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ANDERSON  作者: 八田部壱乃介
Chapter2
14/70

第14話 盗まれた記憶 十二月五日十時半

 街並みが移り変わる。

 昔のものらしい建物が現れ、代わりに現在の家々やオフィスビルなどが消滅した。と思えば、薄く覆い被さるように今の街並みが残っている。

 現在と過去が、瞬時に、何度も切り替わった。

 同時に、ウィリアムの記憶もコインの裏表のように、くるくると別の人格と入れ替わる。

 女性──それは、前の指輪の所有者である母、ミレアのものだ。それも、年若い頃のもの。つまり、昔の街を歩くのは彼女自身。昔の記憶が流入してきているのだ。

 盗人の少女を追いかけながら、頭をおさえ、自我を失わないようにする。けれど、気を抜けばすぐに意識を失ってしまいそうだ。


 少女がふと振り返り、こちらに向けて、指で下瞼を下げて舌を出す。

「べーだ」と言ったのが聞こえた。

「あいつ! 俺たちを馬鹿にしてやがるぞ」ジェイクが色めき立つ。

「ベータと言ったのかも」

 ウィリアムのジョークに、ジェイクは「は?」という顔を浮かべる。少女はまた首を曲げて同じ仕草をし、

「ガンマ!」と言った。

 ウィリアムはくすくすと笑う。「ほらね」

「奴にユーモアがあるのだけは認める」ジェイクは顰め面で唸った。


 少女は走りながら、小石を蹴り上げ、一軒家の窓にぶつける。窓が開かれ、家主が怒り顔で顔を出した。

「誰だ!」

 と叫んだ途端に、屋根から雪が降ってくる。ジェイクはちょうどその真下に居り、雪をまともに受けてしまった。少女はこちらを見やり、ぺろ、と悪戯っぽく舌を出す。

「あんの野郎……」ジェイクは外套を捨てた。

 今度は急に、がくん、とウィリアムの体が沈んだ。雪に落とし穴が掘られていたらしい。足がとられたのだ。転びそうになり、何とかブレーキをかける。お陰で彼女との距離が生まれた。

 しかしそれが功を奏した。

 曲がり角から車が走ってきたのだ。とはいえ、急なスピードを出していたわけではない。盗人の少女はこれを軽々と飛び越えていく。

 相手はやり手だ。ウィリアムは考えを改める。

 しかし、どうやって捕まえようか?


 瞬間、意識を掴まれた。精神に隙が生まれたのだ。しまった、と思った時には既に、現実はその姿を変貌させている。そこにあるのは白黒写真で見たような、昔の光景。

 ミレアが見た時代。


 ──何か大切なことを忘れている。

 ミレアは何気なくそう思った。教会地区にある大学へと通学する途中のこと。道の真ん中でふと立ち止まり、空を見た。曇天で、今にも雨が降り出しそうだ。最近、妙に頭がぼうっとする。

 例えばそれは、雑念が思考を支配しているような。とは言え雑念と言えるほど無駄なことではなく、むしろ、この人生において大事な、何か。

 それが何なのかは、わからない。

 視線を落とし、俯く。

 地面には雪が積もっていた。溶けかけており、足を滑らせそうになる。気をつけて歩かなければならない。

「あの」

 と、肩を叩かれた。

「何でしょう」

 振り返れば、そこは見知らぬ部屋だった。瞬きをするような一瞬。ミレアは豪華絢爛な広間に居た。真っ赤なカーペットに、煌びやかなシャンデリア。壁には王家の肖像画が掛けられている。

 それから、多くの人。腰に剣を差した兵士が、囲うように待機している。誰もが、ミレアの方を見つめていた。それは、眼前の席に座るあの方も同じ。

「お気付きになりましたか? ミレア・アンダーソンさん」


 そう穏やかに話しかけたのは、ヴィクトリカ女王陛下その人で。ミレアはあまりのことに付いていけず、声も出せなかった。場面が大きく変化したことへの驚き、その理屈の不明さからくる恐怖心。目の前に座す貴きお方の存在──それら全てが、ミレアを恐慌状態に陥らせていた。

「驚かれたでしょう?」ふふふ、と上品に女王陛下は笑う。彼女は実際の年齢よりも若く見えた。「これは、魔法です。そう……私は、一つ魔法が使えるのですよ。例えば、目を瞑ってご覧なさい」

 ミレアは狼狽えつつも、言われた通りに従う。

「さあ、目を開けてご覧なさい」


 ウィリアムは目を開けた。

「ね、魔法のようでしょう?」

 同じ広間にウィリアムは立っている。隣では、何も理解できていない様子のジェイクが呆然と立ち尽くしていた。

「女王……陛下……?」ウィリアムはあまりの驚きに、思わず声を漏らした。

「ええ。そうですよ」

 彼女の姿は、ミレアが目にしたものと同じ若さを保ち続けている。幻覚だろうか、とウィリアムは考えた。しかし、心の中身を見透かすように、陛下は首を振る。

「幻などではありませんよ、ウィリアム・アンダーソンさん。そして、ジェイク・ギルバートさん」

「何故、俺の名前を知ってるんですか……」

 ジェイクは警戒したらしい。一挙に相手を観察するような、鋭い眼差しになった。陛下はその様子が面白かったようで、目を三日月にして笑う。

「そう警戒なさらないで。私はただ、貴方達に助力をお願いしたいだけなのですよ」


「助力……」

 繰り返してから、ジェイクはウィリアムを見つめた。ウィリアムも隣の彼を一瞥してから、

「どういうことです?」

 陛下は横に立つ男に頷いてみせた。彼は台座に置かれたティアラを丁重に取り上げる。その冠は、簡素な作りだった。宝石は何も嵌められていない。冠そのものが水晶でできている。

 指輪と同じだ──ウィリアムは目を細めた。

 男が陛下の前に立ち、恭しく冠を頭に乗せる。退散し、最初に居た位置へ戻り、待機した。陛下はゆっくりと頭を上げる。ウィリアムを見て、ジェイクを見つめた後、再度こちらに視線を置いた。

「これから先、この国には災いが起きます。お二人には、その阻止をして頂きたいのです」


 災いとは何だろう。ウィリアムは僅かに首を傾げた。とても抽象的である。阻止をしろと言われても、具体的に何をすべきか、わからない。ジェイクも同様に思ったようだ。陛下は薄く微笑すると、

「そう難しいことではありません。お二人にはただ、ご自分の運命と対峙して頂くだけで結構です」

 そう言って、頭を下げた。お願いをするために、ではないらしい。付き人が陛下の前に立ち、冠を受け取り、台座に戻す。そのための仕草だったようだ。

 あの冠が水晶でできている以上、指輪と似通った力があるのだろう。それがどんな効力なのか、指輪を嵌めて確かめたかったが、それではこちらのことも筒抜けになる。これはさして問題ではない。

 問題であるとすれば、指輪のことは王家にも知られているのではないか、という点にある。ならば、指輪とは武器のようなもの。身につけただけで、攻撃の意思があると見做されるのではないか。だから、ウィリアムには指に嵌めることはできない。これは、ジェイクも同じ条件だ。

 ただし、女王陛下は違う。

 まず立場が異なる。権力というのもある。何より、この場には多くの兵士が構えている。これは、自分と陛下の立場の違いを弁えるよう、意識させるために冠を被ってみせたのだろうか。

 わからないが、狙いは他にあるだろう。

 何より、指輪は記憶を残す装置だ。冠を身につけたということは、陛下が頼み事をした事実が、水晶の中に記録されたということ。


 しかし──それが一体何を意味するのか、想像がつかない。女王陛下と目が合って、上品な微笑みが返ってくる。

 広間を静寂が包んでいた。沈黙を破ったのはジェイクだった。

「話が見えて来ませんね」彼は腕を組み、不機嫌そうな態度を作っている。「助けるといっても、災いって何です?」

「不敬な態度だ」と、兵士が注意した。

 しかしジェイクは怯まない。

「確かに、陛下と相見えるだなんて、かなりの僥倖……身に余る光栄ですがね。でも、これは流石にやり過ぎじゃあありませんか……意識もないうちに、ここへ連れてきたわけですからね。拉致みたいなものだ」

 どうやら、ジェイクもいつの間にかここへ連れて来られていたようだ。ウィリアムは静かに思案の海に沈み込む。この間、陛下は笑みを崩さない。反応を楽しんでいるようだ。……それとも、観察しているのかもしれない。


「確かに、話が曖昧でしたね」あくまでも穏やかに、ヴィクトリカ女王陛下は非を認めた。「ただし、何が起こるのかまでは、我々も把握できていないのです」

「はあ?」

 ジェイクが声をあげた。流石にその態度は不敬だと思い、ウィリアムは嗜める。陛下は気にしたふうでもなさそうだったが。

「お二人は指輪を所持していますね。ならば、おわかりになられるはずです。我々は、過去の記憶から、未来に災いが起こるだろうことを把握しました。けれど、いつ、誰が、何を、どのように引き起こすのかまでは、記憶されていません」

「どこで、何故、起きるのかはわかっているのですか?」ウィリアムは訊ねた。

 女王陛下は頷く。

「ロンダニア市国で、臣民に試練を課すために」

「試練……!」

 ジェイクの兄、ギンティ・ギルバートが連想された。彼は母殺しの最重要被疑者である。ジェイクがこちらを覗き見た。ウィリアムは首肯して、

「成る程、見えてきました。しかし、お言葉ですが陛下──」女王が小首を傾げる。「我々に何が出来ましょう」

「そう構えないで。運命はもう、定まりました。後は、身を任せるだけ」

 ヴィクトリカ女王陛下の言葉に、ウィリアムは頭に疑問符を浮かべた。

「それに、頼み事には対価が必要ですね」付き人が一人、箱を持ってジェイクの前に立った。蓋を開けると、中には水晶でできた指輪が入っている。


「これは……」

「爪の指輪です。盗まれていたところを、取り返しておいたのです。こちらは、お金には換えられない価値がありますし、持つべく者が持っている必要があります」

 ジェイクは指輪を手に、本物か否か、疑わしげな表情をした。

「気になるなら、身に付けて頂いて構いませんよ」

 ジェイクは少し考えてから、「いや……辞めておきますよ。俺に預けて頂き、礼を言います」

「あら──預けるだなんて、とても謙虚な方なのね」

 ジェイクは顰め面で、「こんな忌まわしい記憶、欲しくなんてありませんから」と、ぶっきらぼうに答えた。

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