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ANDERSON  作者: 八田部壱乃介
Chapter3
36/70

第36話 質疑応答 同日十五時二分

 大学に入ると、多くの学生たちの姿が目に入った。今は休み時間だから、暇なのだろう。彼らは思い思いの過ごし方で暇を潰しているのだ。この中から医学部生を探すと、ジェイムスを見かけたか訊く。

 ただ、基本的に行動は自由だ。誰も彼も、他者のスケジュールまでは把握しているとは限らない。訊いても、全員が「さあ」と首を振った。

 また明日出直そうかと諦めかける。ふと、講義室から出ていく彼の姿が見つかった。ジェイムスはもう一人、見知らぬ女性と連れ立っている。何となく話しかけるのを躊躇った。仲が良さそうに見える。恋人かもしれない。

 やはり、この件は後回しにしよう──そう思い、踵を返すと、

「あれ、アンダーソンか?」ジェイムスがこちらに近づいてきた。「やっぱり。今ちょうど、朝の話をしていたんだよ」

「朝の……って言うと、事件のこと?」

 アイリスの質問に彼は頷いた。


「ジェーンです」連れの女性が手を差し出す。

 アイリスも自分の名を教えると、その手を取り握手を交わした。

 ジェーンもまた医学部生だと言う。明るく、快活そうな印象だった。聴講する授業が複数被り、このためもあって、ジェイムスと会話することが多いらしい。

 今回は、今朝の惨劇が話題の種に上ったようだ。

「怖かったでしょう?」とジェーン。

「それはもう。血の気が引きましたわ」思い出して、両肘を抱える。

「一人じゃなくて幸いだったわね」

 確かに、とアイリスは大きく頷いた。

「あの場には、まだ犯人が居たかもしれないしな」ジェイムスが同調する。

「物騒なことね」ジェーンが顔を顰めて言った。

「そう言えば、これは噂でしかないんですけれど」とアイリスは前置きして、「切り傷の感じからして、犯人は医療関係者なんじゃないかと言われているみたいです」

「へえ」ジェイムスは意外だという顔をした。「じゃあ犯人は医者か」

「さあ、そこまでは。これはまだ噂でしかありませんから。ただ……そう言った専門家の手によるものなのか、って傷を見ただけでわかるものなんですか?」


 アイリスの疑問にジェイムスとジェーンが目を合わせた。

「例えば殺す以上の無駄な傷がない、ということかな。傷口が綺麗だったり」とジェイムス。

「まあ、それなら手慣れているな、とは思うかもね。でも、医者だと断定できるかしら」ジェーンが首を捻る。「切り口が滑らかだったとか? 切り方に迷いがない、とか」

「でもそれだけで医者だとまでは言えないな」

「そうね」ジェーンはジェイムスの意見に同意すると、アイリスに目を向ける。「そうなると……多分、切り傷だけじゃなくて、他にもこれは明確に医療関係者だなって思える痕跡があった、ってことじゃないかしら?」

「恐らく」

 と言ったものの、これは人伝てで聞いたものだ。だから自然と曖昧な返事になってしまう。

「成る程ね。なら、薬品かもしれない。麻酔とかはどうだろう。それなら、医者だと連想するのでは?」ジェイムスは皆の反応を確かめるように言う。


「それなら匂いがありそうね」とジェーン。

「俺は気付かなかったな……」ジェイムスがアイリスを見た。

「私も」と言って、アイリスは肩を竦める。「気が動転していたので」

「無理もないわね」ジェーンが微笑んだ。ジェイムスに目を移すと、「何か気付いたことはないの?」と髪を揺らして首を傾げる。

「いや……すぐに通報しようとその場を離れたからな」

「同じく、です。何もわかりませんでした」アイリスは嘘を吐いた。イヤリングについては、あまり広めない方が良いと判断したのである。

「あらら」不満そうにジェーンは唇を尖らせた。「なら、これ以上はもう──」


 休み時間終了の鐘が鳴る。

「次の授業が始まるな。じゃあ、俺たちはこの辺で」とジェイムスは言い、二人は部屋に入っていった。

 アイリスは手を振って別れると、家へ帰ることに決め、大学を出る。何か目新しい情報が入ってきたわけではなかったものの、彼らなりの視点が得られたのは有益だった。

 自室に戻ったら、考えをまとめよう、とアイリスは予定する。


 家は大学の近くだった。徒歩圏内である。これは、父が通勤するのに近い方が良いから、という理由だった。母は特に何の意見も持ち合わせていないらしい。これといった不満もないからなのだろう。

 家に戻ると、母が出迎えた。父はまだ、大学の研究室にこもっているようだ。彼が帰ってくるまでに、擬似精神仮説を練っておこうと考えた。ノートを広げ、唸っている間に、時は過ぎていく。

 父が帰宅した音が、玄関先から聞こえてきた。

 アイリスは出迎えると、早速、資料を手渡す。彼は興味深げにこちらを一瞥すると、紙束を受け取り、読み込んだ。


「これは? ほう、ほうほう……」

 目を細めながら、字を網膜に焼き付けているのがわかる。紙を捲りながら、歩き出した。向かった先は、彼の部屋。椅子に座り込み、机に向かう。父は何事かを呟きながら、一度目を瞑り、うんうん頷き、アイリスに顔を向けた。

「擬似精神仮説か、面白い考えだ」父はにっこりと笑う。「良く思いついたものだね」

「本当に?」

「ああ。だが、残念ながら、先を越されたな」

「え?」アイリスは目を丸くする。

「多少、ディティールは異なっているけれどね。先日、友人からも同じ話を聞いたんだ。彼は既に、論文を提出したと言うよ」

「そんなあ……」アイリスはがっくりと肩を下げた。

「はっはっは。でもこれは──この、肉体には安全装置があるかもしれない、というのは良い指摘だね。自分でここに気が付けるのは大したものだよ」

「ありがとう、お父様」

「こちらこそ。良いものを読んだ」


 アイリスは部屋を出ると、先を越された、という事実に残念な気分を一瞬だけ感じた。が、それはさほど重要なことではない。悲しみもまた、一瞬で消え去った。

 発見した、という事実。父が言うように、偉大だと思える発見を自分がしたこと。それこそが、嬉しいことなのだ。

 確かに自分が最初ではなくなった。けれど、似た発想を持つ人物が居るということは、奇妙な心強さを感じさせてくれる。今でこそ、同じ道を辿ってはいるが、途中から道が分かれるかもしれない。もっと言うなら、そもそも道など用意されていないのだ。結果として、行く末に先人がいただけのこと。

 今は、喜ぼう。これでまた、古代文明について知る手掛かりが増えたのだ。

 アイリスは静かに微笑むと、部屋に戻る。


 すべき作業を片付けて、入浴後、夕食にした。寝るまでに時間はあったので、父の書斎から文献を借りて読み込むことにした。二階にある自室を出て、階下に下りる。すると、電話が鳴った。

 何気なく受話器を取ると、相手は知り合い──ジェイムスだった。

「犯人の住処を見つけたかもしれない」どこか、興奮したような声色である。息も切れ切れだった。

「犯人って?」アイリスは何のことだか見当が付かず、そう訊ねる。

「切り裂きジャックだよ。ほら、犯人は医者かもしれないって言っていただろう? それで、探してみたんだ……今から、行ってみよう」

「今から?」アイリスは時計を見た。「もう、二十時よ」

 寒いだろうな、と頭の片隅で考える。

「でも、気になるだろう?」


 そう言われると、好奇心が疼き出してしまう。少し考えて、結局、その手に乗ることにした。

 自室に戻ると、着替えて、外套を羽織る。水晶の指輪を持っていくべきか迷い、ポケットに入れた。窓を開けると、冷たい空気が入る。寒さに身震いすると、倉庫から取り出したロープを柵に結んだ。

 ロープを下に落とす。

 これを掴んで、窓から身を乗り出した。部屋に戻る際にも、このロープを伝って登れば良い。

 地面に着地する。幸いにも、あまり足音は立たなかった。両親は気付いていない様子である。

 調査は一瞬で済むだろうと想定していた。すぐに言って、戻ってくれば何も問題ない、と。

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