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ANDERSON  作者: 八田部壱乃介
Chapter1
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第1話 沈黙 一八九〇年十二月二日 二十一時十分

 届いた原稿を元に、世界を改めて構築する。

 線を描き、色を塗り、そこに情景を浮かび上がらせる──それがウィリアム・アンダーソンの今の仕事だった。


 元は画家だったのだが、少しばかり名が売れると共に、小説の挿絵を描いてみないかと誘われたのである。自分独自の世界観を表現したかったから一度断りかけたのだが、他者の見た世界を覗き見ることも案外悪くないのではと考え直した。

 そうして着手してみて、成る程これは結構楽しい。まず先に文章がある。彼女の物語は叙情的で、出てくる人物は皆個性的だ。しかしウィリアムが読んでみて感じたのは、何より華があるということだった。重苦しい設定がなされているのに、登場人物たちは誰もが軽快。且つ、可憐な主人公が明るい未来に向かって突き進んでいく。


 そんな話だからだろうか、筆も軽く、速く、作者の見た世界が手に取るようにウィリアムの中に浮かび上がった。自分は仲介役のようだ。けれど微妙に違う。読者は文章より想像し、ウィリアムの絵により世界を印象づけられる。この作業は補佐と言うには与えられた力が強い。

 共同作業のようなものか、それとも謙虚に解釈するならば、景色の幅を広げる手伝いといったところ。

 まだ空が明るい頃に作業に没頭し、我に帰った頃にはもう、辺りは暗く染められていた。


 ちょうど、挿絵の下書きを終えた時分だった。ウィリアムは休憩しようと筆を置き、大きく伸びをする。疲れた目を癒そうと薄く瞑り、作業机のティーカップに手をかけたところで、遠くから電話の鳴り響く音がした。

「締め切りは明後日じゃなかったかな」

 ウィリアムは手を引っ込めると、椅子から立ち上がり、部屋を出る。けたたましく鳴り響くベルに、受話器は急かされるように震えていた。ゆったりと手に取ると、ウィリアムは相手の声に耳を傾ける。

「もしもし、ウィル? お母さんだけど」

 相手は母、ミレア・アンダーソンからだ。


「久しぶりだね」声を思い出して、ウィリアムは返事する。「どうしたの?」

「貴方に贈り物があってね。明日辺りに届くはずよ」

「誕生日プレゼントなら先週貰ったばかりだけど」

「それとは別よ。ただ、その……」ミレアは口ごもり、息を吸った。「とても大事なものなの」

「大事なもの? なんだろう……筆とか?」

「だから誕生日プレゼントじゃないのよ」ミレアは呆れたように鼻息を漏らし、「メッセージも中に同封してあるから、後はそれを読んでおいて」

「わざわざそれを言いに?」不思議に思って、ウィリアムは聞いた。

 ミレアはくすくすと笑う。


「ええ。だって──」突然、電話越しにミレアは悲鳴をあげた。ウィリアムは思わず耳から受話器を離す。「誰……? まさか、あ、貴方は……」

 直後、呻き声が耳元から聞こえた。それは母の静かな叫び声か。何が起きたのか、ウィリアムには確かめようがない。

「母さん? 母さん!」

 呼びかけるも応答がなかった。胸騒ぎを覚えた束の間、通話が途切れた。思わぬことに受話器を見つめると、ウィリアムは急いで部屋を出る。

 母の身に何かが起きた。事故か? 病か? 言葉からは、その場に何者かが現れたことを指し示している。侵入者に襲われた? ならば相手は物盗りかもしれない。


 外は雪が降っている。郊外ここから母の住む中央地区までは、車で二十分ほどの距離だ。歩いて向かうのでは時間がかかり過ぎる。途中でタクシーを拾うべきだろう。外套を着込むと、ウィリアムは駅へ向かった。そこでタクシーを拾い、行き先を提示する。

「なるべく急いでください」と、頼み込んで。

 運転手ドライバーは頷き、やがて走り始めた。街灯がぼんやりと道を照らす中、窓の景色は代わる代わる流れていく。人の姿は少ない。お陰でスムーズに進み、本来よりも五分ほど速く着いた。


 見慣れた屋敷を目にした時、ウィリアムは久々に帰ってきたな、と思った。何年振りになるだろう。まさかこんな形で戻ることになるとは思いもよらなかった。

 門を潜ると、まず先に氷の張った池が見える。幼い頃には、ここに鯉などが泳いでいたものだが、いつからか魚を飼うことはなくなっていた。降り積もる雪に足を取られないよう、気をつけて歩けば、やっと家だ。

 見上げれば、黒く陰鬱とした屋敷が待ち構えている。いや、ここに嫌な記憶があるわけではない。ただ雰囲気がとても……嫌なのだ。ウィリアムにとって、そこに適切な言葉はまだ見つかっていない。

 地下を含めた三回建てで、もう一つ裏通りに出入り口がある。一階は客間を含め──パーティでも開けそうな空間になっていた。恐らく昔には、実際に行われていたのだろう。母が言うに、この屋敷は祖父の遺産であると言う。でなければ、母子家庭のウィリアムたちがこんなところに住めるはずがない。


 玄関口に立つと、ノックをしようとして、やめた。鍵穴が溶かされているのを見つけたからだ。大きく歪んでいる。そこで、侵入者の存在と鉢合わせる可能性に至った。

 自分は相手と出会くわした時、格闘になるかもしれない。少なくとも相手は錠前を溶かすような酸か何かを用意するくらいだ。準備はできている。では、自分はどうだ? ……侵入者は一人ではないかもしれないというのに。

 唾を呑み込むと、覚悟を決めて、中へと入ることにした。いずれにせよ、警察を呼ぶためには室内に入るしかなかった。


 ゆっくりとドアを開く。

 息を殺して、耳を澄ませた。何も聞こえない。

 出来る限り何も見逃してはならないと思い、視線をあちらこちらに投げる。脈拍が上がるのを感じた。自分は今、不安に駆られている──そう自覚するほどに。

 玄関先に置かれた、よく分からない置物を手に取った。どこかの土産物なのか、それとも考古学者の母が拾ってきたものだろう。祖父も考古学者であったが、この家を出るまでにこの代物を見かけたことはない。だから、多分最近になって置かれたものなのではないだろうか。


 ああ、思考が脱線している。ウィリアムは心の中でそう呟いた。昔からの癖だ。ストレスを感じると、その対象とは異なる物事を考えてしまう。首を振って、思案から現実に戻った。

 息を整える。

 足を一歩、先へ。足音を立てないよう、筋肉の動きに注意する。つま先から着地し、踵は付けない。

 食堂兼広間となる、大きな空間には誰もいなかった。問題は、母が電話をかけてきたであろう、書斎である。ウィリアムは目的地を定め、歩き出した。


 と、重い物が落ちた音がした。それは、書斎のある方向からだ。ウィリアムの中で警戒度が高まっていく。それと共に、母が心配になり、それが恐怖よりまさった。

 駆け出すと一気に書斎へ。扉は開かれている。そして、誰かの指先が地面に見えた。倒れている。部屋へと足を踏み入れると、何者かが部屋を漁ったのだろう、荒らされた形跡があった。書類や小物、移動用の荷物などがそこかしこに散乱している。母はそんな中に埋もれて倒れていた。

 ウィリアムは駆け寄り、声を掛けてみたが、反応はない。抱き上げてみるとそれもそのはず──母の胸元に小さく、歪んだ穴が開けられているのが分かった。奇妙なことに、出血量はそこまで多くない。だから余計に、生々しく傷跡が見えてしまった。

 母は息をしていなかった。


 余りにも唐突で、ウィリアムは言葉を失った。何を、どうすべきだ? と、思考が頭に渦巻く。

「そ、そうだ……まずは病院に連絡を……」

 絶命しているのに? 心の中で反論する。

「……警察か」

 電話を手に取り、未だ整理のつかない状態で、何とか説明した。これから五分以内に、近くの者が向かうだろうとの旨を説明され、通話が切れる。


 受話器を置くと、徐々に目眩を覚えた。室内を何気なく見つめながら、ウィリアムの意思とは裏腹に、犯人の足跡を思い描いていた。犯人は、ここで何かを探した。そのためにまずは母を殺害して、その場に留まり、机や棚を荒らしたのだろう。

 ウィリアムは視線を対象に移しながら、分析した。

 果たしてそれが見つかったのかどうか、分からない。他の部屋はどうだ?


 いつの間にか、足が動いている。昔から、好奇心に体を奪われることが多かった。他の部屋を見て歩いていくと、どこも荒らされた様子は見えなかった。どうやら、決め打ちしたように書斎だけを探したらしい。そこに目的の物があると確定していたのだろうか。それとも自分がここへ来るかもしれないと不安になり、すぐに逃げ出したのか……。

 いや、逃げ出した確証はない。

 ウィリアムは犯人がまだ、この屋敷に居るのではないかと心配になった。置物は電話をかける際に、書斎へと置いてきてしまったため、今は両手に空だ。


 警察官が来たら、封鎖されるだろう。それまでに調べなくては。そう考えてから、ウィリアムは自分が今、おかしな状態にあると自覚できた。

 それからこう思い直す──こういった捜査の真似事はせず、プロに任せるべきだ、と。下手に動き回って現場を荒らしては、意味がない。

「今は落ち着こう」と声に出して言った。

 そうでなければ、今にも悲しみに打ちひしがれてしまいそうだったから。

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