第2話 現実感 十二月三日 〇八時半
ウィリアムは自宅のベッドで目を覚ますと、圧倒的な現実感が全身に行き渡り、緩やかに昨夜のことを思い出した。一眠りしたお陰で、昨日ほどの混乱は収まっている。あるのはただ、虚脱感のみ。
昨晩はあれから、警察に事情聴取を受けた。一体何があったのか、事実を整理するためでもあるだろう。一度声に出してまとめることは、ウィリアムにとっても有意だった。
この事件を担当することになったのは、イダルタという名の刑事で、年齢は三十代半ば。グレー混じりの髪に、広い肩幅が特徴的に思えた。彼はメモ帳を取り出して、幾つかの質問の後、犯人像をこのようにまとめた。
「その何者かは何かを求めてミレア・アンダーソンのお宅へ侵入したと。金庫などは溶かされて、開けられていたが……金目のものは盗まれていないからな、少なくとも誰の家でも良かったわけじゃあないようだ。明確な目的物があった。ならば、犯人は被害者と知り合いである可能性が高いだろう」
ウィリアムは頷き、同意を示す。イダルタ刑事は続けて、
「もしかしたら、貴方の元に届けられる荷物──それが犯人の探しているものかもしれない。警護を一人付けますから、貴方は一度自宅に戻って荷物を確かめてください」
そう指示されて、ウィリアムはまたバルパと名乗る別の刑事と共に自宅に帰された。今度は、パトカーに乗せてもらってのことだ。自分はベッドで朝を迎えたが、刑事はパトカーで夜を明かしたらしい。酷く寒いことだろうと思い、目覚めてすぐに中へ招き、今ウィリアムは紅茶を淹れている。
紅茶を差し出すと、刑事は嬉しそうに微笑む。
「それで、母の胸元の傷なんですが」とウィリアムは話を切り出して、「あれって、銃で撃たれたのでしょうか?」
バルパ刑事はカップを置き、考え込むように目を細めた。もしかすると、自分に話すべきか否かを見極めようとしているのかもしれない。少しして、彼は首を横に振ると、
「恐らく違うでしょうね。あれは銃弾によってできたものではありません。書斎のどこにも弾痕は見つかりませんでしたし、体内に弾が残っているわけでもありませんでしたからね」刑事は続けて、「凶器が何だったのかは、後から分かることでしょう」
そうであって欲しいと、ウィリアムは静かに首肯した。
荷物が届いたのは、それから間も無くのこと。
配達員が玄関戸をノックしたのが窓越しに見えたので、ウィリアムはバルパ刑事と目を見合わせた。母からの贈り物は、小さな封筒がひとつ。それのみだった。
中身は水晶でできた指輪と、便箋が一枚。
「これが、犯人の求めた物なんでしょうか」ウィリアムは半ば独り言のように、問いかけた。
刑事は指輪を一目見て、「水晶か」と呟く。
「水晶と言えば、水晶教が定める国宝ですから──金銭的なものとは別に、宗教的な意味において価値はあったかもしれません」
ここロンダニア市国では、水晶教が一般的だ。水晶教とはその名の通り、水晶を神に準ずるもの、または同一のものとして崇めている。その由来について、ウィリアムは明るくない。あまり宗教の勉強をしてこなかったのである。それよりも芸術──絵画や画家といった方向に興味が向かっていたのだ。
ウィリアムは手元に目を戻す。
指輪には宝石が嵌め込まれていない。その代わりに、それそのものが水晶で出来ていた。確かにこの純粋に水晶のみで作り上げられた代物は、宗教の分野において価値を見出せそうではある。
ただし、母は考古学者でもあった。
「もしくは、考古学の分野においても、この遺物には価値があったのかも」ウィリアムは指輪を持ち上げて、言った。
「ふーむ」バルパ刑事は相槌を打って紅茶を啜る。「それで、便箋には何と書いてありますか? ぜひ読んでください」
「ええ」
折り畳まれた便箋を広げて、ウィリアムは文章に目を通した。
「ウィルへ。
私の身に何かが起きても良いように、これを貴方に預けます。絶対に無くさないで。盗まれないように、気をつけて。何があったのか、詳しくはここに書くことは出来ないの。理由なら、指輪を嵌めてみればすぐに分かるはずだから。これを読んだら、便箋はすぐに処分して。誰の目にも入らないように。
貴方を愛する母より」
読み上げて、ウィリアムとバルパ刑事は困惑を共有した。
「とにかく、この指輪が絡んでいるかもしれないことは分かりました。ちょっと、お電話借りますよ」
刑事はそう言って立ち上がっていく。
ウィリアムは薄れたとばかり思っていた混乱に再度襲われて、頭が痛くなった。
「理由なら、指輪を嵌めてみればわかる……」
意味もわからないまま呟く。まさか、字義通りということはないだろう。何か、比喩表現ではないか。そう思いつつ、素直な解釈をして、左手人差し指に指輪を嵌めてみた。
瞬間、
雷に直撃したような衝撃が体中を駆け巡った。
景色に思い切り傾く。天井が目の前に広がった。テーブルの裏側が見える。
「どうしたんですか! 大丈夫ですか!」
通路から、慌ただしく刑事が駆け寄ってきた。そのまま彼は何事か話していたようだが、声が小さいのか、何も聞こえない。視界が薄ぼんやりとする。
真っ白に染まっていく。
「女王陛下」声がした。
「地獄が起こる」誰のものかはわからない。
「全ては予言の下に」
「これが運命」
「ウィリアム」
母の声がした。
「もしも全てが運命だったなら、どう向き合うべきか、考えなくてはならないわ」と。
「ぐっ」と呻いて、歯を食いしばると、ウィリアムはベッドから起き上がった。
そこは病院の一室のようだ。看護師がウィリアムに気付き、部屋を出ていく。後から、医者が現れ、飲み水を脇のテーブルに置くと、具合のほどを訊ねられた。ウィリアムは上の空できっと大丈夫だろう、と答える。
「疲れが出たんでしょう。もう退院なさって大丈夫ですからね。お大事に」
そう言って、医者も退出した。代わりに、今度はイダルタ刑事が入ってくる。入れ替わりが激しいな、とウィリアムは心の遠いところで感想を抱いた。
「大丈夫ですか」と訊かれ、ウィリアムはええ、と返事する。
「どうしたんでしょうね」とウィリアムは頭を掻いた。
理由なら理解している。間違いなく指輪が原因だった。この遺物は、確かに本物なのである。ウィリアムはそれを、身を持って知った。
これは、ただの指輪ではない。
肉体の感覚──その一部分をコントロールできる。ウィリアムは今、それを確かめているところだった。体温を操作する。息も凍えるほどに体温を下げてから、テーブルの飲み水を手にした。すると徐々に水は固まっていき、亀裂が入っていく。
見事に凍ったのを確かめてから、今度は血が沸騰するほど体温を上げた。すると氷はたちまち液体化し、湯気が立ち上る。
温度を調節して、少し冷ましてから一口だけ啜ってみると、ぬるま湯だった。
寝起きには丁度良い。
「非常に言いにくいことなんだが……アンダーソンさん」
口籠もり、イダルタ刑事は先を続けないので、どうしたのだろうとウィリアムは不思議になった。刑事はそれから、何かに対して抵抗する様子を見せたが、やがて諦めたように溜息を吐くと、
「捜査が打ち切りになった」彼は不満を上手く誤魔化すことも出来ずに、不器用に言う。
「えっと……それは、何故でしょうか」ウィリアムは訊いた。
「理由は、我々にも伝えられていない。ただ、上層部からの圧力がかかった。それだけだ……すまない」
イダルタ刑事は悔しそうに頭を下げた。
「運命」とウィリアム。
「え?」イダルタ刑事は呆気に取られた様子で顔を上げる。
ウィリアムは何でもないと首を振り、鼻息を漏らした。この件について、理不尽だ何だと感情的になることはなかった。むしろ、そうなって当たり前だろうな、という考え、価値観が芽生え始めてもいた。
「恐らく、母の死は、ありふれた殺人などではなかったのでしょう。……僕には、そんな気がするんです」ウィリアムは考え考え言葉を選びながら、「つまるところ、単独犯なんかじゃなく、組織だったもの。それも、警察さえ封じ込むような、何か」
ウィリアムの言葉に刑事は真意を見抜こうとするように、目を細めた。
「君が眠っている間に、聴き込みをしたんだ」
「初動が大事だって、聞きますからね」ウィリアムは相槌を打つ。
「目撃者が居たよ。向かいの住む老婆だ。彼女、しっかりと見ていたようだな。〝女性の悲鳴が聞こえた後、神父姿の男が正面玄関から出てきた〟と」
「神父……」
「そう。これは、教会が絡んでいるかもしれない。俺はそう見ている。俺はまだ、諦めるつもりはない」イダルタ刑事はそう締め括ると、「……ああそれから、後で遺体を引き取りにロンダニア警視庁へ行ってくれ」
そう言い残して部屋を出て行った。




