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ANDERSON  作者: 八田部壱乃介
Chapter3
37/40

第37話 殺人鬼の館前 同日二十時十分

 見上げれば、美しい星空がうっすらと見える。冷たい空気が霧となって、視界をぼんやりとさせていた。ガス灯のお陰で、道の先の様子はよく分かる。けれど、女性が一人出歩くには、少しばかり危険だったかもしれない。

 肌寒さが頭を冷やした。今思えば、断るべきだったと思う。しかし、今更後には引けない。行くしかないだろう。


 指定された場所は、ここから徒歩で十五分の距離だった。数時間前に訪ねた、礼拝堂より先でジェイムスは待っている。

 歩きながら、例えばこのタイミングで自分が襲われたらどうしよう、と考えた。やはり判断を間違えたかもしれない。アイリスは僅かに不安になる。

 十分ほど歩いて、礼拝堂を越えた。誰か見知った人物と出会えたなら、この恐れも消えてなくなるだろうに、と考える。

「アンダーソンさん?」

 不意に声を掛けられた。アイリスの喉から悲鳴が上がる。すぐに口元を手で押さえたので、それほど大きな音は漏れていないはずだ。恥ずかしい、とアイリスは赤面する。それまで悲鳴などあげたことは無かったのに。

 もしかすると、悲鳴をあげる練習が影響しているのだろうか。ならば、効果はあったわけだ。


 相手は誰だろう、と確認する。白いモヤの中から、男が顔を出した。

「モートン神父?」アイリスは訊ねる。

「ええ、そうです。こんな時間に何をしていらっしゃるのですか?」

「ええと、お出掛けからの、帰り道です」咄嗟に嘘を吐いた。

「治安が良くなってきたとは言え、やはりまだ一人で出歩くのは良くありませんよ」神父は眉を顰める。

「その通りだと思います」アイリスははにかんで、頭を下げた。「少し予定より遅れてしまって……。すぐに、迎えが来るはずですから」

「そこまで一緒に行きましょうか?」

「もうすぐそこですから、大丈夫です。大丈夫ですから!」

 少しわざとらしかっただろうか、とアイリスは思う。神父の顔を見るに、あまり納得した様子ではなかったけれど、首をゆるゆると振って、

「まあ、それなら……仕方ありませんね。気をつけてお帰りください」

「お気遣いどうもありがとうございます」


 アイリスは逃げるように、小走りに走った。

 彼の姿が見えなくなった頃に、足を止め、そうっと息を吐く。道を曲がれば、目的地だった。

 指定された場所には、確かに館らしきものが聳えていた。どうも中が騒がしい。パーティを開いているようだ。入り口には次々と自動車が集まってきて、客足が途絶えない。我が家でも似たような光景をアイリスは見たことがある。

 館から視線を外すと、壁にジェイムスか背中をもたれ、待っていた。こちらから近づくと、相手も気付いたらしい。


「来たか」と、口を緩める。「ほら、あの屋敷だ」

 アイリスは一度、横目にちらりと見つめ、「立派な屋敷ね。どこが疑わしいの?」

「あそこには医者が住んでる。ハンターという老齢の男なんだが、知っているか?」

 アイリスは首を振って否定した。

「知らない?」ジェイムスは驚き、「最近、若い女を娶ったんだぜ」

「医学部じゃないもの。知らないわ」アイリスは首を傾げてみせる。

「そうか……なら、付いてきてくれ」

 ジェイムスは壁から離れ、歩き出した。アイリスはその後を追う。

「ハンターという男は、外科医として有名なんだが、解剖医でもあるんだ。ほら、あれを見ろ」


 二人は館の周りを移動し、裏口に回った。そちらにも、ひっきりなしに自動車が入っていく。しかし、それは単なる車のようではない。

「霊柩車……?」アイリスは呟く。

「そう。解剖のために、死体を届けさせているんじゃないかって噂だ」

「その噂って、医学部で流れているの?」

「その通り。良い推理だ」

「嬉しくないけど……」アイリスは口を曲げた。「それじゃあ館の主人は、パーティを開く裏で死体を届けさせているのね。確かにこれは、奇妙だわ」

「そうだろう?」誇らしげに、ジェイムスは片方の眉を持ち上げる。


 アイリスは少し考えた。

 もし仮に、ハンターが犯人ならば、彼は死体を必要としていることになる。だから、殺人を犯すわけだ。けれど、切り裂きジャックは、被害者たちは外に放置している。これはおかしな話だ。

 そう、ジェイムスに指摘する。すると、彼は人差し指を振って、

「違う違う。逆かもしれないだろう?」

「逆?」少なくとも、裏でも対偶でもないということだ。

「そう……奴は、殺人者なのではなく、死体を外に遺棄したのさ」

「ああ……成る程ね」


 死体が欲しかったのではなく、死体をどこかに捨てたかった。だから、殺した結果死体を作ったのではない。まず先に死体があった。これを、外に放置したのだ、と考えたわけだ。

 つまり、流入経路が逆になる。

「死体はどこから持ってきているのかしら」ふと気になった。

「これも噂だが、墓地から、だろうな。あそこなら、無料で新鮮なものが手に入る」

「墓暴きね」

 これは、考古学を揶揄した蔑称だった。遺跡の発掘を快く思わない者が、そう発言する。

「そうだな」と彼は、ずっと館から目を離さずに、同意した。「……少し、潜入してみよう」

「えっ、今から?」

「それ以外にあるか?」


 今は何時だろうか。両親に、無断外出したことを悟られるかもしれない。これが気がかりだった。これ以上長くここに留まるのは避けたい。

「だが、気になるだろう? こんなにも、疑わしい状況証拠が揃ってる。それにだ、もしも俺の仮説が正しければ、切り裂き魔など居ない──だから、恐れる心配もないってことになる。その上、もし奴が犯人でなければ、それはそれで良い」

「どうして?」とアイリスが訊くと、

「彼の無実が証明されるだろう?」

「あ……待って」

「何だ?」ジェイムスは不思議そうな顔を浮かべる。

「イヤリングよ。そう、思い出した」

 アイリスは遺体から、半月のイヤリングを見つけたことを説明した。遺体の耳を確認したところ、穴は開いていない。このため、イヤリングは被害者のものではないかもしれない、ということも含めて。

 ジェイムスは微かに驚いたような顔になり、顔を館に向けた。厳しい表情に変わる。


「それがどうしたんだ?」

「犯人は女性かもしれない」アイリスは答えた。

「或いはこうも考えられる──」ジェイムスは片目を瞑り、こちらに顔を戻す。「他の遺体のものと混ざった、とかね」表情は既に和らいでいた。

「そうね……可能性はゼロじゃない」

「確かめなくて良いのか? 検証しなければ、仮説は仮説のまま──机上の空論さ。何事も確定しなければ、そうだろう?」

 アイリスは下唇を噛んだ。悩ましいけれど、ここまで来たのであれば、調べるべきかもしれない。既に危険は犯している。今更帰ろうと、後になろうと、家を脱げ出したことに変わりはないのだから。

 アイリスは無言で頷く。

「そうこなくっちゃ」

 ジェイムスはニヤリとした。

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