第32話 懐かしき過去への切符 同日十時十二分
モートン神父は俯いて、前の座席を見据える。
「昔からこの国には水晶がありました。それはそれは、かなり古くからのことです。古代遺跡から発掘された水晶には特別な力があり、使用者には莫大な恩恵が与えられました。それ故に国宝と定められ、また信仰の対象として崇められるようになったのです」
ここまでは、絵本でも語られるような内容だ、とミレアは思っていた。
モートンは続ける。
「しかしある時、時の権力者がこの力を使って支配を目論んだと言います。内容は定かではありませんが、これは阻止されました。ですが、代わりに大きな膿を残していったのです。
それを、我々は原罪と呼んでいます。試練とも。彼女は我々を呪い、約束の日に罰を与えると予告したのです。曰く、この世に地獄を顕現させると。以来、対抗する術を勝ち得るために、水晶が必要となりました。水晶だけが、この呪いに打ち勝てるからです。
このため、王家も教会も、この力を巡って水面下で争いました。特に、水晶髑髏を狙って……」
「そんな話が……?」
まるで陰謀史観ではないか。ミレアは疑わしく思う。
水晶の力と言われて、信じる人間など居るだろうか。確かにこの国は謎と解明がよく似合っている。けれどその正体があまりに非現実過ぎ、特に宗教的に過ぎると感じられた。
「これは、水晶教に携わる者に必ず伝えられる話です。疑って当然ですね。何せ、貴方は科学者ですから。勿論、私も宗教者であると同時に、科学者の端くれです。〝神を試してはならない。ただし、疑わぬ者は真の理解を得ず〟──」
「聖書からの引用ですか?」
ミレアの知らない一節だったので、思い切って訊ねた。
「いえ、たった今考えました」にっこりとして彼は言う。「この話は教訓を得るための寓話だとは、どうしても思えない。私はそう感じていた末に、指輪に辿り着いたんです」
と、モートン神父は指輪を摘んでみせた。
ミレアの持つ、父の形見と同じ形状と材質である。取り間違えてしまってもおかしくないほどに、見た目は同じだった。
「アンダーソンさん。貴方も、これとよく似た水晶の指輪をお持ちですね?」
訊かれ、ミレアは驚いた。何故それを知っているのだろう? ポケットの外から手を触れた。指輪は確かにそこにある。
「失礼ですが、どうしてそれを?」
モートン神父は白い息を吐くと、
「貴方が持っていることは、既に知っていました。過去に貴方から教えてもらったからです。問題なのは、そう……それを貴方が忘れてしまっていた、ということです」
「忘れてしまっていた……?」
「ええ」モートン神父は真剣な表情だった。少なくとも、ジョークの類ではない。「本当に何も覚えていませんか?」
ミレアは肩を竦めて応じた。
そうですか、とモートンは頷く。もう一度、今度は思い悩むように息を吐くと、
「もしかしたら……貴方はこのまま忘れたままの方が良いのかもしれない。思い出したら、王家の者に目を付けられてしまうかもしれませんからね」
「え?」
驚きのあまり声を出した。
何故ここで王家という言葉が出てくる? ミレアはただの考古学者だ。彼らに目を付けられる理由がない。
「えっと……どう言うことでしょう?」と説明を求める。
「貴方は何も知らない方が良い」
モートン神父は口を上げて見せる。しかし、目は笑っていない。それが不気味に思われて、些か怖くなった。
「出来るなら、この件から離れた方が宜しい。一体、どこで水晶髑髏など知ったのか──」そこで神父は、はたと虚空を凝視する。「もしかして、王家から? まさか貴方は既に──」
それからレオナルドが出て行った辺りを一瞥する。
ミレアはいいえ、と笑って首を振った。
「王家がどう関係しているのか、私にはわかりません。ただ噂を耳にしましてね。これはほんの好奇心からです。それが科学者の心得というものでしょう?」
モートン神父の顔が苦々しいものに変わる。彼はきっと、ミレアが王家から何らかの干渉を受けたのだろうと考えているのに違いない。もしかすると、噂を耳にしたと言い訳したのは拙かっただろうか。
この雄弁な表情からは、それと推察される。
神父は顔を両手で覆い、大袈裟に唸った。それからややあってから、片方だけ手を下ろす。
「一つ、貴方の意思を確かめたい」
「何です?」ミレアは首を傾げた。
「貴方は、……貴方の身に起きたことを知りたいと思いますか?」
妙な質問だ。
唐突に好奇心が芽生え始める。
「ええ、気になりますわ」
「……指輪を嵌めて頂ければ、全て思い出せるはずです」モートン神父は息を吸った。「指輪は前の持ち主の記憶を見せてくれることがありますが、今回ばかりは違います。私がそうだったように、貴方にも封印された過去がある。確実に思い出せるはずでしょう。何者かによって消された記憶が、その指輪には残されているはずですから……」
ミレアの困惑を他所に、神父は矢継ぎ早に捲し立てる。
「もう貴方は運命に囚われてしまった。もう私から出来ることはありません。受け入れることを促すのみです。さあ、どうぞ──身につけてください」
大仰な物言いに従い、ポケットから指輪を取り出して、人差し指に入れる。
どくん、と心臓が脈打った。
頭が揺さぶられたような感覚。
唐突に寒さが消えた。
肌から気温を感じ取る感覚が消えたのだ。
代わりに、自在に調整することができる。
これは能力だ。
それを一瞬で理解する。
ミレアはずっと目を開けていた。それだというのに、今や目の前は何も見えていない。頭の中では明瞭なイメージの濁流が支配していたのだ。それは五年前の一八九〇年の十二月──
そこは霧がかった道。若かりし頃の自分。
そして、恐ろしい夜のこと。
ミレアは前世を思い出した。アイリス・アンダーソン──それがかつての自分の名前であることを。
当時騒がせていた連続殺人の現場に、アイリス・アンダーソンは偶然にも居合わせてしまったのだった、ということを。




