第17話 SET-UP 同日 十二時十分
アズ・ゴーシュは孤独だった。
生まれて間も無く両親は亡くなり、祖父一人に育てられた彼女にとって、家族と言えるのは彼だけなのだから。愛されているという自覚はある。だが多くの者が経験するような、家族の形には恵まれていない。自分にはない、という不足感が飢えとなって苛んでいた。
それに何より、祖父はもう働ける体ではなく、貧しいということが大きい。そんな彼女は、教会地区で生まれ、育ち、学校にも通わせて貰えたが、普通というものに共感できず、馴染めなかった。
何が普通なのか、どう振る舞うべきか、理解した上で反発心に屈したのである。否、周囲にとってはまた別の解釈をしていただろう。アズの貧しい身なりを馬鹿にしていたのだ。
そうした断絶感が、アズの中に、自分の居場所はここではない──そんな奇妙な確信を芽生えさせた。
教会地区は、その名の通り水晶教の中心地である。このため、どこを歩いていても教会やら神父やらが目に入った。だが不思議なのは、教会地区の治安は良くないということ。ここには、スラムがあったのだ。
この地では子供たちが捨てられる。多くの場合、まだ自我の薄い赤ん坊の頃に。もしかすると、アズ自身もそうなのではないか、と疑ったこともある。捨てられていたところを、祖父、エドワード・ゴーシュに拾われたのではないか、と。
一度だけ、この疑念が原因となって喧嘩になったことがある。どんな経緯だったのか、今となっては定かではない。アズは問いをぶつけた瞬間の、祖父の悲しい顔が忘れられずにいた。
彼はまず悲しみ、それから怒り、冷静になって一枚の写真を見せた。そこには、赤ん坊を抱く二人の若い男女と、その横に立つエドワードの姿がある。
これが自分の両親なのか、と幼心にアズは思った。どこにでも居そうな二人の顔が、特別だったのだということを思い知った。
けれど、飢えを満たすまでには至らなかった。
十三歳となり、この飢えが寂しさから来るものとわかり、スラムの子ども達と接触するようになった──彼らならば、自分の境遇を理解してくれるのではないかと期待して。
スラムの子ども達には絆があった。彼らには彼らなりの正義があり、規則があり、身内への愛があった。だからこそ、余所者であるアズに対しては、冷たい態度で跳ね返していた。
ここにも居場所はないのだ、とアズは諦めていた。ここまで来たら、彼女にとって外界との繋がりは、お金しか存在しない、と思うようになっていた。物と金は、人を経由して流通する。その摩擦の中でこそ、出会いがあるだろうと期待し、求めていた。
この頃から、彼女にはお金に対する独特の思想が生まれていた。
ある時、アズの孤独な目に気付いた少女が居た。彼女はスラムに属する一人だった。この少女はアズに話しかけ、やがて打ち解け合い、友情を芽生えさせていた。初めて、人と心を触れ合った瞬間に、飢えは満たされていた。
その頃から、アズはスラムに入り浸るようになり、友人である彼女から、幾つかの技術を学んだ。スリのための手法。逃げ回る際の歩き方。また、獲物の見分け方など──ある種、実践的な知識だった。
学校では問題を起こして中退──しかし、自分には仲間が居るから大丈夫、本当の居場所はここではなかったのだ──と、アズはたかを括っていた。
そして十八歳に成長したアズは、この日、二人の獲物を見つけたのである。
一人は細身の青年。彼の肌は不健康に白く、あまり外出しないタイプなのだろうと推察された。身なりは良いが、手荷物は少なく、盗んだところでバレてしまうのはすぐだろうと思われる。
もう一方の男は、筋肉質で、歩き方が普通ではない。姿勢や足運びからして、軍人だろうと見てとれた。が、さほど優れているようには見えない。恐らく、新兵だろう。恐るるには足らない。何より、指輪を身につけていたのが見えた。
これは高く売れそうだ、とアズは舌舐めずりする。
金はスラムの仲間達と分け合うつもりだった。
計画を立て、実行する。
彼らがどんな関係なのかは知らない。指輪をどこで手に入れたのかも知るところではなかった。駅で問題を起こしていたが、それも好都合。群衆に紛れて男にぶつかり、この衝撃を利用して指輪を掠め取る。
万事順調だ。
後は流れのままに流されていき、獲物から遠ざかる。出来るだけ目に映らないように──と言いつつ、水晶で出来ている物珍しさから、すぐに確認したくなった。そんな折に、盗みが発覚して、追われ、逃げ回っていたところ、ふと意識が断絶した。
目を瞬かせると、道の手前にいた筈が、奥に立っている。おかしい、と思いつつ懐を弄ると、指輪が綺麗さっぱり消えていた。
呪いにでもかけられたようだ、とアズは呆然とした。どこかで落としたのか? 地面を探して回ったが、何も見つからない。もっと言えば、時間が一分ほど過ぎていた。ぼうっとしていたのかもしれない。瑣末なことだ。そう思えるのだが、何かが引っ掛かる。
何より、追いかけてきていたはずの二人の姿が、いつの間にか無くなっていた。知らぬ間にスられていたのか……いや、まさか自分に限ってはあり得ない。しかし、それ以外に考えられることはあるだろうか?
混乱するままに、十分ほどほっつき歩いていると、先ほどの獲物二人組が、孤児院から出てくるのが見えた。彼らは二手に分かれ、一人は駅に向かっていく。物陰から様子を見守ると、身なりの良い青年の方を狙うことに決めた。
身のこなし、歩き方などから、服のどこに何があるのかをある程度分析する。その後、後を追いながら、頭の中でシミュレート。顔は割れているだろうか、などの注意点を洗い出し、結局は、当たって砕けろの精神で立ち向かうことに決めた。
追い抜きざまにポケットの外から撫でるように、中身を持ち上げる。するすると滑らかにそれは出てきた。水晶の指輪だ! やはり、奪い返されていたらしい。
アズは指先を使った早業で、相手の視界から指輪を消してみせた。まさか、盗んだとは思わないだろう。
しめしめと思いながら、アズは早足で先を急ごうとした。
◯
駅前に立ち並ぶビルの一角、その屋上にハワード少佐は街を見下ろす。手摺り越しに見えるのは賑わう人々の姿。ふと、そこへケリー中尉が現れ、
「来ました」そっと耳打ちする。
ハワード少佐が振り返ると、セリア少尉が一人の老人を連れて来たところであった。老人といっても、彼は筋骨隆々で、見た目も年齢より若く見える。
「遠路はるばるようこそおいでくださいました」と、ハワードは言った。
「来てやったぞ少佐。ここで何を見せてくれると言うんだ」
「兵器です。厳密には、この水晶を使います」
少佐は指輪を一つ掲げてみせる。老人は鼻を鳴らした。
「それで何が出来る?」
「現地で即戦力となる兵士が調達できます。どれだけの素人であろうと、これを用いれば、練兵へと変貌するでしょう」
「ほう?」老人は疑わしげな眼差しで、「では、どう使うのだ?」
「手法としては、こちらをすりつぶして粉状にし、吸引させる。すると、たちまち効果が現れ出ます。彼らは一心同体となり、何にも得難い絆を獲得するのです。そこへ、体術に心得のある者──この場合、指揮官がそれに対応するでしょう──が居れば、彼らにも技術が継承されるのです。訓練せずして熟練者になる、ということですな」
「ふうむ。聞いただけでは信じられない。見せてみたまえよ、少佐殿」
ハワード少佐は悪い笑みを浮かべてみせた。
「ええ……元よりそのつもりです。セリア、これを頼む」
「はっ」
セリア少尉は指輪をすり潰すと、自らの指輪の能力によって──深く息を吐いた。彼の口元よりたちどころに強風が吹き、水晶の粉は駅前にばら撒かれていく。
そこへ盗人の少女と、一人の画家が偶然にも通過した。ハワード少佐はその画家を見て、即座にジェイク・ギルバートの連れだと理解した。この街に散らばる『目と指』の記憶が、思い出されたのだ。
きっと彼も、盗人の少女も、粉を吸っただろう。面白くなってきた、と少佐は思った。
「では、ご覧にいれましょう」少佐は両手を広げて宣言する。「さあ民衆よ、争い合え!」




