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ANDERSON  作者: 八田部壱乃介
Chapter2
16/70

第16話 目と指 同日正午

 時は戻り、待合室でフローディアを待っていた時のこと。案内が用意してくれた紅茶を飲んで、何とは無しに窓を眺めていた。その先には庭園がある。この季節であるから花は咲いていないが、春から夏にかけては色鮮やかに彩っていたものだ。

 その中央に聳える一本の大樹。ジェイクは昔、幹から枝先へ登り、玄関を通ることなく部屋に入ろうとしたことがある。門限を越えていたから、修道女に見つかりたくなかったのだ。窓からはルームメイトが協力しようと手を差し伸べていて、入室まであと僅かというところで、転落。

 枝が折れたのが原因だった。

 幸いなことに怪我はない。ただ、大きな物音がして、修道女たちが何事かと慌てて飛び出してきて、事が発覚した。

 当然、後に待っているのは説教だ。ただし、叱られたことよりも、本気で心配させてしまったとわかる動揺が相手に見えたことが、ジェイクにとってはショックだった。


 今では規律も多少は守る、中途半端な大人になった。そう自覚する。

 大樹から目を離した。庭より奥の正門から、視線を感じ、そちらへと移す。

「おっ──」お前は、と言いかけて、隣にウィリアムが座っているのを思い出した。「懐かしいな」

 男が立っていた。

 ルーパス軍曹だった。彼は、ジェイクと目を合わせると、特に反応を示すこともなく、他所へ歩いて行ってしまう。無事だったのか、と少し安心する。が、もしや水晶を吸わされたのではないか。

 一目見ただけでは何もわからない。そこは、不安要素ではあった。

 何が懐かしいのか、とウィリアムに問われ、ジェイクは適当な思い出話を引っ張る。黒猫スモークが居た話だ。彼に影響されたから、自分自身も木を登ろうとしたのかもしれない、と今になってその可能性に思い当たった。


 ややあって、フローディアが現れ、ウィリアムに講義を開始した。初歩的な内容だったが、重要なことである。知らないよりは、知っておいた方が良い。

 指輪にある三つの機能の他に問題があるとすれば、指輪にどんな記憶があるのか、だ。

「ウィリアムはまだ、指輪の記憶を見ていないらしい」

 ジェイクがフローディアに説明すると、いや、とウィリアムが遮った。

「それが、さっき見たかもしれないんだ。断片的なものだけどね」

「へえ……どんなものだった?」

 ジェイクの他に、気になるという様子でフローディアが小刻みに首を縦に振る。ウィリアムの話を要約するなら、同じ年代のはずだが、過去を思わせるこの地区を母のミレアが歩いていたところ、とある高貴な女性の元へと瞬間移動していた、というもの。

「高貴な女性って……あの御方か?」

 ウィリアムは肯定する。

 ヴィクトリカ女王陛下。彼の母親もまた、謁見室で会っていたということか。ジェイクは些か驚いたものの、これが何を意味するのか、自分に知り得ないことなのだろう。軍務では──良くあることだった。分業化され、細分化された作業をこなすだけ。

 ある程度、これがどのような影響をもたらすのか、は予想できる。そこから派生して、推論を立てることも可能だ。ただし、実質の部分は不明瞭。

 何故を問うても答えはこない。それが仕事で学んだことだった。


 講義も終わり、孤児院を出る時間となった。別れを惜しむようにフローディアはジェイクの手を握り、

「またいつでも帰っておいで」

「ああ」こそばゆい心持ちになりながらも、ジェイクは簡単な返事をする。「そうする」

「貴方は無茶をするから……体を大事にね」

 口を歪めて応じた。心配するな、という意味だ。ウィリアムも修道女に挨拶をして、正門を出る。何気ないつもりで左右を確認した。右の曲がり角。そこにルーパスの姿があった。壁にもたれ、煙草を吸っている。彼はこちらが気付いたと見ると、壁から離れ、曲がり角へと姿を消した。

「良い人だね」と、ウィリアムはフローディアを指して言う。

「そうだな。俺には母親みたいなもんだった」

「たまには顔を見せてあげるべきだよ」

「お前まで親戚みたいなことを」ジェイクは鼻を鳴らした。「これから寄っていきたいところがある。ウィリアムはどこかホテルを取っておいてくれないか」

「わかった。じゃあ、駅前で集合しよう」

「オーケー」

 ウィリアムが歩き去るのを見送ると、ジェイクは一度空を見上げ、首を曲げて鳴らした。厄介なことにならなければ良いが──と、思う。


 曲がり角を曲がると、ルーパスは一人、こちらを見据えていた。

「久しぶりだな」ジェイクがまず先に声を掛ける。

「半年になるか」ルーパスは両手ともコートのポケットに入れていた。「そこにバーがあるんだ。少し飲まないか?」

「昼間から?」ジェイクは笑いながら、「ちょうどそうしたい気分でしたよ」

 とあるビルの、地下へと続く階段。先は薄暗く、人の気配も感じられない。もしこの先にハワード少佐や隊の者に囲まれても良いように、覚悟を決める。

 確かに、自分は無茶をするタイプか、とジェイクは自覚した。深く考えるよりも先に、行動する方が得だと思っている節がある。成る程、今回も問題を先送りにせず、むしろ飛び込んでやろうとしているわけだ。

 どうせならとことんやってやるのみ。


「お前は確か、飲める口だったな」とルーパス。

「軍曹は下戸でしたね」

「それが少し変わったんだ」

 中は青いライトで暗闇を淡く遠ざけていた。寡黙そうな男が、カウンターに立っている。閑古鳥なのか、ジェイク達二人以外に客は居ない。ここなら、会話を聞かれる恐れはないようだ。

 カウンター席に座る。ジェイクはスコッチハイボールを、ルーパスはアイリッシュをロックで頼む。ルーパスはグラスを傾け、氷を鳴らした。彼の人差し指に嵌められた水晶の指輪が気になる。が、今は酒だ。ルーパスが一口飲むのを見届けてから、ジェイクも一口あおる。

 警戒心を解いたわけではない。この後彼を殺すことになっても、何も驚きはしないだろう。


「それにしても、髪を伸ばしたのか。似合わんな」ルーパスは言った。

「余計なお世話というものですよ軍曹。これはただの変装ですから」

「それにしては目立っている」

「……本当に?」

 ルーパスは沈黙し、酒を飲む。ジェイクは唸り、グラスを口に持っていった。

「それで……軍曹殿。無事だったのですね」

「私が無事に見えるのなら、それは指輪のお陰だな」ルーパスは自身の人差し指を見つめ、「借り物だ。お前も爪の指輪を持っているから、機能について大体のことは理解しているだろう。これには多くの記憶が詰まっている。それは私自身とて、例外ではない。指輪とは、つまり円環だ。終わることなく循環し続ける。だから──私は常に私を参照するため、私というものを手放さずに済む」

「どう言う意味でしょう」

「君もあの晩に見ただろう。水晶の粉を吸引したものは、誰も彼もが自我を失う」

「自我を?」ジェイクは聞き返した。

「強制的に感応させられるんだ。これは指輪のものとは違う。記憶だけじゃあなく、気分も、思考までも、共有する。そう……感応というより、この一体感を表すなら、共有と言うべきだ」

 ジェイクは口の中に乾きを覚え、酒に手を伸ばす。

「なら、この会話も少佐に聞かれている?」

「筒抜けだろうな」

 乾いた笑みが、ジェイクの口から飛び出した。成る程ね、と目を細める。


「それに、我々の同胞──少佐は『目と指』と言っているが──が、この地区に潜んでいる。君らの動向は常に監視されている」

「暇なようですね」

「いや。少佐は無駄を好まない。タイミングを図っているのさ」

「タイミング?」

「今回、私は君に忠告しに来たんだ。余計なお世話かもしれないがね」

「……お聞きしますよ、軍曹殿」

「この後少佐によるデモンストレーションが行われる。駅前は少々、荒れるはずだ」

 そこはウィリアムとの待ち合わせ場所だ。

「少佐は一体何をするつもりだ」ジェイクはルーパスの襟を掴む。「話してください」

「言えるのはここまでだ」

 ルーパスは腕を振り解くと、グラスを一気飲みし、空にした。立ち上がると、お札をカウンターに置く。

「じゃあな、ギルバート上等兵」階段を上がり、ふと立ち止まった。「また近いうちに」

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