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ANDERSON  作者: 八田部壱乃介
Chapter2
11/40

第11話 生存者は一人きり 同日 二十一時五十分

 ルーパスに助け出され、ジェイクは何とか川から抜け出した。酷い勢いに疲れ果て、体はもう動きそうにない。夜空は薄くぼやけている。衣服はずぶ濡れで、荷物も流されてしまった。

 少しの風が、鳥肌を立たせるほどの寒さに変わる。

 地面に手をついて、ジェイクは体を休めた。体力などもう殆どない。辺りを見渡しても何もなかった。平原、という言葉が頭を掠める。それ以外に目ぼしいものは何もない。

 ここはひらけた空間であるから、追跡の手があれば、すぐにわかるだろう。今は誰も追いかけてくる様子はない。


「ランタンでもあれば良かったが」とルーパスはその場に座り込み、「今は月もあんなだからな」

 見上げてみれば、雲の裏に隠れて、月は身を潜めている。光は遮られてしまい、お陰でこちらは真っ暗闇だ。

「ここはどこなんでしょう」ジェイクは訊ねる。

「わからん。……まあ、川を南下していったということは、位置的に、恐らく商業地区だろう。ここを更に南へ行けば、住宅地が見えてくるはずさ」

 言いながら、ルーパスは目を擦り、大きな欠伸をした。夜も更けている。兵舎に居た頃は、そろそろ眠る時間だった。

 大きく伸びをすると、ルーパスはおもむろに立ち上がる。それに続き、ジェイクも重力に抗うつもりで立ち上がった。頭が酷く重い。

「俺たちは脱走兵という扱いになるんですかね」ジェイクはルーパスに声を掛ける。

「そうだろうな。それに命令違反もか」


 緩やかに歩きながら、ふと腹の痛みを思い出した。思わず小さく呻き声が漏れてしまい、ルーパスが振り返る。多少の照れが生まれ、

「いやあ、何か、爪が貫通したみたいで」とジェイクは言っていた。

 言ってから、自分は何か妙なことを言っているな、と後から気付く。しかし事実は事実──爪は確かに自身の筋肉から生えてきたようになっていた。正面からではなく、背後からの衝撃があって、腹部に爪が刺さっていたのである。だから、このような言葉が口を吐いて出たのだろう。

 ルーパスは片方の眉を持ち上げた。ジェイクは話題を変えることにして、

「少佐は何をしたんでしょうね。指輪を砕いて、皆に吸わせて──」

「そして気が触れたようになっていた」後をルーパスが続ける。「全く意味がわからん。狂っているな」

 ルーパスは溜息を吐いた。ジェイクもそうしたくなる気分だ。力なく天を仰いで、目を瞑る。


 この先に人の姿を求めて歩き続けた。だが、目の前に現れたのは森だった。深く、暗い底の無い闇。聞いた覚えのない鳥や虫の声がして、ここは秘境か、とジェイクは心の中で呟いた。

「入りたい気分じゃない」とルーパス。

「ああ……気が合いますな軍曹」

「戯けている場合じゃないぞジェイク。どうする……」

「どうするも何も……うひー! 不吉だなあ──」


 ざっ、という足音が鳴る。音の出処を探るため、二人は途端に押し黙り、周囲を見回した。

「ここに居たか、脱走兵どもお!」

 嬉しそうな声で悟った──彼は、ケリー大尉だ。ルーパスとジェイクはどちらともなく走り出す。持てる限りの力を振り絞って、生き残るために。

「くそっ。ここまで追いかけてきたのか? 何て執念深い男なんだ」ルーパスは毒づいた。

「執念なんてもんじゃないっすよ、軍曹殿! ありゃあ偏執的だ! 畜生……やっぱり森は不吉だぜ」

 半ば悲鳴のような叫びをあげるジェイクの目と鼻の先で、木が不自然な割れ方をした。横一文字に亀裂が入り、奥へ倒れ込む。と、左膝にも同じ角度で同じ形に痛みが走った。血飛沫が舞う。

「ぐあ!」痛みよりも驚きの方が強かった。

 突然足に力が入らなくなったのである。前方に倒れ込みそうになり、頭を丸めて前転した。このまま怪我した足を抱え込み、背後を確認する。

「どうした!」

 一寸先の闇間からルーパスが心配していた。

「立ち止まらんでください!」ジェイクは叫ぶ。


 ホルスターを確認したが、拳銃もない。全て川に押し流されてしまった。あの時、無理にでも確保しておくべきだった、と後悔する。しかし反省は終わり。近くに落ちている小石や枝を拾い上げ、武器の代わりにしようとした。が、どうにも心許ない。

 大尉は今何処にいる?

 確認すれば、既に真後ろに居た。

 ケリーは両手を持ち上げ、勢いよく振り下ろす。刹那、十本全ての指先から爪が真っ直ぐに伸びた。まるで刃のような妖しい煌めきを携えている。思わず目を奪われていたジェイクも、ケリーが指揮を振るうように指先をちょん、と震わすのに合わせて、体を動かした。

 ぎりぎりのところで爪を避ける。ジェイクの胴体を切り刻む代わりに、爪は木の幹を薙ぎ払った。

「それそれ、それそれそれー!」

 ケリーが出鱈目に指先を動かす。ジェイクは飛び退きながら、不規則な刃の連なりを避けようとした。だが避けきることは難しい。皮膚を、筋肉を、容赦なくずたずたにしていく。


 ルーパスがケリーの背後から突進し、二人は共に地面へと倒れ込んだ。その拍子に指輪が外れたらしい。ジェイクの元へ転がり、足元で止まる。

「ジェイクぅう!」

 ケリーを押さえつけていたルーパスが、加勢を求めて名を呼んだ。ジェイクは指輪を拾い上げると、力任せに立ち上がり、ケリーの頭を思い切り蹴り上げる。彼は人形のように大人しくなった。

 ルーパスとジェイクは、肩で息をするほど疲労していた。

「これでやっと終わり」言葉にすれば、ぱすん、というべきだろう音がした。何かが射出されたような、そんな音である。「──じゃあなさそうだな、畜生」

 ジェイクは言い終えぬうちに、ルーパスと反対方向に飛び退いた。ルーパスも同じ動作でこれを避けた。

 二人はそれぞれに別の方向へと走った。これならば、相手はどちらか一方しか追うことができず、片方は助かるはずだった。


 耳を澄ませてみれば、追跡者の足音はゆっくりとだが、着実に近づいている。

「ルーパス! ギルバート!」と呼ぶのはセリア中尉だ。

 瞬間、風切り音が鳴った。頬を衝撃が掠め、その向こうからルーパスの悲鳴があがる。自身の頬に触れると、指に血が付いた。出血している。相手は、何か刃物のようなものを投げてきているのだ。しかし、先程姿を見かけた時には、そのような武器、道具は持っていないように見えた。それに、引き金を引いたり、装填したり、射出する際の音もしていない。

 無音なのだ。

 聞こえるのは風を切る音だけ。


 瞬きをする一瞬。何かがジェイクの肩や腕を切り裂いた。痛みに悶絶したが、声を我慢した。方角は、さっきと同じ。もしかすると、セリア中尉はルーパスを狙っているのだ。だが、この真っ暗な視界では、こちらの姿までは見えていない。音を頼りに、弾を打ち出しているに過ぎないのだ。

 理解すると、ジェイクはすぐに小石を投げた。

 真っ直ぐ木に向かって飛び、こつん、と固い音を立てる。間も無くして、木に亀裂が入った。威力は強大。そこに立っていれば、絶命していただろう。

 ジェイクは更に小枝を投げた。それから間を置かずして小石を投擲する。場所は出来るだけ自分たちから遠いところへ向けた。そうすれば、狙いは逸れる。

 心なしか、足音も音のする方へと導かれているようだ。


 ルーパスはどうしているだろう。このことに気がついているだろうか、心配になった。ジェイクは尚も同じ行動を繰り返し、出来る限り順々に距離を遠く離れていくよう、調整する。

 そして──セリアが完全にこちらを見失う時を待った。大尉の足音は依然として規則的なリズムを維持している。心臓が駆動するように、機械的に。

 呼吸を整えて、ジェイクは影と同化するイメージを自身に課した。これは狩りだ。自分は今、狩られる側にある。ならば下手に動かず、出来るだけじっとして──

「ジェイク!」ルーパスの声。

「うおッ、何をする……離せ!」

 何か想定外のことが起きた。セリア中尉の呻く声がしたかと思えば、二人のもがく音が続く。

 ルーパス軍曹が大尉を捕らえたのか。ジェイクは想像して、すぐさま援護のため、飛び出した。


「来るな!」

 が、ルーパスの声で足は踏み止まってしまった。

「どうしてそんな酷いことを言うのだね。私は君達の父親のようなものだと言うのに」

 この声に聞き覚えがあった。

 ハワード少佐。いつの間に来ていたのだろう。姿は見えない。足音も感じなかった。ジェイクは木の裏に隠れて、顔だけを覗き出す。

「質問がある……君ともう一人、居たはずだ。名前は確か、ギルバート。そう。確か、ジェイク・ギルバートといったか。彼は何処にいる?」

「知らない」

「そうかそうか……こんな暗闇では、確かに知りようがないな。だが、ある程度はわかるはずだ。最後に見た時、どちらへ向かって走っていった? ……おや、だんまりか」

 突如、悲鳴が鳴り響いた。森から鳥たちが一斉に羽ばたいて、少佐の愉快そうな笑い声が轟く。

「ああ、良いぞ。良い声だ軍曹。私は今の声がとても気に入った。ではもう一度質問をしよう。ギルバートはどこへ向かった? ……おお、そうか。東に向かっていったのか」声のする方向から、足音が一つ、遠ざかっていった。「……良いだろう。君にはプレゼントだ。よーく吸い込むと良い。最高の気分になる。痛みも、じきに消えるぞ」


 少佐は高笑いすると、もう一人分の足音を伴って、来た道を引き返していく。やがて周囲には何もなくなり、静寂が帰ってきた時、異様な寒さだけがジェイクの元に残った。


「それから南下して、何とか街に出たんだ」と、ジェイクは言う。「それから数ヶ月間潜伏して、あんたの母親のことを思い出した。以前、妙な縁があってね。匿って貰えないかと思って訪ねたんだが──」

「その頃にはもう、殺されていた、と」

 揺れる列車の中、座席の対面に座るウィリアムが後を引き受けた。

「その通り。とまあ、こういうわけなんだ」ジェイクは両手を広げて、降参のジェスチャーをしてみせた。「気の毒って感じだろ?」

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