第13話 大人達の追いかけっこ 同日 十時十二分
かろうじて駅のホームへと降りられたウィリアムは、苦々しい顔をしているジェイクが無事であることを認めた。
「全く、酷い出会いもあったもんだ」と彼は言う。
「知り合い?」と訊けば、ジェイクは首を振る。「でも、名前を知っていたわけでしょう」
言い終えてから、名前は異なっていたな、と思い出した。だが、グレンは反応していた。その名を知っている者を許さないとでも言わんばかりに、襲ってきた。別の名前がある、と言うことだろう。
「二つ前の指輪の持ち主だ」ジェイクは首に手を回し、頭を曲げた。「使用者の記憶は指輪に残る。指に嵌めていれば、その記憶を覗く事になる。ウィリアムも、そろそろかもな」
「そろそろ?」
「ああ。前任者の記憶が流入してくるだろうな」
一人が、ジェイクにぶつかった。相手は深くフードを被っていて、顔が見えない。
「おっと済まねえ」ジェイクが謝る。
相手は何も言わず、無言のまま立ち去った。その姿は雑踏に溶け込み、やがて見えなくなる。
「何だあの、無愛想な野郎は……」
段々と、彼の言葉が尻すぼみしていった。ジェイクは恐る恐る手を持ち上げる。ウィリアムは不思議になって、どうしたのか訊ねてみた。
「無え……」声は震えている。
「無いって、何が?」
「指輪だ! 盗まれた! さっきぶつかってきた、あの野郎だぜ、ウィリアム!」
ウィリアムはぎょっとした。が、すぐに気を持ち直し、
「追いかけよう。確か、ホームから外に出たはずだ」
二人は人波を掻き分けて、無理やりにホームを出た。道は四方に延びていて、それぞれの方向に人の流れが生まれている。これでは、どこに向かったのか、わからない。迷っていると、ふとホーム出入り口の裏、陰になっている部分に、見覚えのある人物が見えた。
牙の男だ。
「やばいぞ、ジェイク……グレンがこちらに気付いている」
「あッ! 居た! あれだ、あいつだ!」
ジェイクの指差す先には、確かにぶつかってきた者の存在があった。フードを外すところだ。その下には、あどけない少女の姿がある。彼女の手には指輪がある。盗んだ獲物を見て、ニヤッと笑った。
ふと、彼女がこちらを見た。ウィリアムと見つめ合い、焦った顔に変わる。向きを変え、路面電車のレールに沿うように走り出した。
「あの野郎、逃げる気だ!」ジェイクは叫び出す。
ウィリアムは背後を確認した。グレンもまた、こちらに気付いて走り出すところだった。
「駄目だジェイク! 牙の男もこちらに向かってきている!」
「あいつは今はほっとけ! どうせこんな人混みじゃあ発砲も出来ね──」
撃鉄が鳴らされ、乾いた音が轟いた。数人が倒れ、悲鳴があがる。ウィリアムとジェイクはしばらく絶句した。どちらとも打ち合わせることもなく、逃げるように走り出す。
「なんてやばい奴! 普通、こんなところで撃つ奴があるかよお!」ジェイクは悲鳴混じりに叫んだ。
グレンが銃声をあげたことで、人波が割れ、彼のための道が出来上がる。このためだったか、とウィリアムは分析した。効率的にジェイクに辿り着ければ、後先のことなど何も考えていない。
たとえその結果、逮捕されることになろうとも。
果たして、一体、ジェイクは彼の何を知っているのだろう? ウィリアムは疑問に思ったが、今はそれどころでも無さそうだ。
「畜生! ウィリアム、アンタと俺で、盗人を挟み撃ちにする! そのために、あの襲撃者──牙の男を利用するぜ!」
「でも、どうやって!」ウィリアムは質問する。
「まだ待ってくれ! 今考えているところだからよお!」
「無策か!」
ウィリアムは可笑しくなって、笑い出した。ジェイクはびっくりした顔になる。
「おいおいおい、アンタもおかしくなるのはやめてくれ」
「大丈夫。一つ思いついた。この人垣の中で、互いの位置がわかるのは、指輪を身につけた僕とグレンだけだ。グレンは、僕が惹きつける。彼は街中でも躊躇なく発砲するはずだから、君が遠くに離れても、何処にいるのか把握できるはず!」
「オーケー、それで?」
タン、ともう一度銃声が鳴った。二人は一瞬、身を屈める。
「ジェイク、君は盗人の追跡に集中するんだ。このルートはずっと、路面電車のレールと並走している。つまりどういうことか? 盗人の彼女は、いずれ来るだろう路面電車に飛び乗ろうと考えているんだ」
「成る程! 路面電車は後ろから来るはず。俺が先に乗り込んでしまえば、捕獲できる!」
「そういうこと」
背後から、音が鳴らされた。路面電車が、レールから離れるよう、警告しているのだ。走っている隣から、その姿を現した。ジェイクは路面電車に飛び乗ると、すいすいとウィリアムを追い抜いていく。ジェイクは手で「あばよ」と合図。
ウィリアムも片手を振って応対する。
さて、当面の問題は、後ろの男──グレンだ。付近に使えるものがないか、と視線を彷徨わせる。目星をつけたのは、壁に立て掛けられたスコップだった。恐らく、雪を退かすために持ち出されたのだろう。
雪を確保するのに使えると踏み、走りざまウィリアムはそれを掴み取った。
引き摺るように雪を掘り、持ち上げる。雪を熱してお湯にすると、足元にかけた。これで滑りやすくなっただろう。グレンを確認して、後先のことなど何も考えていないことを、思い出させられた。
彼は、足元が滑りやすいと見てとると、経路を変更。路肩に停められた車に飛び乗り、その上を走りだした。
と、指輪が感応する。
〝体温の指輪も、私の過去を記憶している。残しておいてはいけない。指輪は砕き、使用者は始末する〟。
グレンの殺意はウィリアムにも向けられた。舌打ちすると、ウィリアムは外套を脱いで、グレンの足元に向けて放り投げた。彼はこれを飛んで避けた。グレンは銃口をウィリアムに向け、着地する。その瞬間を狙い、ウィリアムは臆せず、スコップを相手の足に叩きつけた。
グレンはバランスを崩して倒れる。しかし目は未だウィリアムを追いかけていた。銃口を向けられる。銃声。左肩が破裂する感覚があった。
勢いに押されて背中から倒れる。着地の衝撃が伝わり、一秒ほど息ができない。命の危険を感じて、寝返りを打つと、車の陰に入る。銃弾が一発飛んだ。車のドアを貫通し、そのまま後ろの家の壁に風穴を開ける。
「待ってください! 降参します……この指輪さえ渡せば、許してくれますよね」
ウィリアムはグレンの元に指輪を投げ渡し、両手をあげた。グレンは疑いの目でそれを一瞥し、拾い上げることなく、踏み砕く。
「これはお前の力で作った氷だろう? そんな手には乗らない。まずお前を撃ち殺してから、ゆっくりと指輪を壊してやる」
「動くな!」
叫んだのは警官だった。グレンの背後に二人立ち、どちらもが銃口を向けていた。
ウィリアムは警察が動くだろうことを予感していた。だから、被害者を気取ることにしたのだ──実際、その通りではあるのだが、これが喧嘩に見えてはいけない。傍目からもわかりやすく見せる必要があった。
グレンはウィリアムを睨みつつも、リボルバーを地面に落とし、両手を上げてみせる。このまま警官に連行された。
「ウィリアム! そっちに盗人が向かったあ!」
ウィリアムは息を吐く間も無くして、ジェイクの声に弾き出され、飛び出した。見れば、確かに少女がこちらに向かって走ってくる。が、道を変えて右に逸れた。追いかけるべくウィリアムも走り出す。
が、頭に違和感を感じた。
意識が薄れるような、微睡むような。
街並みが変化する。人の姿が、格好が、切り替わった。
地面からレールが消失する。車も、形が異なった。
ふと自身を見るべく、胸を見下ろす。
これは、女性だ。セーターを着ている。仕立ての良い生地だ。これは──ミレアの記憶。
瞬間、ウィリアムは無我になった。
自分と呼べるものは、今、ミレアなのだ。




