第21話 紙面上の独立宣言 同日十六時十五分
エドワード・ゴーシュは真剣な顔で、ウィリアムを見ていた。その射抜くように鋭い眼差しには、一体どのような感情から来るのか、とても興味が湧く。
「水晶は原初の生命だった。そこから数多の生き物が生まれたんだ……人間も含めて。水晶には意思があり、意識がある。人間の意思や自我はこれに影響されている」
彼はすらすらと、聖書を暗唱するように言う。
「成る程」内容ほ理解した。「自我や意識も借り物だと言いたいのですね」
「そうだ」
「でも、それが何だと言うのでしょう?」
エドワードは躊躇いがちに息を吸い、
「それから、とある出来事によって、人類は一度水晶から独立したことがわかった」
「水晶から独立した? つまり、それまでは水晶と共存していた、ということですか?」
「共存というより、一心同体だったと言うべきだろうとも。赤血球だとかミトコンドリアみたいなものだ。我々は水晶と分離した──体のどこにも水晶を持たない生命として」
「そこから、人類としての歴史が始まったわけですね」
彼は頷き、「水晶にも意思がある。生命だからな……。そこで、だ。君は今、ものを考え、体を動かしている。独立した時、人間にも、この時の名残りとして自我などはあったが、もしもまた水晶を接種した場合、この二つの意識は混ざり合い、場合によっては乗っ取られるかもしれない」
確証はないがね、と老人は付け加えて、
「であれば、この自我や意識は果たして自分の所有物と言えるか? それから、自分でコントロールできていると言えるか?」
「僕の意思は、水晶に取って代わられたかもしれない、ということですか?」
ウィリアムは老人の思い描く予想図を、頭の中ではっきりと見た気がした。
彼の考えを取り入れるならば、ウィリアムにとっての自分は、既に水晶と混ざり合っているのかもしれない。指輪から能力を借りたように、自我や意識もまた、依存している可能性はある。
その根拠は、自分が自分でなくなる瞬間があったこと。母──ミレアであり、水晶を吸引した誰かであった。これに付随して、意識が断絶したことも挙げられるだろう。いつの間にか女王陛下の居る謁見室に居たこと。
これはもしかすると、女王陛下の能力が影響している可能性も考えられたが、今は不定である。
また、エドワードの仮説を取り入れたら、こうも考えられた。つまり、指輪同士で感応するのは、水晶たちが会話をしているようなものだ、ということである。ならば、水晶は使用者の意思と独立して勝手気ままな振る舞いをするわけだ。
何故なら、彼らは生き物だから。
考えて、自由に行動するのならば、ではこの自我はコントロール出来ていると言えるだろうか。この体は、ただ自我意識の影響を受けるだけである。しかし指輪は記憶を記録し、流入させ、混線させるのだ。果たして指輪よりも下位にある自分が、自分であると言える保証はどこにある?
ウィリアムはしかし、自分は楽観的な人間らしい、と自覚した。それとも、これも水晶によるものだろうか。奇妙に客観的に考えてしまうのも、水晶の影響なのだろうか。
「それはもう多分、僕ではないでしょうね。僕と言えるものは、水晶が見せる錯覚と言えるはずです。そうなると、指輪をしていない限り、僕は水晶の自動人形になるわけですから、コントロールも効かないでしょう」
成る程、だから運命という言葉に繋がるのか、とウィリアムは納得した。もはや自分の手に負えるものではないからだ。
「ただ、自分と水晶が同体であるなら、水晶はきっとこの体を守ろうとするはずですよ」
「だから問題ないと?」エドワードは首を振る。「水晶にとって体など替えがきく。君が壊れたなら、別の体に乗り換えれば良い。そうも考えられるはずだ」
「ああ……確かに、水晶は他の水晶と繋がっているわけですからね。水晶にとって、自己保存なんて概念は要らないわけか」ウィリアムは半ば独り言のように話すと、「無意識のうちに、他の全ての水晶と互いに影響し合うのを経験しました。自分が他人になる心地を。そして、自分がもっと大きな流れを形成する歯車になった気分を。僕が、運命という装置の部品の一つなのだと」
ウィリアムは、〝運命と向き合いなさい〟と言った女王陛下の言葉の意味が、ようやくわかったような気がした。
ふと老人から視線を外し、ジェイクとアズの方を見た。彼らは一様に呆けた表情を浮かべている。目が合うと、ジェイクは薄笑いとともに睨んで、
「もっと五歳児にもわかるような会話をしてくれ」と言った。
「アズをどうするつもりだ、と訊きたいんだ」エドワードが答える。「彼女は指輪を身につけていない。だから今、思考の大半を水晶に奪われているようなものだろう」
「うん」とアズが頷いた。「私の中に沢山の人が居る。色んな人が、私と皆を見ている」
「僕としては、まず、彼女に指輪を身につけて貰おうと思っています」ウィリアムはエドワードに提案する。「そこにハワード少佐は居るかい?」ウィリアムは訊いた。
「居る」アズは即答した。
「彼と話がしたい。良いかな……?」
「良いってさ」
「ありがとう」
ウィリアムは指輪をそっと抜き取る。
アズの体から、少佐の意識を探り当て、彼の体へと向かった。少佐はこのホテルの真下にある一室に座っている。鏡の前で、スケッチブックを携えて。
彼の感覚が次第に伝わってくる。視界が広がった。
少佐の手にはスケッチブックがある。彼はそこに、
「君も画家なら、紙を用意したまえ。筆談しよう」と記す。
ウィリアムは鞄を探して、中から鉛筆とスケッチブックを取り出した。紙を捲り、
「応じて頂き、感謝します」と書く。「とても絵が上手ですね」
「線描だけならな。色を塗るのは好かん」一度彼の手が止まり、ややあってから、「用件を言え」
「貴方は、恐らく沢山の指輪を持っているはずです。その一つを頂きたい」
「見返りは何だ?」
「金銭か、または僕の絵ではどうでしょうか」
「駄目だ。他に聞きたいことは?」
ウィリアムは一度指輪のことを諦めて、気分を切り替えた。
「貴方の目的は? 何故、水晶をばら撒いたのですか?」
「短期的な理由としては、即応戦力となる兵士を確保するため。そして、水晶の軍事利用を上官にプレゼンするためだ」
「中長期的な理由があるのですね?」
少佐はペンを置き、鏡に顔を向けた。
「こう、考えたことはあるかね?」
彼は声に出して語りかけてくる。
「もしも全ての人の魂が並列化したら、と。全ての精神は水晶の下に平等となる。不足も不満も他者の体で埋め合わせれば良い。苦痛も悲劇も誰かの感覚によって薄めれば良い。自分というものに囚われているから、心が狭くなる。水晶であれば、全員で心を、体を共有できる。幸福はこうして実現される」
少佐は再度ペンを握ると、こう書いた。
「だから、世界平和のため、というのが答えだ」と。
「面白い」ウィリアムは呟いた。
彼の頭の中に展開された未来図が絵となって見えた感覚がある。ただし、それは誰もが自分というものがない。負の感情が蓄積されないならば、恐らく、解放感や自由といった感情を得ることはないだろう。
喜びも、感情的なものではない。きっと、身体的で即物的な快楽を優先することになる。だから、個人的な感動も薄い。
そんな未来で絵を描いて、果たして何のためになる?
「僕は他者を魅了したい。感動させたい。驚かせたい。怖がらせたい。そうして、喜ばせたい。けれど、貴方の夢では、僕の夢が叶いそうにない」
ウィリアムは率直に、本音を打ち明けた。
「貴方の夢は僕の夢に邪魔だ」とも。
「アッハッハッハ」少佐は快活に笑った。「宜しい。これが君の独立宣言だな。実に惜しい……君は良い戦士だ。兵士ではなかったということだな」
その声色には、本当に残念そうなものがあった。彼はソファから立ち上がり、ピストルを掴む。隣にはケリー大尉とセリアが中尉が待機していた。
ハワード少佐は彼らに頷きかけると、部屋を出ていく。階段まで来ると、迷うことなく上がった。
ウィリアムは繋がりを断ち切るように、強靭な意志で指輪を指にする。それから、ジェイクに向かって叫んだ。
「少佐たちがここに向かってくる!」




