が芽生え始めそうになる。
思考が真空状態になっていた。真っ白なキャンバスの如く何もなく、筆を走らせなければ色がつかない。
ふと、ウィリアムは筆を持った。
「もし全てが運命だとして、でも未来など僕らに知る由がありませんよね。なら、さして脅威ではないはずです」
「それが普通だ」
「普通でない人物が居るのではないでしょうか」
「ああ……」ギンティが感嘆のため息を溢す。「君は驚異的だ。確かに居る。それは誰だと思う?」
「女王陛下です。根拠は、様々な件に介入していること」
「それに、定期的に人類を忘却させているな」とギンティが補足した。「陛下は、実に素晴らしい頭脳をお持ちだということだ」
「水晶髑髏のことですか?」
「そうだ。水晶髑髏は、全人類の体を覗き込む。しかしこれをまとめあげ、未来を予測するのは、ヴィクトリカ女王陛下その人の知性による」
「貴方は何故母を殺そうとしたのですか? 復讐が理由でしょうか」
「話題が飛躍したな」ギンティは笑った。「面白い。答えはノーだ」
「指輪を盗むためですか?」
「まさしく」
ウィリアムはじっと虚空を見つめた。白一色だった予想図に線を引く。ギンティは自分の置かれた立場を弁えている、という事実を更新すると、絵の見え方が変わった。
彼は何のために動いているのか、という問い。
ギンティは罪の記憶を追体験した。罪に苛まれ、罰を欲して罪人となった。神父になった理由は、赦しを得たかったからかもしれないし、水晶と深く関わるために志望したのかもしれない。ただしこれらは表向きのシナリオだ。
裏にもう一つのシナリオを見る。
彼は人生に運命論を見出した。自分の身に起きた全てが運命だとしたら、どう考えるだろう。出来事がまず先にあり、その後に人の意思が生まれるのならば、この責任や罪の意識を感じることの意味が、果たしてあるのか。
自我はどこまで通用するだろう。人間の行いに責任は生じ得ないとしたら。罪も罰も、全て自我意識が見せるまやかしとなる。
それはギンティにとって認められない事実だったのではないか? 運命があるならば、善も悪も関係なく、全てが正当化される。
「現実というのは、人生というのは──まさしく試練ですね」とウィリアムは言った。
一瞬驚き、ギンティは遅れてくすくすと笑みを溢す。「運命とはそういうものだとも。まさか、君は……私の目的が何か、理解したのか?」
「運命からの解放ではないかな、と」
「うーむ」とギンティは唸った。「たったこれだけの会話で、ここまで辿り着くか。確かに私は包み隠さず君と対話した。だが、これは……」続けず、口を閉ざす。
神父の反応から、ウィリアムは自分の考えが正しいと理解した。つまり彼は、水晶という強力な影響力から離れたい。そのために活動している、ということになるだろうか。だがそうなると、
「貴方は水晶髑髏を探したはずです。まさか、手に入れたのですか?」
「残念ながら」と、彼は首を振る。「もし手に入れていれば、既に運命に干渉していただろう。もっとも、運命が消えたとて、誰もそのことに気付けはしないだろうがね」
体温の指輪には、水晶髑髏の在処が記憶されている、と彼は考えた。だから、手に入れるために母を殺害したのだろう。
さてと言って、ギンティは立ち上がった。木製の椅子や床が軋み、音を立てる。
「対話はこれで終わりとしよう。君の連れも待ち侘びていることだろう。そう、その前に、一つだけ訊ねておきたいことがある。これは大事なことだ」
「……何でしょう?」
ウィリアムの頭脳は、オーバーヒート気味だった。興味は運命と自我意識の二つに分裂していて、思考もそれぞれに対して並列に働かせている。
「君は私の目的の邪魔をするかどうか、だ」
「え?」
ウィリアムは別のことに意識が向いていた。だから、対応が遅れる。
「厳密には、私はこれから女王陛下を暗殺するが──君はどうする?」
「何……!」ウィリアムは思い切り立ち上がった。
「残念だよ」ギンティの声に悲しみの感情が見える。
瞬間、ウィリアムは感応した。
〝アンジェリア・ハーティン。二十三歳。修道院に所属。指輪の能力は、伸縮可能な自身の髪を自在に制御すること〟。
思い出した。彼女が、葬式場でウィリアムにメッセージを持ってきた修道女であることを。
ウィリアムとギンティとを隔てる壁の覗き穴から、無数の黒髪が伸びてくる。飛び退くも、細い糸が首筋にまとわりついた。上向きに引っ張られ、皮膚に食い込む。
喉の奥で声が鳴った。息が出来ない。
「何をするつもりですか……」掠れた声がため息のように出ていく。
「善人は天国にて報われる。ならば、悪人はどうやって救われる?」
謎かけのつもりだろうか。ウィリアムは意味もわからず、眉を顰める。ギンティは立ったまま微動だにしない。彼は二秒ほど黙ってから、
「地獄だ」と言った。「罪には裁きが必要だ。悪人は、罰によってようやく解放され、救済される。ならば私は、万民を救済するため、この世に地獄を顕現させる」
どうやって?
「やり方は簡単だよアンダーソン」ギンティはこめかみに指を押し当てながら、「水晶髑髏で万民と繋がった状態で、全員に聞こえるように〝冠の声〟を届けるんだ。『永遠に殺し合え』とな。君も想像してみると良い。善人は死によって天国へ向かうが、悪人は此岸に残され、殺し合い、救済し合う。その中で、人々は成長するだろう。状況に適応し、進化する。最適化される。地獄は人を成長させる試練となるだろう」
それはおかしい、とウィリアムは思う。命令通りならば、永遠に誰も死ねない。そこに現れるのは阿鼻叫喚の地獄絵図である。
「ギンティ……」ウィリアムは睨んだ。
「ああ、良い目だ。私が期待していたのはそれだよ。だが……これから起こることと比べれば、生温いな」
意識が途切れかけている。指輪があるから、記憶だけが保持されている状態だ。
指で髪を引っ張ろうとしたが、上手くいかない。首を引っ掻くだけだった。代わりに、手のひらに滲む汗を凍らせる。小さなカミソリほどの破片で、首を掻っ切った。髪の毛はあまりにも細すぎ、狙って切断など出来そうになかったのだ。
僅かに出血する。
扉を開けようとしたが、即座に毛髪が締めつき、開けない。閉じ込められた。個室内を、艶やかな髪が黒く染め上げる。なす術がない。
──と、大量の水が噴き上がった。
どこから入ったものか、壁や天井を破壊して、懺悔室ごと崩す。押し流される中、感応したお陰で、何が起きたのかはかろうじて理解できた。
〝エミリー・フローディア。四十五歳。修道女。聖グラッシア孤児院に就労。指輪の能力は、自身の肉体から際限なく汗を放出すること〟。
彼女が助けてくれたのだ。
髪はもうない。どこかへ消えたようだ。しかし、感応している。アンジェリアが何処にいるのか、おおよその位置はわかっていた。
ウィリアムは咳き込みながら、瓦礫から脱出する。ギンティの居た場所を見れば、教会の壁に歪な穴が空けられていた。溶かされている。断面からそう判断した。この溶かされ方は、母の自宅の鍵と似ている。
恐らく指輪の能力によるものだ。だが、感応はしていない。つまり、ここへ来る以前に空けられたのだろう。予めギンティは準備していたのだ。
その抜け穴から、フローディアが顔を出して、
「さあ、こちらへ」と手を伸ばす。
ウィリアムは彼女の手を取り、外へ出た。首だけを回し、背後を見る。そこには、じっとこちらを睨むアンジェリアの姿があった。




