第42話 力の均衡 十二月五日十一時
涙が収まると、ミレアは記憶の整理に頭を働かせた。自分がアイリスと名乗っていたのは、恐らく五年前のことだろう。これは、体感したことや父の姿などから推測したことだ。不思議なことがある。それは、当時も一八九〇年だったこと。これはどういうことだ、とミレアは悩む。
この記憶が過去の出来事であることは間違いない。技術は今よりも低く、また遺跡に関する記録や知識も蓄積が少ない。
擬似精神仮説を、アイリスは唱えていた。後ほど女王陛下が明かした、古代人は並列意識だったという内容と同じものを、別の人間が論文に認めている。その者の名はエドワード・ゴーシュだ。父の言っていた知り合いだろう。
過去の──というより前世の──自分が考えた仮説も嫌いではない。
前世。
そう、その印象がミレアにはあった。
名前が異なるというだけではない。そこが、同じ年であると言うことが非常に気になった。その理由は、きっと女王陛下にあるのだろう。彼女と、水晶髑髏が原因か。今は、そう仮定して考える。
仕切り直す、と陛下は言っていた。これはきっと、また同じ年をやり直すという意味だと思われる。これについて、何か知らないか、とモートン神父に訊いた。当然ながら、私もその違和感には気付いたと彼は言う。また、この記憶が五年も前のことだとする意見も一致した。ただし、女王によって気絶させられたため、直接の原因が女王陛下によるものとは、彼は知らなかった。
説明すると、成る程と神父は頷く。
「だから、誰もが忘却したのですね」
「そうだとして、ならどうして今年は一八九五年では無いのでしょう」ミレアは虚空に向かって呟く。「仕切り直しから、五年も経っているんですよ」
「少なくともあと一回は、仕切り直したのでしょう」モートン神父は言った。「どんな理由から仕切り直すことにしたのか、何故忘却するたびに一八九〇年から始まるのか知りませんが……」
「五年前の仕切り直しには、神父も関わっているんじゃないですか?」ミレアは鎌をかけた。「私の目の前で、契約をしていましたね」
「ええ……そうですね」神父は微笑む。
「モートン神父、貴方なら何かご存知なのではありませんか?」
「さあ。私には何とも……」と彼は首を振った。
「例えば、貴方は陛下と協力することを約束しましたが、これを無かったことにするため、消したのではないでしょうか」
「契約を破棄したと?」
「契約自体をやり直したかった、という可能性です。どんな内容だったのかは、わかりませんけれど」
「知られていたらこちらがびっくりです」神父は真顔で言う。「失礼、話の腰を折りましたね」
ミレアは口を曲げた。「いえ。でも、これはあり得ませんね。仕切り直したのは陛下の方ですから、自ら契約を持ち出しておいて、それを破棄するなんて有り得ない……だとすると、そうではなくて、むしろ逆だったのかもしれません」
「裏でも対偶でもなく」と神父。
「くだらないこと言わないでください」ミレアは呆れた顔を作る。「陛下は、貴方との契約を完全なものとするために、忘却した」
「それは何故です?」
神父の含みある微笑みから、この方向性で正しそうだと直感した。彼は理由を知っていて、この質問をしたのだろうな──と、ミレアは思う。
「目撃者を無くすためです。つまりジェイムスが、聞いているかもしれない。彼は、どう言うわけか、教会の側に立っていて、女王陛下や王家と対立していましたからね。貴方が裏切っていることを彼には知られたくなかったのではないでしょうか」
「ただ私が裏切ったというだけのことで、大勢を巻き込むほどの忘却を起こすと思いますか?」
ミレアは俯く。恐らくそうだったのだろうな、という予感があった。
「貴方は陛下と対立したからこそ、水晶髑髏を盗んだのですよね。でも、この対立がそもそも無かったのだとしたら……」ミレアは乾燥した唇を舐めると、神父の顔を睨む。「貴方は、陛下を裏切ったのですか?」
「いいえ」
「なら、何故……」
神父は目を瞑り、「全てが運命だったとしたら、どう思いますか?」と訊いた。
「は? 運命……?」ミレアは訝しむ。
「そうです。未来に起こることは確定していて、どうしても変えることはできない。そもそも、全ての人は予め決められた道を歩むだけで、そこに意思がなかったとしたら?」
「ま、待ってください、一体、何の話を……」
「私がどうして、水晶髑髏を盗んだのか、その理由ですよ。これはそう簡単に答えられる内容ではない。長い年月の末に導き出された、ちっぽけな末路なんです」
言うや否や、神父は立ち上がった。ミレアを見下ろすと、手を伸ばし、
「さあ、着いてきてください。これからある場所へご案内します」
ミレアは戸惑いながらも、その手を取って立ち上がる。神父は手を離すと、迷いのない歩みで、聖堂の奥へ向かった。壁に並ぶ燭台の一つを押す。それは簡単に横へとスライドし、裏から小さな扉が出現した。神父は扉を開けて、こちらへ手招きする。
ミレアは唾を飲み、頷いた。
扉を潜ると、長い通路がどこまでも続いていた。歩く度に、足音が響き渡る。生暖かい風が髪を揺らした。まるで洞窟の中みたいだ、とミレアは感じる。灯りの類はなく、神父の持つ懐中電灯だけが頼りだった。しかしその光もか細く、足元よりも先は不明瞭なままだった。
突き当たりには、螺旋階段があった。一体どれほどの深さなのか、手すり越しに見下ろせば、闇しか見えない。深淵へと降りていくのだと思うと、恐怖感や奇妙な高揚感を覚えた。
「どこへ続いているんですか?」堪らずミレアは訊く。「地獄だって言われても驚かない自信があります」
「え、良く分かりましたね……」神父が無表情でこちらを見た。
彼がジョークに付き合ってくれたお陰で、ミレアは自分の放った言葉が信じられないほどにつまらないと自覚させられた。
「は、はあ……」ミレアは無理に笑ってみたが、筋肉に引き攣りを感じる。「はあ……」
もっとユーモアを磨かなければ、と決意した。
階段を降りて、三秒ほど経った頃、唐突に神父が口を開いて、
「五年前の契約のお陰で、我々はもう切り裂き事件を起こす必要が無くなったんですよ」と言う。
「どう言うことですか?」
「私が水晶髑髏を盗んだことで、王家と教会は、ようやく和平を結べるようになったのです」
揺れる光に合わせて、神父の声が鼓膜に触れた。ミレアは彼の言った意味を理由するために沈黙を貫く。モートン神父は、続けて曰く、
「私たちは、女王陛下の力を恐れて、あの蛮行に及びました。その力とは、忠誠によって臣民を従わせる権力のことです。これは、我々にとって脅威でした。何故なら、我々の意思に関係なく支配し、制御するからです」
その力とは、冠の能力──つまり声のことだろうか。声を聞いたものは、皆、コントロールされていた。恐らく、アイリスもそうだった。閂を外したのは、他ならぬアイリス自身だったのだろう。
「自我一つで他の肉体を操ると言う点では、まるで古代人みたいですね」
「実際、その通りですよ。古代人たちを支配していた自我、または主人格の正体とは、まさに彼女なんです」
「女王陛下だった、と?」
ええ、と神父が認める。
「我々は元々、女王陛下から生まれた──擬似精神なんですよ」
驚きのあまり、ミレアは立ち止まった。ついてこないと察して、神父が振り返る。
まず先に、擬似精神仮説という言葉が出たことに驚いた。彼の言いたいこと──つまり、古代人たちから今の人類へと移り変わるのに応じて、繋がりを切断し、それぞれに判断力や注意力を与えるべく、自我意識を授けたのだろうということ。ここまでは、分かる。
だが、
「どうして……」
「私が擬似精神という言葉を知っているのか、ですね? これは、女王陛下からお聞きしました」
「それじゃ理由になりません」
「そうですね……」確かに、と頷きながら彼はくすりと笑った。「それも全て、水晶髑髏が理由なんですよ。話が逸れましたね。何故、私が水晶髑髏を盗んだのか?」
「え、ええ……女王陛下の権力から離れるためと」
「そう。我々は女王陛下の臣民だった、だから従うように出来ている。だからこその反発でした。でも、水晶髑髏は今、王家にはない。もちろん、教会側にもありません」
「じゃあ貴方は一体どこに隠したのですか?」
「秘匿された街です。我々にとっても馴染み深い……」
階段の底に着いた。神父が先導し、暗闇の中に設置された門を開け放つ。懐中電灯の光を浴びて、扉の先から眩いほどの光が隙間から反射された。
ミレアには見覚えのある空間だった。そこは、水晶と化した街。またの名を、
「古代人たちの墓ですよ」神父は顔をこちらに向けて言った。




