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ANDERSON  作者: 八田部壱乃介
Chapter2
25/40

第25話 HeartBreak 同日 十七時十分

 バーの扉が開かれた。外は寒く、暗い。そのため、そこに立つ人物の顔が良く見えた。ハワード少佐はウィリアムを肩に担ぎ、のそのそと階段を降りる。ルーパスとジェイクの存在を認めると、彼は口角を持ち上げ、

「遅れて悪いな」

「誰も待ってないが」とジェイク。

「主役は遅れてやってくるものですから」とルーパス。

「この場合、私と彼、どちらが主役だろうか」少佐は誰にともなく訊いた。

「何にしますか?」バーテンダーが訊ねる。

「疎外されたこの哀れな遅刻者にスコッチのソーダ割りを」少佐は注文した。彼はウィリアムをソファに座らせ、自身はカウンター席にどっかと腰掛ける。「部下というのは、いつでも上司の陰口で盛り上がるものだな」


「おっと、聞かれていましたか」ルーパスが惚けた顔を作った。

「俺はもう、部下じゃない」ジェイクの言葉に、

「いつでも帰って来い、ギルバート。我々は歓迎する。もちろん、感応する一つの個体としても、軍人としても、だ。何より人手は多いに越したことはない」

「なら、俺はまだ俺のままで居させて貰いますよ」

「ふむ……」少佐はバーテンダーからグラスを受け取り、礼を述べてから、一口飲んだ。「ならばこうしよう。君たちと我々で、処遇を賭けるんだ」

「は……?」

 正気ではない。ジェイクは隣の男を睨む。

「もし、君らが勝てば自由にすると良い。私は見逃すことにしよう。ただし我々が勝てば、君も水晶を吸ってもらう」

「ウィリアムの同意なしには了承出来ませんね」

「この会話は、我々と感応したアンダーソンも聞いている。受け入れるかどうかについて、あとは、彼の肉体が目覚めるのを待つだけだ」


 ハワード少佐は首を振り、グラスに視線を留めると、

「私がわざわざ広報し、営業するまでもなく、君は軍曹ルーパスから我々『目と指』の話を聞いたはずだ。どうだ? 恐ろしいものではかっただろう。それどころか、自分という言葉の持つ意味の範囲が拡張される。これは魅力的だとは思わないかな? 私はそう思っている。だからこそ、わざわざ自ら疎外されてでも指輪を嵌めて、更なる勧誘に努めているわけだが」

「今は、まだ。……遠慮しておきますよ」

「ふふふ……やはり、明確に断る理由もないな。それはそこの画家も同じだ。我々と統一されたところで、世界を見れば、まだ統合されていない人間の方が多い。つまり鑑賞者は星の数ほど居る」

「問題は、彼は自分事ではなく、他人の立場で、我々のことを観察したいということなのではないでしょうか」ルーパスが口を挟んだ。「つまり、我々はまだ素材モチーフの段階なんです」

「そう言えば、彼は私の意識にも入り込もうとしていたな。成る程、確かにありそうなことだ。断る理由は二つあるということか」

 ハワード少佐は神妙に頷く。手に持ったグラスを机に置いた。音を聞いて、ジェイクは隣の少佐を見る。

「そう言えば、アンタは──やけに沢山の指輪を持っていますが、それはどこから手に入れたんですか?」

「地下遺跡だ。君らが脱走した夜に、部隊を投入した。もちろん、ルーパス軍曹もだ。閉鎖区域へは入れなかったが、見返りは大きかった」

「大量の指輪、か。アンタはてっきり自分に従順な部下を作るために水晶を吸わせていたもんだと思っていましたよ」

「らしいな」

「だが、実際はそうじゃない……。気になるのは、アンタはいつ、水晶のことを知ったのか、ってことです。いつから感応仲間を増やそうと?」ジェイクは指輪に触れながら質問する。

「あれは偶然だった」少佐は目を細め、「隣国の人間が境界を破って遺跡の内部に入り込もうとしていたのを、始末することがあった。彼らは盗掘グループでな、指輪を地上に持っていこうとしていた」


 弾丸が飛び交い、出血し、多くの盗人が倒れていく。その拍子に指輪が砕け、その任務に関わっていた者たちが、水晶を吸った。その中にはハワードも居た。

 水晶が人々を感応させることを知ったのは、その頃だったと言う。指輪に力があると理解したのも、それからすぐのことだった。

 やがてハワードはこれを利用した一種の理想郷が作れるのではないか、という考えに囚われた。誰もが利己的であることを許される環境。誰もが相手を自分だと思うからこそ、成立する概念だ。

 汝は我であり、我は汝なのである。

 これは一つの幸福の形として、最良なのではないかとハワードは思うようになった。だが、後になって盗掘グループの人物像を調べて、とあることが判明した。彼らはそもそも戸籍のない、存在するはずのない人間たちだったのである。

 他国の人間ではない。侵入経路を検めると、どう考えてもロンダニア市国の住人だった。では、彼らは何者だったのだろう。スラム出身者か。違法に産み育てられた隠し子か。

 或いは──ハワード少佐は、ふと陰謀めいた考えが頭を過ぎる。


「この思想は誰かによって植え付けられたものなのではないか、とな」少佐はジェイクを見た。「調査の結果、彼らは皆孤児院出身だった」

「孤児院……」ジェイクが繰り返す。

 少佐は首を振り、「聖グラッシア孤児院だ」

 唾を飲み込んだ。どういうことなのか、頭が混乱して、理解を拒んでいる。

「聖グラッシア孤児院は、国が運営している。それが何を意味するかわかるか?」推し黙ったまま、ジェイクが何も言わないと見て取ると、ハワードは口を開いた。「国が軍をコントロールしようとしているのではないか、ということさ。つまり、軍部を水晶漬けにし、一個人に仕立て上げようとしたのではないか。流石に考え過ぎだとは思ったがね。我ながら興味深いと思ったのも事実だった。それに水晶を軍事利用するのは大いにアリだとも感じた。だから私は、乗ることにしたんだ」


 ◯


 意識の海の中を歩いている。多くの者は統合されて、液体に混じり、波そのものと化していた。だがウィリアムだけは、さながら氷のように固体化し、混じることなく存在する。

 自分の肉体は眠ったまま目覚めない。仕方なく、ルーパスの頭に宿り、彼らの会話に耳を傾けていた。そのうち、細波が起こり、意識に偏りが生まれる。何だろうかと注目すれば、他者の精神が、自分の体内に入り込もうとしていた。

 目覚めつつあるのか、とウィリアムは自覚することなく理解する。感覚ではなく、観察によって得られたことだった。もはや、自分の体は自分のもののように思っていない。

 愛着が薄れつつあった。

 成る程、エドワード・ゴーシュの言う通り。体を使い捨てにすることになる、という指摘は非常に鋭い。ウィリアムにとっても、彼の言葉は選択肢として非常にあり得ることだと思ったからだ。


 もはや、体にアイデンティティはない。

 では自分は何者か?

 いや、そうではない。

 何者かである必要はあるか?

 考えてみて、一つの結論を得た。

「僕はまだ、僕をやり切ってはいない」

 この体を限界まで使ってから、捨てるのは──死ぬのは、その後にしよう。

 瞼を開くと、三人がこちらを見ていた。目が慣れていない。ウィリアムは部屋が薄暗いことに感謝した。次第に顔が殴られたことを思い出すほどの痛みを覚え、涙が滲み出る。

 それとも、自分というものがもう一度生まれた苦しみがもたらしたのだろうか。

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