第50話 運命 同日十一時三十一分
狭い密室に、それぞれ一人きり。この奇妙な対面に、ウィリアムは警戒心が育っていた。襲わないという相手の言葉に偽りはないと信じている。だが、頭脳がけたたましく危険信号を発していた。
ポケットから指輪を取り出すと、そっと指に嵌める。
ギンティとは目が合わない。彼からこちらが見えないからだ。今、自分が指輪を嵌めたことにも気付いていないだろう。感応しないことから、彼や、他に指輪使用者は居ないということがわかった。
これだけでも、一安心と言える。
「私の置かれた立場は、非常に不安定だ」とギンティは口を開いた。「まず、私は自らの罪を自覚している。罪とは即ち、水晶と反目し、女王陛下を疑い、そして──君の母親を殺めたこと」
「罪を認めるのですね?」ウィリアムは鼓動が早まるのを感じながら、確認のために訊いた。
「まさしく。私は、数々の罪を認める。だが、真に罪深いのは、私がこの世に生を受けたことだろう。私は……生まれながらの悪人だからだ」
生まれながらの悪人とはどう言うことだろう。ウィリアムにはその発言が気になった。
「生まれながらの悪人など、存在しないのではありませんか」と問うと、
「ふふふ……本当にそう言えるかね」ギンティは自嘲気味に薄笑いを浮かべ、「自我も芽生えていない赤ん坊が、とても抱えきれないほどの大罪を犯した者の記憶が宿った指輪を身につけたとしたら? その記憶を追体験し、まるでその行いは自分がかつて起こしたものだと思い込んだとしたら?」
額から汗が滲むのがわかった。
大罪がどれほどのものかはわからない。
だがもし、赤子が爪の指輪を身につけたとしたら──切り裂き魔の記憶を追体験させられたらどうなっただろう。想像するだけでも気分が悪くなった。
もしそれが、彼の身に起こったことだとしたら?
「まさか……!」ウィリアムは思わず頭を抱えている。「いや、そんなことがあって良いはずがない」
「だがそれは事実、起こったのだよアンダーソン。私の指輪には古代の記憶が眠っている。そして何より、古代文明を終わらせた理由もだ」
ギンティは長く息を吐いた。まるで深い水底から初めて地上へと出てきたように。息継ぎの仕方まで忘れ、けれど息苦しさだけは忘れられないジレンマの中、ようやく解放されたかのように。
「父ならば、このようなことはさせなかっただろう。だが母は、指輪のことなどまるで知らなかった。彼女に罪がないことは理解している。私が生まれながらに背負わされた苦痛が、赤ん坊に指輪を嵌めてみよう──といった、単なる気まぐれから起きたことは、仕方なかったと言える」
「だが、貴方は……」ウィリアムは息を呑み、「しかしそれでも、貴方自身が犯した罪は消えない」
「そう。そうだとも。これは私の罪だ。私自身が起こした罪なのだから。だから、私は悪人なのだ。私にはずっと抱えきれない恐怖だけがあった。罰が必要だったのだ。罰される必要があった。犯してもいない罪の恐怖に耐えかねて、罰されるために、私は罪を犯したのだ」
何という倒錯だ、とウィリアムは思った。彼は正当に罰を受けるためだけに、人の命を奪ったのである。何て利己的な奴なんだ、と責められたかもしれない。だがもしもギンティは、自分が生まれながらの悪人であると考えるならば、そもそも犯罪は、彼にとってハードルの低いものだったのではないか。
いや、むしろ──
悪人だという自認があったからこそ、彼はその道を進んだのかもしれない。
ならばこれは、彼の母の過失であるとは言え、何と言う運命だろうか。指輪のために、一人の人生が捻じ曲がったのだ。誰も悪くない。ただ一つ、運が悪かったとしか言いようがないのだ。
「何故、私を責めない」ギンティは狼狽えるような口調で、「まさか……同情などという安く、ちっぽけな思い遣りのためではないだろうな」
「いいえ……本当に、心の底から、貴方には同情しますよ」ウィリアムは何もない天井を見つめる。
運命という言葉が脳裏に過ぎった。
ふと、閃光にも似た閃きがウィリアムを貫く。それは、酷く恐ろしい思いへと変貌し、体中を伝わる震えとして形になった。
「ギンティ・ギルバート神父。貴方は先程、水晶が原初の生命であると仰いましたね」
「ああ──」ギンティが息を吸う。「言った」
「もし、その言葉が真実なら……我々の自由意志はどうなるのでしょうか」
「この短時間でそこに気が付くとは、流石だ」神父は感心するように言った。「恐らく、微弱だが存在はするだろう。ただし、この肉体は意志よりも水晶からの影響を強く評価すると私は考える」
ショックな返答だった。
ウィリアムにとっては、真っ先に否定されたい事項だったと言える。だが考えてみれば、この考えはギンティによって誘導されたものとも考えられるのではないか。彼は我々が水晶に囚われていると考えていたからこそ、原初の生命について説明したのだろう。
要するに、と混沌としている脳内を整理するべく、イメージを言語化した。
水晶が人類種を作ったのならば、古代人たちが並列意識であったことにも説明がつく。これは、水晶が言葉でなく感応によるコミュニケーションを行うからだ。そして、モートン神父によれば、擬似精神を与えられたことで、繋がりは途絶え、人類は今のような形──つまりは自我意識が発生したという。
古代人と現代人は、地続きで繋がっているのだ。だからこそ、指輪を身につけることで感応する。これは、指輪がその機能を備えているからではない。水晶と触れることで、その当時の機能を人体が思い出し──人体が指輪と感応していたからだ。
「この肉体は、まだ水晶から抜け切っていない……」
「あくまで可能性だがね」ギンティの声は冷たい。
「しかしそうなると、指輪を身につけていなくても、僕たちは感応し合っているかもしれない可能性が出てきます」
「かもしれないではない。実際に、感応し合っている。水晶髑髏に触れた者は、他者の感覚が伝わる。これが根拠だ」
ぐっ、とウィリアムは歯を噛み締める。事実を積み重ねれば積み重ねるほど、ある事実が浮かび上がってくる。それは直視したくない可能性だ。
全ては運命である。
ならば──
「……僕たちに自由意志はない?」
「それ以外には考えられない」とギンティは結論する。「実際はどの程度なのかはわからないがね。瞬きするタイミングや恋に落ちる日付まで決定されているのかもしれないし、或いはもっと緩く、どんな出来事が起こるのかまでは設定されていて変えられないものの、そこに至るまでの道のりは制限されないのかもしれない」
「いずれにせよ、貴方は悪人とは呼べない」
「まさしく……」ギンティは複雑そうな顔で、壁に空けられた無数の穴を見つめた。「私はさしずめ、悪役といったところだろう。生まれながらにして、そう定められた命だったということになる」




