第4話 形だけの別れ 同日 十七時十五分
暖房の効いた部屋の中、ウィリアムはティーポットを机に置いて、ようやく椅子に座った。ジェイク・ギルバートはと言えば、ティーカップを片手に匂いを嗅いでいる。
「上等だな、これ」ジェイクは一口飲むと、「やっと暖まってきた」
「それで……ギルバートさん」
「ジェイクで良い。俺もアンタのことをウィリアムと呼ばせてもらう」
ウィリアムは短く嘆息した。「貴方は、母と知り合いなんですか?」
「まあ少しな。凄い仲が良かったってわけでもなかったが」
「へえ……」ウィリアムは、彼と母がどういった経緯で知り合ったのか、興味を持った。が、相手は口を濁すので、後回しにする。「で、ジェイクさん。貴方は何から逃げてきたんですか?」
「俺の記憶は見なかったのかい? 軍から脱走してきたんだ。追われている」
「一体何をやらかしたんです」
「おいおい何もやってねえよ」と彼は笑い、「……洗脳されそうになったんだ」真面目な顔に変わる。
思いの外重たい理由が告げられたぞ、とウィリアムは思った。紅茶を飲むと、続きを話すよう促す。ジェイクはカップを置くと頭に両手に乗せながら、
「指輪さ。それも、本来の使い方とは違う、意図しないやり方で、な。大佐は使い勝手の良い傀儡を欲しがってた。死を恐れず、弾丸飛び交う向かい風を進める勇者──それでいて、命令に背くことのない忠実な僕を」
「だから脱走した?」
「それ以外にあるかよ。俺は嫌だぜ。ただの、考える一兵卒だ。食っていけりゃあ良かった。国のために尽くすことは否定しないが……あんな野郎のために意思を失うのだけは御免だからな」
「洗脳ね……」
どう言うわけか、運命という言葉が脳裏に浮かんだ。もしも全てが予め定められていたならば、そこに自由意志は必要ないと言える。あったとして、それが運命に影響を与えることはあるのだろうか。
「その洗脳された兵士たちは、どんな様子でした?」
「何と言えば良いのか……大佐はあれを、意思の統一と言ってた。ただどう言う意味なのかは、俺にも微妙に分かったんだ、だから逃げてきた──あれは、思想を共有しているのとは訳が違う。精神が感応し合って、混ざり合っているんだ」
「ほう……それは、なかなか」ウィリアムは指輪同士で感応し合い、記憶が傾れ込んだことを思い出し、不愉快になった。あれは気持ちの良い体験とは言えない。「それで、その大佐は貴方を操り人形にするために、追ってくると」
「ああそうだ。だから頼む! 俺を匿って欲しい。それに記憶を覗かせてもらったが、ウィリアム、アンタは殺人の謎を追ってるんだろう? これは指輪絡みさ。多少の知識を持つ俺なら、調査を手伝えるぜ」
ウィリアムを目を瞑り、考えた。
ジェイクの指輪の持つ力は、爪にまつわるものだ。端的に表すならば、何でも切れる刃物と言ったところ。それが木であろうと、鉄であろうと、たとえ人であろうと切断できるだろう。
母を殺めたものとは異なる能力と言って良い。傷口はもっと直線的で、平べったく、鋭利なものとなっていたはず。その上、彼ならば鍵穴を溶かすのではなく、切断していたはずだ。
とは言え、ジェイクをどこまで信頼して良いものか、わからない。公式には警察は捜査を打ち切っている。だが、イダルタ刑事は諦めていないとも言っていた。
そして、犯人のことだ。その人物はこの家で何かを探すために侵入してきている。その目的物は、きっとこの指輪だ。もしも指輪を欲しがっていたとしたら? ジェイクを使って奪い取ろうとして──ああ……いや、それはないだろう。彼の記憶を覗き見て、そんな過去はないとわかった。
ジェイクはこの件には関係がない。
「それに、この屋敷をどうするか、考えてもいなかったしな……」ウィリアムは思わず考えを呟いていた。ジェイクを見て、「分かった。君はしばらくここに居て良い。その代わり、指輪について教えて欲しい」
「ありがとう。恩に切る」ジェイクは深々と頭を下げてみせると、「よーし、では講習と始めよう。詳しい話は、教会地区で知ってもらうとして、今回は初歩の初歩、基礎の部分だな」
ジェイクは指輪を取り出し、ウィリアムの目に映るように持ち上げた。
「この水晶の指輪は、それぞれに能力がある。記憶がある。前者はそれぞれ固定で、誰が使っても変わらない。ただ、決して同じ力を持つものはないらしい。特徴的なのはだな、能力のどれもが身体的・感覚的なものだってことだ。アンタの体温調節だとか、俺の爪のナイフだとか、な。
後者についてだが、指輪ってのは一種の記録媒体らしい。日記のようなものと思ってくれれば良い。俺はそう解釈している。アンタはまだ身につけて日が浅いからだろうな、前任者たちの記憶を見ていないらしいが、まあ、いずれ見るはずだ。そして、疑問に思うはずだ」
「何を?」ウィリアムが口を挟む。
「今日が一体、何年なのかさ」
ウィリアムは首を傾げた。
「まあ、それはおいおい分かることさ。焦らなくて良い。……話を戻そう。前任者の記憶があるお陰で、俺たちはこの指輪の使い方が分かる。どんな能力で、どう扱えば良いのか、それはウィリアムも直感的に理解できただろう?」
「確かに」と頷く。
ジェイクは続けて、「それはアンタが無意識に、日記の前の人が書いたページを見ているからなのさ。……確か、『指輪の方が必要な情報を教えてくれている』んだったか……これは流石にロマンチスト過ぎる考えだな」
「指輪が記憶の取捨選択をしていると?」
「おお、要約するならそういうことだな。理解が早くて助かるぜ」
「それで何ですが、身体から強酸を放出させるような能力を持つ指輪について、聞き及んだことは?」
「聞いたこともねえな」ジェイクは首を振って、「そんな強烈な人間が居たら、すぐに噂が広まりそうなもんだが」
「そうですね」同意して、ウィリアムはティーカップを口元まで持っていく。「或いは、箝口令を敷けるほどの位にある人物なのかも」
「なら、簡単に手を出すのは拙いな」
「でも僕が相手にしているのはそういう人かもしれないので。協力、お願いしますね」
「こりゃ、頼む相手を間違えたかな」
ジェイクは苦笑して、紅茶を一気に飲み干した。
「さて、僕は葬儀の手続きを行なってきます。貴方はここに居てください」
ウィリアムはそう言い、外套を羽織り、部屋を出て行こうとした。もちろんのこと、指輪は外している。
「おいウィリアム」呼び止められて、ウィリアムは振り返った。「気をつけろよ」
「ええ」
外はあまりに寒い。指は悴むし、肌は針に刺されたような痛みを感じる。指輪を身につけたくなったが、もしも指輪を身につけた相手と遭遇したら、厄介だ。それに、指輪を狙う犯人に見られでもしたら、面倒なことになる。──もっとも、面は割れているだろうが。
手続きの殆どは警察にて準備を済ませていたので、後は支払いをするだけだった。
そうして迎えた翌朝に、埋葬は執り行われた。刑事二人やバートン婦人などからお悔やみを申し上げられながら、恙なく進行していく。
葬儀には中央地区を担当するメルヴィル神父が参加してくれた。彼が祈りを捧げ、ウィリアムは弔辞を口にする。
空は晴れて、澄んだ青の色をしていた。
この色を絵で再現するのは、難しいだろうな、とウィリアムは思う。だからこの日のことは、忘れてしまうことのないよう、目に焼き付けておくことにした。
「形だけの別れだ。事件はまだ終わっていない」
穴の中へ沈められていく棺桶を見つめながら、ウィリアムは口の中でだけ言葉にする。犯人を突き止め、報いを受けさせたときにやっと、別れは果たせるだろう、と。
埋葬を見届けると、弔問客は次第に数を減らしていき、やがて神父も帰って行った。
ベンチに座って小休憩していたウィリアムは、そんな光景をぼんやりと見つめる。そこへ、イダルタとバルパの両名が現れた。
「済まない、アンダーソンさん」とイダルタ刑事が言う。
「第一声が謝罪ですか」ウィリアムは吹き出した。
「我々は今回の件から手を引くことにした」
「それは……どうしてでしょう?」
困惑してそう訊ねれば、二人の刑事は互いに暗い顔を見合わせる。バルパは乾いた唇を舌で湿らせると、
「私たちの手には負えないんです。貴方も──もう、これ以上深追いしてはいけない」
真剣味を帯びた声色に、ウィリアムは驚いた。
「理由を教えてもらっても?」
バルパは何も言わずに、ただ首を振る。
どうしたことか、ウィリアムが二の句を継げずに居ると、
「そう言う訳なんだ。本当に、申し訳ないと思う」イダルタは頭を下げた。そしてその重い足取りのまま、離れて行った。
刑事の後ろ姿を見送って、ウィリアムは天を仰ぐ。
頭の中では、これからどうすべきだろうと考えていた。犯人は何者なのだろう? しかし、ウィリアムにはそれでも立ち止まるという選択肢は考えてもいなかった。




