第14話 盗まれた記憶 十二月五日十時半
街並みが移り変わる。
昔のものらしい建物が現れ、代わりに現在の家々やオフィスビルなどが消滅した。と思えば、薄く覆い被さるように今の街並みが残っている。
現在と過去が、瞬時に、何度も切り替わった。
同時に、ウィリアムの記憶もコインの裏表のように、くるくると別の人格と入れ替わる。
女性──それは、前の指輪の所有者である母、ミレアのものだ。それも、年若い頃のもの。つまり、昔の街を歩くのは彼女自身。昔の記憶が流入してきているのだ。
盗人の少女を追いかけながら、頭をおさえ、自我を失わないようにする。けれど、気を抜けばすぐに意識を失ってしまいそうだ。
少女がふと振り返り、こちらに向けて、指で下瞼を下げて舌を出す。
「べーだ」と言ったのが聞こえた。
「あいつ! 俺たちを馬鹿にしてやがるぞ」ジェイクが色めき立つ。
「ベータと言ったのかも」
ウィリアムのジョークに、ジェイクは「は?」という顔を浮かべる。少女はまた首を曲げて同じ仕草をし、
「ガンマ!」と言った。
ウィリアムはくすくすと笑う。「ほらね」
「奴にユーモアがあるのだけは認める」ジェイクは顰め面で唸った。
少女は走りながら、小石を蹴り上げ、一軒家の窓にぶつける。窓が開かれ、家主が怒り顔で顔を出した。
「誰だ!」
と叫んだ途端に、屋根から雪が降ってくる。ジェイクはちょうどその真下に居り、雪をまともに受けてしまった。少女はこちらを見やり、ぺろ、と悪戯っぽく舌を出す。
「あんの野郎……」ジェイクは外套を捨てた。
今度は急に、がくん、とウィリアムの体が沈んだ。雪に落とし穴が掘られていたらしい。足がとられたのだ。転びそうになり、何とかブレーキをかける。お陰で彼女との距離が生まれた。
しかしそれが功を奏した。
曲がり角から車が走ってきたのだ。とはいえ、急なスピードを出していたわけではない。盗人の少女はこれを軽々と飛び越えていく。
相手はやり手だ。ウィリアムは考えを改める。
しかし、どうやって捕まえようか?
瞬間、意識を掴まれた。精神に隙が生まれたのだ。しまった、と思った時には既に、現実はその姿を変貌させている。そこにあるのは白黒写真で見たような、昔の光景。
母が見た時代。
──何か大切なことを忘れている。
ミレアは何気なくそう思った。教会地区にある大学へと通学する途中のこと。道の真ん中でふと立ち止まり、空を見た。曇天で、今にも雨が降り出しそうだ。最近、妙に頭がぼうっとする。
例えばそれは、雑念が思考を支配しているような。とは言え雑念と言えるほど無駄なことではなく、むしろ、この人生において大事な、何か。
それが何なのかは、わからない。
視線を落とし、俯く。
地面には雪が積もっていた。溶けかけており、足を滑らせそうになる。気をつけて歩かなければならない。
「あの」
と、肩を叩かれた。
「何でしょう」
振り返れば、そこは見知らぬ部屋だった。瞬きをするような一瞬。ミレアは豪華絢爛な広間に居た。真っ赤なカーペットに、煌びやかなシャンデリア。壁には王家の肖像画が掛けられている。
それから、多くの人。腰に剣を差した兵士が、囲うように待機している。誰もが、ミレアの方を見つめていた。それは、眼前の席に座るあの方も同じ。
「お気付きになりましたか? ミレア・アンダーソンさん」
そう穏やかに話しかけたのは、ヴィクトリカ女王陛下その人で。ミレアはあまりのことに付いていけず、声も出せなかった。場面が大きく変化したことへの驚き、その理屈の不明さからくる恐怖心。目の前に座す貴きお方の存在──それら全てが、ミレアを恐慌状態に陥らせていた。
「驚かれたでしょう?」ふふふ、と上品に女王陛下は笑う。彼女は実際の年齢よりも若く見えた。「これは、魔法です。そう……私は、一つ魔法が使えるのですよ。例えば、目を瞑ってご覧なさい」
ミレアは狼狽えつつも、言われた通りに従う。
「さあ、目を開けてご覧なさい」
ウィリアムは目を開けた。
「ね、魔法のようでしょう?」
同じ広間にウィリアムは立っている。隣では、何も理解できていない様子のジェイクが呆然と立ち尽くしていた。
「女王……陛下……?」ウィリアムはあまりの驚きに、思わず声を漏らした。
「ええ。そうですよ」
彼女の姿は、ミレアが目にしたものと同じ若さを保ち続けている。幻覚だろうか、とウィリアムは考えた。しかし、心の中身を見透かすように、陛下は首を振る。
「幻などではありませんよ、ウィリアム・アンダーソンさん。そして、ジェイク・ギルバートさん」
「何故、俺の名前を知ってるんですか……」
ジェイクは警戒したらしい。一挙に相手を観察するような、鋭い眼差しになった。陛下はその様子が面白かったようで、目を三日月にして笑う。
「そう警戒なさらないで。私はただ、貴方達に助力をお願いしたいだけなのですよ」
「助力……」
繰り返してから、ジェイクはウィリアムを見つめた。ウィリアムも隣の彼を一瞥してから、
「どういうことです?」
陛下は横に立つ男に頷いてみせた。彼は台座に置かれた冠を丁重に取り上げる。その冠は、簡素な作りだった。宝石は何も嵌められていない。冠そのものが水晶でできている。
指輪と同じだ──ウィリアムは目を細めた。
男が陛下の前に立ち、恭しく冠を頭に乗せる。退散し、最初に居た位置へ戻り、待機した。陛下はゆっくりと頭を上げる。ウィリアムを見て、ジェイクを見つめた後、再度こちらに視線を置いた。
「これから先、この国には災いが起きます。お二人には、その阻止をして頂きたいのです」
災いとは何だろう。ウィリアムは僅かに首を傾げた。とても抽象的である。阻止をしろと言われても、具体的に何をすべきか、わからない。ジェイクも同様に思ったようだ。陛下は薄く微笑すると、
「そう難しいことではありません。お二人にはただ、ご自分の運命と対峙して頂くだけで結構です」
そう言って、頭を下げた。お願いをするために、ではないらしい。付き人が陛下の前に立ち、冠を受け取り、台座に戻す。そのための仕草だったようだ。
あの冠が水晶でできている以上、指輪と似通った力があるのだろう。それがどんな効力なのか、指輪を嵌めて確かめたかったが、それではこちらのことも筒抜けになる。これはさして問題ではない。
問題であるとすれば、指輪のことは王家にも知られているのではないか、という点にある。ならば、指輪とは武器のようなもの。身につけただけで、攻撃の意思があると見做されるのではないか。だから、ウィリアムには指に嵌めることはできない。これは、ジェイクも同じ条件だ。
ただし、女王陛下は違う。
まず立場が異なる。権力というのもある。何より、この場には多くの兵士が構えている。これは、自分と陛下の立場の違いを弁えるよう、意識させるために冠を被ってみせたのだろうか。
わからないが、狙いは他にあるだろう。
何より、指輪は記憶を残す装置だ。冠を身につけたということは、陛下が頼み事をした事実が、水晶の中に記録されたということ。
しかし──それが一体何を意味するのか、想像がつかない。女王陛下と目が合って、上品な微笑みが返ってくる。
広間を静寂が包んでいた。沈黙を破ったのはジェイクだった。
「話が見えて来ませんね」彼は腕を組み、不機嫌そうな態度を作っている。「助けるといっても、災いって何です?」
「不敬な態度だ」と、兵士が注意した。
しかしジェイクは怯まない。
「確かに、陛下と相見えるだなんて、かなりの僥倖……身に余る光栄ですがね。でも、これは流石にやり過ぎじゃあありませんか……意識もないうちに、ここへ連れてきたわけですからね。拉致みたいなものだ」
どうやら、ジェイクもいつの間にかここへ連れて来られていたようだ。ウィリアムは静かに思案の海に沈み込む。この間、陛下は笑みを崩さない。反応を楽しんでいるようだ。……それとも、観察しているのかもしれない。
「確かに、話が曖昧でしたね」あくまでも穏やかに、ヴィクトリカ女王陛下は非を認めた。「ただし、何が起こるのかまでは、我々も把握できていないのです」
「はあ?」
ジェイクが声をあげた。流石にその態度は不敬だと思い、ウィリアムは嗜める。陛下は気にしたふうでもなさそうだったが。
「お二人は指輪を所持していますね。ならば、おわかりになられるはずです。我々は、過去の記憶から、未来に災いが起こるだろうことを把握しました。けれど、いつ、誰が、何を、どのように引き起こすのかまでは、記憶されていません」
「どこで、何故、起きるのかはわかっているのですか?」ウィリアムは訊ねた。
女王陛下は頷く。
「ロンダニア市国で、臣民に試練を課すために」
「試練……!」
ジェイクの兄、ギンティ・ギルバートが連想された。彼は母殺しの最重要被疑者である。ジェイクがこちらを覗き見た。ウィリアムは首肯して、
「成る程、見えてきました。しかし、お言葉ですが陛下──」女王が小首を傾げる。「我々に何が出来ましょう」
「そう構えないで。運命はもう、定まりました。後は、身を任せるだけ」
ヴィクトリカ女王陛下の言葉に、ウィリアムは頭に疑問符を浮かべた。
「それに、頼み事には対価が必要ですね」付き人が一人、箱を持ってジェイクの前に立った。蓋を開けると、中には水晶でできた指輪が入っている。
「これは……」
「爪の指輪です。盗まれていたところを、取り返しておいたのです。こちらは、お金には換えられない価値がありますし、持つべく者が持っている必要があります」
ジェイクは指輪を手に、本物か否か、疑わしげな表情をした。
「気になるなら、身に付けて頂いて構いませんよ」
ジェイクは少し考えてから、「いや……辞めておきますよ。俺に預けて頂き、礼を言います」
「あら──預けるだなんて、とても謙虚な方なのね」
ジェイクは顰め面で、「こんな忌まわしい記憶、欲しくなんてありませんから」と、ぶっきらぼうに答えた。




