第30話 盗まれた水晶 一八九〇年十二月五日 十一時
ミレア・アンダーソンは自分の身に起きたことを理解しようとしていた。自分は大学に向かっていたはずだった。教授の助手として、古代文明があったとされる遺跡から発掘された数々の品を、調査するつもりだったのだ。
だが、ここは……。
煌びやかな照明が、太陽のような鋭い眼差しをミレアに送る。俯いてみれば、真紅の絨毯が床に敷き詰められている。周囲には見知らぬ男たち。皆、武装していた。彼らはミレアに注目している。
視線はもう一つあった。眼前に座すのは、国民ならば誰もが知っている人物。ヴィクトリカ女王陛下その人である。彼女は、その大きな瞳を瞬かせて、こちらを見つめていた。
そんなに見つめられても困る、とミレアは内心戸惑う。
「ご機嫌は如何ですか、ミレア・アンダーソンさん」
訊かれ、ミレアは緊張した。膝を曲げてお辞儀する。それでも頭が高かっただろうか?
「お目にかかれて光栄です」口の中が急速に乾く。
あまり外交は好きではない。特に、こうした政治的な向きのある事柄は。自分はこの場に圧倒されている、と自覚する。豪華絢爛という言葉がこの場に当てはまりそうだ。自分はもっと、暗くじめじめした場所の方が合っているのではないか、などと思う。
ミレアはいつの間に、何故、ここに居るのか分からない。それに、どうして陛下が居られるのか?
「戸惑ってらっしゃるようね」陛下はくすっと笑う。「無理もありませんね。無理を言って、貴方に来てもらいましたから」
「は、はあ」呼ばれた覚えも、自分でここまで来た覚えもない。自然、返事も虚ろなものとなった。
記憶が飛んでいるのだろうか。どうも継ぎ接ぎだ。無意識のうちにポケットの中の指輪に触れる。これは父、トーマス・アンダーソンの形見だった。受け取って以来、肌身離さず持ち歩いている。
「貴方に、お願いしたいことがあります」女王陛下は言った。「あるものを取り返して来て欲しいのです」
「あるものというのは?」
「水晶髑髏」
水晶髑髏と呟いて、ミレアは唾を飲む。
「王室にあったものが盗まれたのです。貴方にこれを取り戻して欲しい、と考えています」
女王陛下は更に説明を加えた。
水晶髑髏は文字通り、水晶でできた人間の頭部だという。どうやって作られたのか、その作成方法は再現できず、大変貴重なものなのだとか。見た目ばかりではなく、サイズも人間のものと同等。従って、それなりの重量だろうという話だった。
誰がそんな大きくて重たいものを持ち運んだのだろう。きっと、単独犯ではないはずだ。王室に侵入し、盗むなど、普通なら不可能だろう。
「協力者も用意しています」女王陛下は微笑した。「入りなさい」
彼女の一声で、扉が開けられた。通路の奥は黒く暗く、男が一人立っている。彼は室内に入ると、陛下の前で傅いた。年齢は若そうに見える。もしかしたら、自分と近いのではないか、とミレアは認識した。
「レオナルド・ウィンストン──彼は、優秀な護衛官です。情報収集も、貴方の護衛も、立派に務め上げるでしょう」
「あの……」たまらずミレアは手を挙げる。発言を許可されて、息を吐くと、「とても光栄なことだと思います。ただ、その──どうして、私なのでしょう?」一番に知りたかったことを訊いた。「私以外に、適任者が居るのではないでしょうか」
「そのことでしたか。それは、水晶髑髏を今保有している人物に関係しています」女王陛下は口許だけ笑ってみせる。「ヘンリー・モートン神父。貴方もご存知のはずです。彼は、教会地区で司祭として活動する傍ら、大学で教授として教鞭しているのですから」
彼のことはある程度知っている。専門が近いからだ。ただし、そこまでの接点はない。互いに顔くらいならば知っている。それほどの関係性だ。そう告げたが、女王陛下はじっとこちらを見据えるばかり。少々気まずくなって、ミレアはレオナルドを見た。彼はこちらを向かない。諦めて、陛下を見つめ返す。
ヴィクトリカ女王陛下は、ふっと表情を和らげた。瞬間、張り詰めた空気が緩んだような錯覚が、ミレアの中に生まれる。
「ミレア・アンダーソンさん」
声を掛けられて、ミレアは硬直した。
「そう、緊張なさらないでください。物事には、大いなる流れが存在しています。意思や行動では抗えない事柄です。いわば、これは運命。私が貴方を選んだのではなく、運命が貴方を選んだのですよ」
ミレアは困惑した。「えっと……」
「いずれ私の言った意味がわかります。そうですね……三つ、予言して差し上げましょう。貴方は、過去を取り戻す。そして先の未来において、神父の死を目撃するでしょう。結果として、貴方は私の願いを聞き届けるのです」
やはり、意味がわからない。自分は何を期待されているのか。ずっと、頭痛がするほど混乱していた。話は以上だと女王陛下は言う。言われるがまま、部屋を退室し、ミレアはレオナルドと二人になった。
「何が何だか……」
思わずそう呟く。レオナルドと目が合ったので、ミレアは肩をすくめた。
「……取り敢えず、私はどうしたら良いでしょう?」
「この先に資料室があります。そこで、一度情報をまとめましょう。ご案内致します」
彼の提案に、ミレアは頷いた。何より、まずは現状を把握したいと思っていた。レオナルドはにっこりと笑うと、静かに歩き出す。絨毯が音を消すのか、足音がなかった。
ミレアは天を仰ぐ。
レオナルドが、こちらを確認して振り返った。ミレアは慌てて駆け寄ると、一度考えることをやめる。今は流れに身を任せることにした。
資料室は、ミレアにとっても馴染み深い空間だった。棚と本、資料で埋め尽くされた情報の山。何より、質素で無駄なものが何もない。埃一つとしてなく、掃除が行き届いているのも好印象だった。
レオナルドが真ん中のスペースに置かれた机の前に立つ。ミレアは彼の対面に立った。向かい合うと、レオナルドは三枚の紙を机に置く。それぞれ鉛筆で書かれた、モートンのラフな肖像画、研究室の間取り、神父の自宅の間取り図が示されていた。
「陛下は随分と貴方のことがお気に入りのようです」レオナルドが言う。「特に、壁画に関する論文は高く評価していらっしゃいます」
確かに、壁画に関することで、ミレアは論文を一つ著している。
「いずれにせよ、貴方が聡明であると感じたからこそ、貴方は選ばれたのではないでしょうか」彼は一息に言うと、「我々は、ヘンリー・モートンから水晶髑髏を入手します。ただ、彼はどこにそれを保存しているのか、こちらに悟られないよう隠しているようです。貴方は、その隠し場所を探ってください」
「どうやって?」ミレアは口を歪ませた。
「それとなく聞き出してはどうでしょう」
「疑われずに?」
「ええ」
「簡単に言ってくれますね」
「期待していますよ」
先が思いやられるな、とミレアは思う。大丈夫だろうか、と次第に心配になってきた。




