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ANDERSON  作者: 八田部壱乃介
Chapter3
38/50

第38話 正体見たり 同日二十時二十分

 ジェイムスが人目を確認すると、何でもないふうを装って、裏口に近づく。まるで泥棒みたいだ、とアイリスは思った。が、実際のところ、これは無断侵入にあたる。そう思うと、心臓が早まってきた。

 暫く、ジェイムスは裏口の周辺を見ていたらしい。こちらに来いと手で合図する。大丈夫だ、と頷きながら。アイリスは音を立てないことに意識を向け、彼の元へ駆け寄る。二人は声を出さなかった。

 目配せすると、頷き合う。

 ジェイムスはドアノブに手を触れた。そっと捻ると、鍵が掛かっていないようで、呆気なく開く。彼も少しばかり驚いたようで、目を見開いてアイリスを見た。


 中は灯りが付いていない。ガス灯が点いている外よりも真っ暗だった。このまま入って、ドアを閉めてしまったら、何も見えないのではないかと考えてしまう。

 本当に、中へ入るのか?

 アイリスはジェイムスの袖を引っ張る。やめた方が良いのではないか。心配になった。彼はこちらを見ると、口角を持ち上げてみせる。この状況を楽しんでいるのだろうか? 何を考えたのか、アイリスには分からない。

 ジェイムスは自宅へと帰ってきたようなさりげなさで建物の中へと入っていく。もう引き返せない。アイリスは唾を飲み込んだ。証拠が見つかれば、ハンターという人物が犯人である。見つからなければ、彼の無実が証明される。いずれにせよ、これは、正義に基づく行動だ。

 無理やりに自分をそう説得し、後に続く。


「ドアを閉めるんだ」ジェイムスが囁き声で命じた。

 閉めて大丈夫なのかと考えたが、誰かに見つかるかもしれない可能性を思えば、ここはその通りにすべきかもしれない。アイリスは悩んだものの、結局は言われるがままに従った。

 最初のうちは何も見えなかった。目を開けているのに、瞼の裏を覗いているようだ。

 自然と耳に意識を傾けた。ジェイムスとはぐれないように、彼の息遣いや、足音に耳をそばだてる。


 瞬きして、数秒ほど経つと、次第に目が慣れたらしい。ぼんやりとだが、室内の様子が見えるようになった。

 そこは広々とした空間だった。中央には寝転がれそうな、縦に伸びた椅子があり、その傍に台が置かれている。上には、メスや鉗子といった医療器具があった。丁寧に管理されているのか、どれも綺麗に見える。

 ここは手術室のようだ。部屋にはカーテンが張られており、その向こうには、様々な機器が机の上に乗せられている。血圧計や体温計、顕微鏡などは見て分かった。机の隣に置かれた棚に目を向ける。

 引き出しを開くと、多くのカルテが出てきた。中を覗いたが、別の言語で書かれているようで、内容が理解できない。

 ジェイムスを呼び、代わりに読んでもらう。彼は中身を一読すると、カルテに目を落としたまま、

「これは解剖記録みたいだ。いつ、どんな人物を診たのか、死因は何だったのか、などが書いてあるね。つまり、生きた人間を解剖したわけじゃないみたいだ」

 言うと、彼は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「……そうね。貴方の仮説が優勢だわ」アイリスは潔く認める。「ただ、決定的な証拠はまだのようだけど」


 つまり、これまでに発見された被害者たちと、この手術室とを結びつける記録が見つかるかどうかに掛かっている。ジェイムスは首肯すると、

「そう言えば、君の言っていたイヤリングだけど……それは今も持っているのかい?」

「どうして?」アイリスは引き出しから視線を持ち上げた。

「いや、気になってね。それこそ、決定的な証拠になるかもしれないし」

「今も持っていると言ったらどうする?」アイリスは冗談のつもりで言った。「いや、本当は──」

 ぐっ、とジェイムスに手首を掴まれた。

「痛い」アイリスは上目遣いに抗議する。


 彼は無表情だった。どこか、冷酷な眼差しでこちらを見下ろしている。それが酷く恐ろしい。

「何……何なの?」アイリスは戸惑った。

「答えてくれ。これは大事な質問なんだ」ジェイムスはそこで一拍置くと、「それはトパーズで出来た、薄い半月のイヤリングかい?」

「そう、だけど……」

 更に強く締め付けられる。アイリスは顔を顰めた。

「それを今、出して見せてくれ」

「どうして?」

「早く」声に圧が感じられる。

「ごめんなさい、今は、持ってないの……」声が震えた。

「君はさっき、持っていると言ったはずだ」

「違うの。あれは、ほんの出来心というか──」

「なら、見たと言った話も、あれは嘘なのかい?」

「いいえ、本当のこと」

 手首は掴まれたまま、ジェイムスと数秒ほど見つめ合った。その後、彼は迷っているような表情を浮かべ、顔を背ける。アイリスは手を振り払った。ジェイムスを睨みながら、手首を摩る。

「いや、悪かった……」彼は苦々しい顔で目を伏せた。「ここを出ようか」

「……そうね」

 アイリスは真っ先にドアの元へ行き、ノブを捻った。雪が降り注いでいる。静かな冷たさが急激に肌を痛めつけた。寒さから、息がまた震える。


 裏手から離れ、大通りに向かう途中、

「ねえ、さっきはどうしたの?」アイリスは意味がわからない気持ち悪さに耐え切れず、質問した。

「何でもないんだ。忘れてくれ」

 ジェイムスはそう言って口を噤む。居た堪れず、アイリスはポケットの中の指輪に触れた。

「あら、ジェイムス。どこへ行ってたの?」

 背後から声をかけられた。二人は揃って振り返る。そこには、数時間前に会った医学生のジェーンが居た。

「あら……貴方はアイリスさんね?」

 彼女の耳には、片方だけイヤリングがぶら下げられている。それは片割れを失った半身の月。ガス灯に照らされて、明るい黄色を反射する。

「ああ、義母かあさん」とジェイムスは言った。それから、アイリスに向き直る。「ほら、前に言っただろう? この家の主人は、若い女を娶ったって」


 心臓が痛いほど強く、早く鼓動した。目眩がしそうになる。現状を認識するとともに、口の中は急速に乾いていった。

「どうしたの? 具合でも悪いのかしら?」ジェーンが心配そうにアイリスの顔を覗き込む。「顔が青いけれど……」

「いいえ、お構いなく」緊張しながらも、微笑んでみせた。上手く笑えているかはわからない。「えっと、それじゃあジェイムス。予定があるから、またね」

「ああ、また」彼はにこりともせずに言う。「また……」


 アイリスは努めて冷静に足を動かすことだけを考えて歩いた。足が痺れたように感覚を失っている。力が上手く入らない。呼吸もどこか変だ。今まで、どうやって息をしていたのだっけ。

 後ろのことが気になった。ジェイムスとジェーンが、何やら小さな声で話し合っている。振り返らずに歩くことを意識した。

 家までの道のりは遠い。

「なあアイリス」ジェイムスが大声をあげる。

 アイリスは思わず足を止めた。振り返るのは恐ろしかった。

「少し話があるんだ、こっちへ来てくれないか」声は優しい。

 錆びついた首をどうにか動かして、彼の方へ向いた。ジェイムスはポケットから指輪を取り出している。両手を広げると、指先の影が滑らかに伸びた。

「さあ、おいで」

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